2014年12月10日

『フューリー』デヴィッド・エアー

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上原輝樹

第二次世界大戦の末期、ドイツで熾烈な地上戦を強いられる連合軍の中に、数年に渡って戦火の前線を生き残ってきた一団がいた、というヒロイックな設定の真偽はさておき、"フューリー"とその砲身に書かれた戦車を指揮する、百戦錬磨の猛者ドン・コリアー軍曹(ブラッド・ピット)、彼とヨーロッパ戦線を共にした、牧師の息子バイブル(シャイア・アブーフ)、酒浸りながら腕は一流の操縦士ゴルド(マイケル・ペーニャ)、粗野な荒くれ者装填手クーンアス(ジョン・バーンサル)といった、"フューリー"の面々の見事なキャラクター描写に、スクリーンに引き込まれた。

映画は、戦況がいよいよ切迫し、人員不足から、新兵ノーマン(ローガン・ラーマン)がこの猛者の一団に放り込まれる冒頭から、その本性を露わにしている。本作は、砲弾が飛び交い戦車が炎上し、人が殺し殺される紛れもない戦争映画に違いないのだが、一種のロードムービーとして撮られていて、"フューリー"の面々が"クロスロード"に至る道程において成長していく姿が描かれている。それ故に、活き活きした人物描写を通じて、戦場の理不尽が見るものに伝わる。

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まだあどけなさが残る顔つきのノーマンが部隊に放り込まれ、"ウォーダディー"が、ノーマンの顔を一瞥する時にブラッド・ピットが見せる表情が、この若者を待ち受ける絶望的状況を苦々しくも雄弁に物語っている。"普通の父親"的人物ならば、ここで若者を追い返してもよいところだが、戦時下においては、無防備なまま戦場に迎え入れられ、"ウォーダディー"の荒々しい指南を受けて、兵士として"成長"することが望まれる。こうした悲惨な状況が、ファシズムと闘った"最後の正しい戦争"と思われてきた節のある第二次世界大戦においても確かに存在したらしいことが本作では明白に描かれており、その点で『フューリー』は、イーストウッドの傑作『父親たちの星条旗』(06)をも想起させる、"戦争映画"ならではの善良さを備えている

ブラッド・ピットは、『ツリー・オブ・ライフ』(11)と本作で、"人間性"という観点で敗北し続けるアメリカ合衆国における"バッド・ファーザー"像を確立しつつある。奇しくも、ここ日本に於いては同時期に公開されているクリストファー・ノーランの『インターステラー』(14)において、マシュー・マコノヒーが演じている"良き父親"像と、それと対を成すかのようなブラッド・ピットの"悪しき父親"像とは、合衆国における"革新"と"保守"の両極を表現しているようで興味深い。現実に「この道しかない」道を歩まざるを得なかった、多くの"悪しき父親"が存在するという哀しい事実を、映画的現実においてブラッド・ピットはそのこわばった背中で引き受けようとしているに見える。

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『フューリー』が呼び覚ます鈍い興奮は、『ミスティック・リバー』(03)でショーン・ペンが演じた「肩に力の入った前科者」をも想起させながら、"バッド・ファーザー"のこわばった背中のシルエットを見るものの目に焼き付け、私たちひとりひとりが置かれている、理不尽な現実に対する怒りを誘発する。神なき世界において、理不尽な現実に対して"怒り"を忘れたものは、重苦しい沈黙が支配する諦めの境地に留まるしかない。人には時として、朗々と"怒り"を伝染させなければならない時がある。

 
『フューリー』
原題:Fury

11月28日(金)より公開中!

脚本・監督・製作:デヴィッド・エアー
製作:ビル・ブロック、イーサン・スミス、ジョン・レッシャー
製作総指揮:ブラッド・ピット、サーシャ・シャピロ、アントン・レッシン、アレックス・オット、ベン・ウェイスブレン
撮影監督:ローマン・ヴァシャノフ
プロダクション・デザイン:アンドリュー・メンジース
編集:ドディ・ドーン
ヘアメイク・デザイン:アレッサンドロ・ベルトラッツィ
衣装デザイン:オーウェン・ソーントン
音楽:スティーヴン・プライス
出演:ブラッド・ピット、シャイア・ラブーフ、ローガン・ラーマン、マイケル・ペーニャ、ジョン・バーンサル、ジェイソン・アイザックス、スコット・イーストウッド

© Norman Licensing, LLC 2014

2014年/アメリカ/135分/カラー
配給:KADOKAWA

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