映画史上稀に見る珍妙なオープニングタイトルから始まる、素晴らしいスタイルの冒険に目が釘付けになり、しばし字幕を読むのも忘れてスクリーンに見入ってしまった。『去年マリエンバートで』以降、レネの長編作品のほとんどの美術を手掛けてきたジャック・ソルニエによる、レネ自身のコメント「ごちゃまぜのラタトュイユ」という言葉がぴったりな、色鮮やかな舞台セット風の美術が素晴らしい。これがあのアラン・レネの遺作かと思うとやはり込み上げてくるものがあるのだが、自分が見たレネの作品を思い返してみると、『夜と霧』(55)『二十四時間の情事』(59)『去年マリエンバートで』(61)『ミュリエル』(65)『ベトナムから遠く離れて』(67)『お家に帰りたい』(89)『風にそよぐ草』(09)『あなたはまだ何も見ていない』(12)程度しかなかった。これではとても"追悼"などする資格はないのだが、遺作において驚くべき軽やかな境地に到達した本作について、一言だけでも記しておきたいと思って、この文章を書いている。
それにしても、『夜と霧』と『去年マリエンバートで』と本作『愛して飲んで歌って』を、同じ一人の監督が撮ったという事実には中々承服し難いものがある、などと思ってしまうのは、私が1970年代〜90年代のレネの作品をほとんど見ていないからに違いない。その間にアラン・レネの人生にひとりの女性が登場し、レネの人生を変えていた。それが、本作の陽気な主人公カトリーヌを演じたサビーヌ・アゼマだった。1983年の作品『人生は小説なり』に抜擢されたアゼマは、以降、レネと公私に渡るパートナーとして関係を続けて行くことになる。サビーヌ・アゼマがどのような女性であるかは、本作冒頭の"秘密"を隠せない、おっちょこちょいな口達者ぶりを見るだけでも、その天真爛漫な朗らかさ、チャーミングな魅力の一片が、役柄を通じて伝わってくる。
アゼマ同様、眉目麗しいルックと凛とした佇まいで見るものを魅了するタマラ役のカロリーヌ・シオル、諏訪敦彦監督との共同監督作品『ユキとニナ』(09)の記憶が未だに新鮮な名優イポリット・ジラルド、レネ組の人気俳優アンドレ・デュソリエとアンドレ・デュソリエ等、息の合ったアンサンブルキャストが演じる、不在の真の主人公を巡る恋愛騒動は、地中から顔を出したモグラすら、半ば諦め顔で溜め息混じりで眺めるしかない他愛のないものだ。それでも、あの世から見れば、この"人間劇場"は、あまりにも人間的としか言いようのない愛らしさに満ちている。レネは、人生の彼岸から人間の営みを俯瞰するかのような視線を作品に導入することに成功しているのだ。その"彼岸目線"が際立たせる、熟年を迎える女優たちの可愛らしさと色気!一作前の『あなたはまだ何も見ていない』も、亡くなった劇作家が天上から、彼の葬儀に集まった友人たちを見ているという物語だったことを思い出してみれば、レネは、もうかれこれ数年間、"彼岸目線"で映画を撮っていたことになる。もう既に"天国に住むこと数年"のレネが撮った遺作は、天上的な輝きに満ちている。