主人公である高校生のアンドリュー(デイン・デハーン)は、アル中で暴力を振るう父親と病気で寝たきりの母親と暮らしている。家庭環境が影響したのか、引っ込み思案のアンドリューはクラスでもいじめられっ子的存在だが、自分の生活の全て(クロニクル)をビデオカメラで撮影し始め、いよいよ周囲から薄気味悪がられるようになっていく。ある日、アンドリューは信頼する従兄弟マット(アレックス・ラッセル)に連れられて行ったパーティーで、スティーブ(マイケル・B・ジョーダン)に知り合う。スティーブは、アメフト部のスター選手だが、気さくな男だ。パーティー会場の外で洞窟探検に出掛けた3人は、その中で不思議な物体に触れ、以来特殊な能力を持つようになる。
映画は、冒頭から、自らの生活を撮影するアンドリューのカメラ・アイで語られてゆくが、特殊な能力を得たアンドリューは、次第にそれを使いこなしてゆき、ビデオカメラのポジションを自在に操るようになる。このストーリーテリング上のギミックは、従来の手持ちカメラによるPOV映像の域を超えて、モーション・コントロールによって自在に遠隔操作される、ハリウッドが得意とするスペクタクルな映像でストーリーを語ることを可能にしている。ロウファイなリアリティを出すべく活用されてきたPOVショットが、映画史においてネクスト・レベルに進化した瞬間であると言って良いだろう。本作を絶賛したカラックスが、自らの作品『ホーリー・モーターズ』(12)で「キャメラはどこにある?映画のキャメラは、どんどん小さくなってゆく。」とミシェル・ピコリに語らせた時、既に『クロニクル』を見ていたわけではなかろうが、正に、ヴェルトフのキャメラ・アイ(映画眼)の成れの果てをここに見たに違いない、カラックスの鈍い興奮は如何ばかりであっただろうか。
加えて、特殊能力を得た元いじめられっ子のアンドリューが、クラスの人気者になった挙げ句、超能力のコントロールが効かずモンスター化してゆく、アメリカにおける"サクセス・ストーリー"ならぬ"超サクセス・ストーリー"のモンスター的リアリティを描いているところも面白い。なぜアメリカでは、少数の者が勝ち過ぎてしまうのか(「1%の最富裕層が国民収入の19% 米の格差、歴史的水準に」産経ニュース2013年9月12日)。リーマンショック以降、より明らかになったアメリカ合衆国の病理に、1985年生まれの若い映画作家たち(監督ジョシュ・トランク、脚本マックス・ランディス)が敏感に反応している。アンドリューの家庭が、いわゆる"ティーン・ムービー"的な家庭環境ではないところも、そんな現実に反応したものだろう。とはいえ、本作の監督ジョシュ・トランクは、既にリブート版『ファンタスティック・フォー』の監督に抜擢され、アメコミ・ヒーロー物の新作を監督するとも噂されており、監督自身が、"超サクセス・ストーリー"のモンスター的リアリティを経験することになるのかもしれない。