2012年8月20日
『テイク・ディス・ワルツ』サラ・ポーリー
『ブルー・バレンタイン』(10)と『マリリン 7日間の恋』(11)ですっかり虜にされたものの、遡って思い返してみると、『シャッター・アイランド』(10)のドロレスはなかなか良かったけれども、『脳内ニューヨーク』(08)や『アイム・ノット・ゼア』(07)では彼女の出演シーンの記憶がほとんどなく、ヴェンダースの『ランド・オブ・プレンティ』(04)に至っては、主役まで演じていて、なかなか悪くない映画だったという感触すら持っているものの、あの映画での彼女は果たしてどんな表情をしていただだろうか?もう一度改めて見直してみたいなどと、個人的には呆けた感想しか出てこないミシェル・ウイリアムズは、今や、彼女の主演作に関して言えば、"ミシェル・ウィリアムズ映画"とでも言うべきジャンルに括りたくなるほどの圧倒的な存在感を放つ"素晴らしい女優に成長した"と理解することで、自らの記憶の頼りなさはひとまず棚に上げておきたい。(実際の彼女は、『ランド・オブ・プレンティ』と『ウェンディ&ルーシー』(08/未)でインディペンデント・スピリット・アワード最優秀主演女優賞に、『ブロークバック・マウンテン』(05)では、アカデミーの最優秀助演女優賞にノミネートされている、名実ともに今、最も勢いのある女優である。)
映画は、彼女の腕の黄金色の産毛を暖かい逆光が照らし出すショットから、キッチンの床を踏む色とりどりのペディキュアを施した素足まで、ミシェルのボディ・パーツをフェティッシュに、そして、光り輝くように捉える一連のシークエンスから始まり、ミシェル・ウイリアムズならではの湿り気と色香がスクリーンを満たしている。しかし、画面に映えるミシェル演じるマーゴの住む居心地の良さそうな空間、暖かくユーモアに満ちた夫ルー(セス・ローゲン)との生活、マーゴ自身の魅力的な佇まい、といった多くの人が羨むような等身大の"幸福感"を感じさせる日常の風景に関わらず、マーゴの表情は憂いを帯びている。
マーゴは、新しく出会ったダニエル(ルー・カビー)に惹かれているのだ。夫のルーは、チキンを使った料理レシピの研究家で、いつも家で鳥料理を作っている。端から見ると、優しく、包容力のある男で、何よりもマーゴを愛しているように見える。マーゴはしかし、漠然と不安を感じる、と言う。何か満たされないものが、彼女の頭の中をモヤモヤと巣食っている。ダニエルは、"リキシャ"で生計を立てているが、秘かに画を描きためているアーティストだ。画は、ブダペスト出身のアーティスト、バリント・サコの作品で、マーゴの内に秘めた官能性を表現するかのような豊穣な生のモチーフと色彩が印象に残る。ダニエルが"リキシャ"でマーゴとルーを乗せて走るシーンは、チャン・イーモウの驚くべき処女作『紅いコーリャン』(87)で、コン・リーが彼女を運ぶチアン・ウェンの肉体に注ぐ視線と同様に、ダニエルの引き締まった身体へのマーゴの視線を通じて彼女の欲望を露わにする。
果たして、マーゴは、慣れ親しみ、暖かい愛情で彼女を包むルーに見切りをつけ、情熱的に彼女を愛する新しい若い男、ダニエルの方へ走るのか。クライマックスで流れる希代の伊達男レナード・コーエンの大名曲は、マーゴの欲望を全面肯定し、抑圧された感情を解放するだろう。しかし、サラ・ポーリーは最後の最後でもう一度ひっくり返す。「ラジオ・スターの悲劇」は繰り返される、というわけだ。映画の美しいトーンを決定づけるのは「テイク・ディス・ワルツ」だが、内容を決定づけるのは「ラジオ・スターの悲劇」が持ち得た批評性であるという、サラ・ポーリーの巧みな戦略!
安穏と我が道を低空飛行する世の男たちを、女性ならではの媚態で誘惑しながら、柔らかな声で強烈な喝を入れるという最強の"女性"にしか出来ない、"男"たちへの叱咤激励に見えかけていたこの映画は、何よりも、同性である"女性自身"のあまりにも秀逸で切ないポートレートであったことに驚かされる。そして、そのポートレイトは女性単独の姿ではなく、例えば、ルーが"子ども"の話になると逃げ腰になる描写が示している通り、男と女の不可逆的で有機的な関係性を直感的なアプローチで的確に描いているところが素晴らしい。
(上原輝樹)
8月11日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開
監督・脚本・製作:サラ・ポーリー
製作:リュック・モンテペリエ
撮影:スーザン・キャヴァン
音楽:ジョナサン・ゴールドスミス
美術:マシュー・デイヴィス
出演:ミシェル・ウィリアムズ、セス・ローゲン、ルーク・カービー、サラ・シルヴァーマン
(C) 2011 Joe's Daughter Inc.All Rights Reserved
2011年/カナダ/116分/カラー/アメリカンビスタサイズ/ドルビーデジタル
配給:ブロードメディア・スタジオ
2012年8月 9日
『セブン・デイズ・イン・ハバナ』ベニチオ・デル・トロ、パブロ・トラペロ 他
ソダーバークの『チェ』2部作(08)でゲバラを演じ、この国と遠からぬ縁を感じさせるアメリカの俳優、ベニチオ・デル・トロ(国籍はプエルトリコ)が初めてメガホンを取った「月曜日:ユマ」で始まる『セブン・デイズ・イン・ハバナ』は、オムニバスならではの多彩さと緩さ、そして隙の多さ、それ自体がキューバ的であるような独自の魅力を放つ珠玉の小品である。
ハバナ到着初日に外国人"ユマ"(ジョシュ・ハッチャーソン)の視点で魅惑の夜の街に誘われた観客は、二日目の「火曜日:ジャム・セッション」でエミール・クストリッツァが自分自身、すなわち酔いどれの映画監督を演じるエピソードをスクリーンで観るにつけ、このキューバへの小旅行に参加した自分の直観の正しさに拍手を贈りたくなるに違いない。クストリッツァのタクシー運転手を務めるアレクサンダー・アブレウが興じるジャム・セッションは、早くも本作の白眉を成すが、語られるエピソードの切なさは、"魅惑の国"キューバが抱える黄昏に徐々に切り込んで行く。このエピソードを監督したパブロ・トラペロは、近年注目を集めるニュー・アルゼンチン・シネマの担い手としても知られる。
ジャム・セッションで素晴らしいトランペットの音を響かせ、島国の哀愁を漂わせた二日目に続く「水曜日:セシリアの誘惑」は、その政治体制故に幾多の優秀な人材がこの国を離れた現実を、二人の男と一人の女セシリア(メルヴィス・エステベス)の恋と欲望への葛藤をテーマに、艶っぽい物語に託して描く。観光客として訪れた観客は、今や、よりディープなキューバ、それは結構リアルなソープオペラだったりするわけだが!、を垣間みることになるだろう。
そこから、エリア・スレイマンの「木曜日:初心者の日記」、ギャスパー・ノエの「金曜日:儀式」、フアン・カルロス・タビオの「土曜日:甘くて苦い」、ローラン・カンテの「日曜日:泉」まで、スレイマン自らが呆然自失のジャーナリストを演じる木曜日とSEXの気配が充満するギャスパー・ノエのフライデー・ナイトを除いて、全てのエピソードが緩やかにオーガニックに関連する七日間の旅は、観客に、キューバ音楽という人類史上最高の遺産が今なお健在であることを、『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』(99)以来、久々に想起させてくれると同時に、"泉"が生み出すあまりにも人間的な"奇跡"を私たちの日常生活にも召還したいという、ささやかな憧憬を抱かせてくれる。
そんな幸せな気分にさせてくれる、全編キューバで撮影された本作が、ハリウッドで活躍するベニチオ・デル・トロとジョシュ・ハッチャーソンが絡んでいるからといって、"アメリカ映画"ではないということは確認しておきたい。1961年に断絶したアメリカとキューバの国交は未だ回復していないのだから。
(上原輝樹)
8月4日(土)より、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
監督:ベニチオ・デル・トロ、パブロ・トラペロ、エリア・スレイマン、フリオ・メデム、ギャスパー・ノエ、フアン・カルロス・タビオ、ローラン・カンテ
スクリプト・コーディネーター:レオナルド・パドゥーラ・フエンテス、ルチア・ロペス・コル
製作総指揮:クリスティーナ・スマラガ
制作:ディダー・ドメリ、ガエル・ヌアイユ、アルバロ・ロンゴリア、ファビアン・ピザーニ
撮影:ダニエル・アラーニョ、ディエゴ・デュッセル
編集:トーマス・フェルナンデス、ヴェロニク・ランジュ、アレックス・ロドリゲス、ザック・ストフ
出演:ジョシュ・ハッチャーソン、エミール・クストリッツァ、アレクサンダー・アブレウ、ダニエル・ブリュール
© FullHouse / MorenaFilms
2012年/フランス、スペイン/129分/カラー/アメリカンビスタサイズ/ドルビーデジタル/デジタル上映
配給:コムストック・グループ、アルシネテラン
2012年8月 2日
『トガニ 幼き瞳の告発』ファン・ドンヒョク
本作は、韓国の聴覚障害者学校で実際に起きた児童虐待事件を映画化したものだという。主人公の美術教師イノ(コン・ユ)は、妻と死別し、愛する病弱の一人娘を母親に託し、田舎町の聴覚障害者学校に赴任することになったのだが、その赴任先で彼が目撃したものはまさに密室空間の煮詰まった"坩堝=トガニ"で繰り広げられる地獄絵図そのものだった。職員室で平然と生徒に殴る蹴るの暴行を加える教師や洗濯機の中に女生徒の顔を押し付ける女寮長といった、ジェス・フランコの猟奇映画さながらの"畜生ども"が支配する残酷世界。フィクション映画の中だけの話であれば、さほど驚くこともないが、実際に起きた事件の映画化であるというから、これはさすがにただごとではない。
韓国で若い女性たちの支持を得ているという人気作家コン・ジヨンがポータルサイトDaumで半年間のオンライン連載を経た後、単行本出版に漕ぎ着けたという原作小説「トガニ」は、当初からネットでの反響も大きかったが、小説刊行後の世論の反応は凄まじいものだったという。読者の怒りは、事件が発覚した後も、のうのうと教職についていた加害者たちと、彼らを守る法律に向けられた。原作小説の読者の一人であったスター俳優、コン・ユは自ら出演を熱望し、本作の映画化が実現する。公開された映画は460万人の動員を記録、人々の怒りはやがて政府を動かし「トガニ法」という新しい法律を生み、問題の学校を廃校に追い込むことになる。そして、つい先日、加害者たちには実刑の判決が下されたというニュースも耳に入ってきた。"映画の力"が社会を動かしたといっても過言ではない。
もちろん"映画の力"だけが、社会を動かしたわけではない。その暗く隠蔽された密室空間のおぞましい"真実"を暴いた原作小説の作家コン・ジヨンの言葉を引用する。
「真実が持つ唯一の欠点は、それが怠惰であるということだ。真実はどんな装いも説得も行おうと自ら努力しない。真実はいつも自身が真実であるために、怠惰であるのだ。」
だから、"真実"を描く小説は怠惰であることが許されないし、映画、そして社会もまた同様である。こんなヒドいことが行われている、許せない、と事件を知った人々が憤ることで"怠惰な真実"がより多くの人の目に触れることになる。そこに"映画の力"が機能した。
しかし、それが"映画"であって、多くの観客の時間を奪うものである以上、どんな主題であっても相当の工夫を凝らして観客を魅了する必要がある。『トガニ 幼き瞳の告発』は、それが出来ているところが素晴らしい。義務感で見るような映画では全くない。日常的に行なわれる虐待行為を目撃し続けるが、暫くの間は何も出来ないでいる主人公の美術教師イノが、ついに堪忍袋の緒が切れて、前後の見境もなく感情を爆発させるあのシーンの素晴らしさには、"映画"ならではの興奮が漲っている。そして、当然ハッピーエンドで終わるわけではない本作は、観るものひとりひとりに問いかける。この国でも行なわれている"いじめ"と称される非道な犯罪行為の数々に、観客である私たちが無関心でいる"怠惰"など許されていないことは言うまでもない。
(上原輝樹)
8月4日(土)より、シネマライズ、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
監督:ファン・ドンヒョク
出演:コン・ユ、チョン・ユミ、キム・ヒョンス、チョン・インソ、ペク・スンファン
© 2011 CJ E&M CORPORATION, ALL RIGHTS RESERVED
2011年/韓国/125分/カラー/シネスコ/ドルビーSRD
配給:CJ Entertainment Japan