2012年11月22日

『人生の特等席』ロバート・ロレンツ

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まずは、『グラン・トリノ』(08)で俳優業を引退すると宣言していたクリント・イーストウッドが、4年振りにスクリーンに戻ってきた事を素直に喜びたい。

イーストウッドが演じるのは、メジャーリーグ史上最高のスカウトマン、タカの目を持つとも言われる男、ガス・ロベル。しかし、30年前に愛する妻と死に別れ、仕事一筋に打ち込んできたガスは、一人娘のミッキー(エイミー・アダムス)ともまともな会話が出来ず、敏腕弁護士に立派に成長した彼女の顔を見るなり憎まれ口を叩く始末。もちろん、観客にしてみれば、イーストウッドキャラクターの憎まれ口の裏には、素直な愛情表現に対する照れがあることは折り込み済みだから、亡き妻の墓石の前でガスが「You are My Sunshine」を口ずさむ情感溢れるシーンを見るにつけ、これからこの男がどれほどひどい失態を演じようとも、彼を擁護しなければならないという蛮勇を鼓舞されることに変わりはない。

だから、IT化が進んだ現在のスカウティング業界の中で、山のような印刷物の資料と自分の目を頼りに新人を発掘する無頼を貫くガスを疑問視する若い同僚(マシュー・リラード)が、ガスの盟友ピート(ジョン・グッドマン)の頭越しにもう彼の時代は終わったとチームの上層部に働きかけようが、ガスが評価しないドラフト1位指名候補の高校生強打者ボー(ジョー・マッシンギル)がどんなに特大ホームランをかっ飛ばそうとも、はたまた、ガスのタカの目がその視力すら失いつつあるとしても、観客は安心してこの映画を楽しむことができる。21世紀の映画において、この絶対的な安心感を提供することは、やはりハリウッド映画が担っている過酷な使命のひとつであるように思われる。

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恐らくは、これが初めての野球映画への出演と思われるイーストウッドが、右打席に立ったエイミー・アダムスにボールを投げる、そのイーストウッドのサウスポーの指先から離れた直後のボールの軌道をスクリーンに写さない理由は幾つか想像がつくが、そうして一瞬抱いた疑念は、エイミー・アダムスの高めのストレートを見事に振り切るバットスイングが相殺してくれるかもしれない。また、随分と単純に悪役化された強打者ボーのキャラクター造形や、ピーナッツ売り青年のあまりにもご都合主義的な発見といった、これが初めての作品というランディ・ブラウンの脚本に対する疑問も、イーストウッドとエイミー・アダムスの父娘関係、エイミー・アダムスとジャスティン・ティンバーレイクの瑞々しい男女関係の描写に力点が置かれたことを思えば、殊更責めようという気もおきない。

ただ、次作の音楽は、是非とも師匠に依頼して頂けないだろうかと希望しつつ、長年、イーストウッドとマルパソ・プロダクションを二人三脚で切り盛りしてきたというロバート・ロレンツの監督デビュー作品が、驚くべき傑作!のような作品では全くなかったことを、私たちは喜ぶべきかもしれない。クリント・イーストウッド、ジョン・グッドマンといった大物俳優たちの持ち味を充分にスクリーンに映し出し、長年のイーストウッド組ジェイムズ・J・ムラカミが設えた、エイミー・アダムスとジャスティン・ティンバーレイクが裸で夜の池に飛び込む素晴らしいシーンを演出し、それをトム・スターンがキャメラに収める、そして、明るすぎない陽光の下、屋外で腰掛ける、イーストウッドと若く才能のある俳優たちの堅調な佇まいを明朗な物語の中で捉える、その確かな演出力は、次の作品もきっとそこそこ楽しませてくれるに違いないという大きな期待を私たちに抱かせてくれる。

(上原輝樹)

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11月23日(金)より、全国ロードショー

監督・製作:ロバート・ロレンツ
脚本:ランディ・ブラウン
製作:クリント・イーストウッド、ミシェル・ワイズラー
製作総指揮:ティム・ムーア
撮影:トム・スターン
美術:ジェイムズ・J・ムラカミ
編集:ゲイリー・D・ローチ、ジョエル・コックス
衣装:デボラ・ホッパー
音楽:マルコ・ベルトラミ
出演:クリント・イーストウッド、エイミー・アダムス、ジャスティン・ティンバーレイク、ジョン・グッドマン、マシュー・リラード、ロバート・パトリック、ジョー・マッシンギル

(C) 2012 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

2012年/アメリカ/111分/カラー
配給:ワーナー・ブラザース映画



2012年11月16日

『映画と恋とウディ・アレン』ロバート・B・ウィード

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「これまで秘密主義だった伝説的映画作家の人生と創作過程を"初めて"解き明かすドキュメンタリー」という惹句とは裏腹に、誰もが彼のプライベートについては結構よく知っているのではないだろうか。スタンダップ・コメディアンとしてスタートしたキャリア、彼の映画に欠かせないニューヨークという街、ジャズ・ミュージシャンとしての顔、ダイアン・キートンとの公私に渡る蜜月期間、ミア・ファーロウとの複雑な関係、世間を騒がせたスン ・イーとの結婚、アカデミー賞授賞式嫌い(飛行機嫌い)etc... 

既に知っていることでも、ウディ・アレンにまつわることなら、何度同じ話を聞いても退屈しないから不思議だが、『映画と恋とウディ・アレン』は過去の作品からふんだんに名/迷場面が引用されていて、見るものを楽しませてくれる。いくら素材が魅力的でも、こうした引用にはセンスが問われる。その点、本作の製作、監督、脚本、共同編集を務めたロバート・B・ウィードは、『人生万歳!』(09)でアレンが主役に抜擢したラリー・デヴィッドのコメディ「ラリーのミッドライフ★クライシス/Curv Your Enthusiasm」を手掛けてきた男だけに、抜かりがない。

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アレンが敬愛する名撮影監督ゴードン・ウィリス、「ウディ・アレン映画の中の人生」の著者リチャード・シッケル、マーティン・スコセッシ、ダイアン・キートン、ショーン・ペン、スカーレット・ヨハンソン、ペネロペ・クルス、オーウェン・ウイルソンら豪華な映画人達から実の母と妹に至るまで、アレンを知る関係者たちの証言映像が大変充実しているのは、このドキュメンタリー作品が、「アメリカン・マスター」の1本として作られていることを考えれば当然と言えるかもしれない。PBS制作のドキュメンタリーシリーズ「アメリカン・マスター」では、グリフィス、チャップリン、キートン、ヒッチコック、フォード、ワイラー、カサヴェテス、イーストウッド、スコセッシら、170本以上ものシリーズが作られ、『ボブ・ディラン ノーディレクション・ホーム』(05)、『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』(07)等は日本でも劇場公開されている。『映画と恋とウディ・アレン』のテレビ向けオリジナル版は3.5時間あるというから、そちらにも大いに興味をそそられる。

しかし、本作が何よりも素晴らしいのは、机の引き出しに雑然と溜め込まれたメモの切れ端や、16歳の時から使い続けているというタイプライターがある自宅風景、ブルックリンの生家、母校といったプライベート周辺の空間を捉えた映像、そして、日本でも公開真近となった『恋のロンドン狂騒曲』(10)の演出シーンやデジタル機器を使った編集シーン(編集女史に指示を与えるアレン)、アレン、キートン共演『スリーパー』(73)の微笑ましい撮影シーンといった貴重な映像が、インディペンデントな映画作家ウディ・アレンの、生活(と恋)と創作の過程が密接に関わり合う、"映画"="人生"そのものであることを伝えているからだろう。だからこそ、アレンが最後に語る「夢見たことはすべて実現した。それなのに人生の落伍者の気分なのはなぜだろう。」という言葉が、夜の摩天楼のネオンのように鈍く輝いて見える。


(上原輝樹)



11月10日(土)より、TOHOシネマズ シャンテにてロードショー

監督・脚本・共同編集・製作:ロバート・B・ウィード
共同編集:カロリーナ・トゥオヴィネン
音楽:ポール・カンテロン
製作総指揮:マイケル・ペイサー、ブレット・ラトナー、フィッシャー・スティーヴンス、エリック・ゴードン、アンドリュー・カーシュ、スーザン・レイシー
出演:ウディ・アレン、ペネロペ・クルス、スカーレット・ヨハンソン、ダイアン・キートン、ショーン・ペン、クリス・ロック、ミラ・ソルヴィーノ、ナオミ・ワッツ、ダイアン・ウィースト、オーウェン・ウィルソン、マーティン・スコセッシ

(C) 2011 B Plus Productions, LLC. All rights reserved.

2011年/アメリカ/113分/カラー
配給:ロングライド


2012年11月 6日

『危険なメソッド』デヴィッド・クローネンバーグ

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20世紀初頭のチューリッヒとウィーンを舞台に、ユングとフロイト、女性患者ザビーナの関係を描き、正常と異常、医師と患者、科学と神秘思想の境界線を揺さぶる、実にクローネンバーグらしい変態映画と思わせつつ、"変態"が左程珍しくもない世の中になった現代の100年前の光景を描くべく、品良く端正な画に収められたユングとザビーナのスパンキングシーンには昆虫の交尾を撮影したかのような透明感すら漂う。これに比べれば、ソダーバーグの『エージェント・マロリー』(12)で描かれた女性格闘家ジーナ・カラーノ(マロリー)がファスベンダーを圧殺する激闘シーンの何と猥雑であることか。

もしかすると痩せた肢体が昆虫感を醸し出しているのかもしれないキーラ・ナイトレイの、変態願望を横溢させるザビーナよりも、何も見せないユングの貞淑な妻(サラ・ガドン)の方がどうしても感興を惹いてしまうというパラドックス。その地と柄の逆転現象は、育ちの良いユングを享楽の道へと誘うヴァンサン・カッセルのオットー・グラスを、凡庸な蜘蛛男に見せることにも成功している。スイス・チューリッヒの深く鮮やかな緑は、この昆虫人間たちに最適な生息の場を与えているようだ。

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変態的要素を白日の下で巧妙に殺菌したクローネンバーグが、本作で描くのは、ユングとザビーナの間で育まれた、愛欲を超えて芽生えていく激しい情愛と、エリート育ちの非ユダヤ人ユングと、一介の町医者として暮らし、精神分析が"ユダヤ人の怪しい療法"と見なされることを常に畏れていたフロイトとの、コンプレックスが綯い交ぜになった複雑な子弟関係とその破局がもたらす、生々しい感情が息づく欲望と嫉妬の物語である。

ニューヨークへ渡航する船上でフロイトが、いそいそと自分だけ一等船室に乗り込むユングの後ろ姿を見て、一瞬過ったに違いない複雑な感情を描いたシーンの繊細さ、長年の"危険なメソッド"実践の末にザビーナを失い、晴天の下で呆然自失とした表情を見せるユングの、あまりにも人間的な感情が画面に行き渡る瞬間の驚くばかりの純粋さ。フロイトを演じるヴィゴ・モーテンセンとユングを演じるマイケル・ファスベンダーという最高のキャスティングを得て、ついに、人間の感情の美徳を描く境地に達したクローネンバーグの成熟に思わず涙腺が緩んだ。
(上原輝樹)

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10月27日(土)より全国ロードショー

監督:デヴィッド・クローネンバーグ
製作:ジェレミー・トーマス
原作・脚本:クリストファー・ハンプトン
撮影:ピーター・サシツキー
美術:ジェームズ・マカティア
美術顧問:キャロル・スピア
編集:ロナルド・サンダース
衣装:デニース・クローネンバーグ
音楽:ハワード・ショア
出演:マイケル・ファスベンダー、ヴィゴ・モーテンセン、キーラ・ナイトレイ、ヴァンサン・カッセル、サラ・ガドン

(C) 2011 Lago Film GmbH Talking Cure Productions Limited RPC Danger Ltd Elbe Film GmbH. All Rights Reserved.

2011年/イギリス、ドイツ、カナダ、スイス/99分/カラー/アメリカンビスタサイズ/ドルビーデジタル
配給:ブロードメディア・スタジオ


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