2012年7月12日
『少年は残酷な弓を射る』リン・ラムジー
原題は『We Need to Talk About Kevin』、サスペンス色を強めた邦題も悪くないと思うが、個人的には、どこか真面目さと几帳面さが前面に出ている原題が好みだ。その方が、本作の意図した日常に潜む不気味さがじわじわとと伝わってくるのではないかと思う。
ティルダ・スウィントンが演じるエヴァは、世界中を飛び回り、紀行文を書く作家として、自由奔放に生きてきた。作家としてキャリアを確立し、時には我を忘れるほどの情熱的な体験に身を任せる、現代の多くの女性が憧れてもおかしくない人生のひとつのプロトタイプ。そんな"セレブ"な人生の時間を享受してきたエヴァは、やがて、ロマンティックな時間を共に過ごしてきた恋人フランクリン(ジョン・C・ライリー)と家庭を作るようになり、授かったのが長男のケヴィンだった。しかし、ここからエヴェの人生の歯車が狂い始める。
ケヴィンは、赤ん坊の頃には、一日中泣きっ放しでエヴァを疲れさせ、3歳になっても、一言も言葉を発っしず、母親を睨みつけるばかりの子どもになっていた。6歳になると、父親のフランクリンには可愛らしい笑顔を見せるが、母親にはあからさまに反抗し、本能的、戦略的に母親を追い詰めていく。困惑するエヴァは、夫に不安を伝えるが、「男の子なんてこんなものだよ」と言って彼女の困惑を全く意に介さない。
ケヴィンを演じたエズラ・ミラーは、ケヴィンと母親との関係について、インタヴューでこのように語っている。
「ケヴィンは、母親が自分に対してしていることが心からのものではなく、虚構なのだと気付いてしまう。本当は常に無視されて愛されていないのに母親が母性愛をデモンストレーションしていたらどうなんだろう?愛している振りはしているが、実は捨てられたも同然だと怒るでしょう。人間は本能的に愛されるものだと思っているので、子育てにおいて親の関心が自分に向けられていないと思う子供はどんな怒りを持つでしょうか?親に注目されずに育った子は、何をしてでも注目を浴びたいと思うのではないでしょうか?ケヴィンは誠実な母親の愛情が欲しかったから、ケヴィンと母親が分かち合っているこの状況、この真実を感知してほしかったんだと思います。」
母親の本質的な無関心を憎悪するケヴィンは、ただのお人好しで鈍感な父親を味方につけて、母親に対する怒り、父親に対する軽蔑を心の内に募らせていき、やがて、悲劇的な形でその怒りを爆発させる。映画は、どこの家庭にも存在しうる悲劇の萌芽を、やがて暴走していく最悪のシナリオをとして描くことで、子どもに対する親の無関心について、教育的な警告を発している。その警告を発する上でリン・ラムジーは、若かりし頃のエヴァが体現したスタイリッシュさそのものの端正な映像に、(『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『ノルウェイの森』等で知られる)トラウマ系映画のサントラといえばこの人というジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)が創り上げる楽曲と選曲を、悲劇的な内容とミスマッチに配合し、独特な世界観を構築することで説教臭さを回避することに成功している。
(上原輝樹)
6月30日(土)より、TOHOシネマズシャンテにて公開
監督・脚本・製作総指揮:リン・ラムジー
撮影:シーマス・マッガーヴェイ
作曲:ジョニー・グリーンウッド
原作:ライオネル・シュライバー
出演:ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー
© UK Film Council / BBC / Independent Film Productions 2010
2011年/イギリス/112分/カラー/アメリカン・ビスタ/ドルビーSRD
配給:クロックワークス