2014年5月 1日

『そこのみにて光輝く』呉美保

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star.gifstar.gifstar.gifstar.gif 上原輝樹

つい軽々しく、これぞ日本映画!と言い切ってしまいたくなる重々しい傑作である。ラブシーンが秀逸ながら、この映画ほど、頻繁に惹句として使われる"ラブストーリー"という言葉から遠い所にある映画もなく、そもそも"愛"という言葉は西欧舶来のものであったことを、この映画の登場人物たちは思い出させてくれる。日本映画は、そもそも"愛"という崇高な概念よりも、"寂しさ"の感覚に寄り添ってきたのだという気がしないでもない。

ブラックホールのような漆黒の、マイナスの存在感を持つ綾野剛が素晴らしいのだが、それは共演の池脇千鶴と菅田将暉を光り輝かせる類いの、無私の素晴らしさだ。『共喰い』(13)で初々しい演技を見せた菅田将暉の弾ける無邪気、過酷な境遇にあっても憐憫の情を誘わない池脇千鶴の強さと哀しさ、家庭生活を普通に営む事がどれほど困難な事かを十二分な説得力で演じた高橋和也の義務に苛まれる人生、幾つもの人の死を経験したような火野正平の地獄から舞い戻ったような声、寝たきりの田村泰二郎がたったひとつ、生きている証のように迸らせる性欲、見るものをたじろがせる伊佐山ひろ子の絶望、そうした全てがそこに存在しているように見える。

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原作が佐藤泰志の小説だからか、この映画は、敢えて台詞では表現し得ないものを、映画ならではの表現で追求することに挑戦している。綾野剛と池脇千鶴とのやりとりで、綾野剛が見せる、一呼吸言葉に詰まるリアクションなどは、監督の演出だけでは到底成し得ないと思われる類いのものだ。言葉を間引くこと、説明を排することは、"寂しさ"が基調底音を成す本作において、見るものを作品の世界に引き込む上で、最も重要な戦略のひとつであったに違いない。

もちろん、函館の一夏の時間を、ATG的とも、ロマンポルノ的とも、アメリカン・ニューシネマ的とも言えそうな、索漠とした光景の中に、逆行の自然光を見事に光り輝かせながら捉えたキャメラマン近藤龍人の仕事が素晴らしいのは言うまでもない。しかしむしろ、新鮮なのは、いくら夏とはいえ、登場人物たちが、悉く素足で軽装であったり、家が海辺にあったり、アラン・ギロディーの『湖の見知らぬ男』(13)でもあるまいに、湖、ならぬ海の中で二人が抱擁し合うシーンまであって、およそ北海道の函館で撮影されたとは思えない南国感が映画全体を覆っていることなのかもしれない。

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そうした敢えて奇妙に創り上げられたフィクション性が、菅田将輝の奇矯さと不思議なバランスを保って、重々しい境遇の登場人物たちに息をつく島を与えるかのように、全てを有機的に繋げている。現実と地続きのようでいて、実はそうではない、あくまでフィクションであることの"リアリティ"が、俳優陣に存分に演じさせる"自由"を与えているに違いない。そんなことは多くのハリウッド映画では自明のことだが、撮影前に作られ過ぎているハリウッド映画の多くは、生き物としての映画の生命力を予め奪われてしまっているのとは対照的に、本作には、切れば赤い血が噴き出すような生々しさが息づいている。その上で、ポール・トーマス・アンダーソンの『ザ・マスター』(12)やデヴィッド・O・ラッセルの『アメリカン・ハッスル』(13)がそうであったように、本作が現代の邦画に於いては数少ない"俳優の映画"として成立していることに、日本映画の新たな時代への希望を仄かに感じさせる。
 
 
『そこのみにて光輝く』

4月19日(土)より、テアトル新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国ロードショー

監督:呉美保
原作:佐藤泰志
脚本:高田亮
音楽:田中拓人
撮影:近藤龍人
照明:藤井勇
録音:吉田憲義
美術:井上心平
編集:木村悦子
出演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎

© 2014 佐藤泰志 / 「そこのみにて光輝く」製作委員会

2014年/日本/120分/カラー/シネマスコープ
配給:東京テアトル、函館シネマアイリス


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