『J.A.C.E./ジェイス』 TIFF2011 コンペティション

浅井 学
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最近のニュースをひと際にぎわせている"ギリシャ"のダークサイドを描いたスピード感あふれるエンタテインメント作品。ギリシャ系アルバニア人の男の子"ジェイス"は、里親家族の虐殺を目の当たりにした日から、物乞いから売春、臓器売買まで様々な目的で子供たちを海外に"輸出"するマフィア組織に捕らえられ、これでもかというほど過酷な運命をたどる。個人的には、ユーゴスラビア紛争後も複雑な宗教・民族問題を抱えたバルカン半島を背景に、さらに経済危機で瀕死の状態となった、よりリアルでセンシティブな"ギリシャダークサイド"を期待したが、犯罪組織の描き方が、近未来的なデザインのきらびやかなクラブにある組織本部、ハウスミュージック、コカイン、ゲイダンサーなどベタでどこか90年代な印象だった。わかりやすいといえばそうなのだが、ギリシャ・ノワールならではのスタイルをみたかった。

2011年10月27日
★★

『ミヒャエル』 TIFF2011 WORLD CINEMA

浅井 学
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家の地下に誘拐した男の子を監禁する小児性愛者が主人公の映画と聞けば、サイコスリラー映画にあるような嫌悪感を催す暴力描写や、絶望的で仰天の結末などを想起するが、この映画にはほぼ皆無だ。緊張感を高める過度な演出やサイコパスを強調する描写を意図的に排し、友人とのスキー休暇、監禁中の男の子とのクリスマスの準備、そして夕食時の会話など、まるでホームドラマやとぼけたコメディタッチのエピソードの中に、どこかこの主人公の欠落した人間性と破綻への予感を潜ませる。監禁されている男の子への眼差しもどこか客観的で不必要に感情移入をさせない。客席から笑い声がこぼれるどこかのどかなサイコサスペンス、この"違和感"はとても新鮮だった。そんな極めて技巧的なシナリオと演出、カメラワークにグイグイと次の展開へと引き込まれていく。監督第1作にしてカンヌ映画祭コンペティション部門に選出された作品であるというのもうなずける。キャスティング・ディレクターとして60本以上の映画プロジェクトに参加したというキャリアが、この独自の演出方法のベースにあるのは間違いない。直近でミヒャエル・ハネケ監督の『白いリボン』への参加を聞いて多いに合点がいった。マルクス・シュラインツァー監督とこのスタッフによる次作品への期待が高まる。

2011年10月25日
★★★★

『アルバート・ノッブス』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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ロドリゴ・ガルシア監督得意の"女性映画"の変奏ではあるのだが、話のセットアップが少し遅い。アーロン・ジョンソンとミア・ワシコウスカのカップルが成立した辺りから映画は色めき立ち始め、ジャネット・マクティアの夫婦が登場するに及んで物語は興味深い展開を見せはするものの、主演のグレン・クローズが、劇中では"男性"に見えている設定ながら、個人的には中々そのように見えずに苦労した。とはいえ、日頃"男装"のふたり(アルバートとヒューバート)が、フェミニンな衣装を身に纏い、浜辺へ散歩するシークエンスが本作の物語の核心を表現していて素晴らしい。この海辺のシーンで、アルバート(グレン・クローズ)が自らの"女性性"を解き放つのとは対照的に、"女装"男性にしか見えないヒューバート(ジャネット・マクティア)の居たたまれなさとのコントラストが強烈だが、この短いシークエンスは、それぞれの日常における"生きずらさ"の反転として描かれている。置かれた境遇から男性として生きることを余儀なくされたアルバートの内面はあくまで女性のままであり、自らの意思で男性として生きることを選んだヒューバートは、内面も男性化している。自らの生き方を選択出来なかった前者よりも後者の人生の方がより幸福であるはずだが、抑圧された"女性性"の解放を短いシークエンスで夢のように美しく描いた監督の手腕はさすが。そんなジェンダーの問題に加えて、二人とも"女性"を愛する、という複雑さが本作の面白さでもあるが、纏うコスチュームのチャーミングさも含めて、グレン・クローズ以上に本作の魅力を担っていると言って良いミア・ワシコウスカの、エンディングシーンのクローズアップショットが、スクリーンの大写しに耐えうる美しさで捉えられていなかったのが残念。

2011年10月27日
★★★

『トリシュナ』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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コンスタントに作品を発表し続けるマイケル・ウィンターボトム監督の新作『トリシュナ』は、『ミラル』で人生を切り開いていくポジティブな女性像が記憶に新しいフリーダ・ピントが、今度は、貧富の差が激しく、生まれついた境遇から抜け出すのが難しい社会風土の中で翻弄される悲劇的なヒロイン、トリシュナを演じている。トーマス・ハーディの「テス」を、19世紀産業革命に揺れるイギリスから、21世紀の新興国インドに翻案するという狙いは、インド最大のめくるめく大都市ムンバイや地方の瀟酒なリゾートホテルの景観を大スクリーンに映し出すという点で大いに効果を発揮しており、もっとインドを映した映像を観てみたいという気にさせるが、素晴らしい作曲家梅林茂の楽曲が『花様年華』そのまんまのイメージに聴こえてしまったことと、「カーマ・スートラ」が古きインドの呪いの書のように扱われてしまっているところが残念。フリーダ・ピントはとても良く、これからの活躍が楽しみ。

2011年10月26日
★★☆

『より良き人生』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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今までは"人物"にフォーカスをして描いてきたが、今回は"社会的なテーマ"に光をあてた、自分のキャリアは新たな段階に進んだと思う、と監督自らが語った自信作『より良き人生』は、もはや21世紀において多様化した映画フォーマットの中では、贅沢な部類に入る、35ミリ・フィルム、シネマスコープサイズによる、堂々たる活劇に仕上がっており、前作『リグレット(原題)』で高まった期待に充分応える出来映えとなっている。主演をフランスの人気俳優ギョーム・カネ、その相棒のような子供役を演技初挑戦のスリマーヌ・ケタビが好演、母親役をジャック・オディアール『アン・プロフィット』のエンディング・シーンに登場したレイラ・ベクティが演じている。日仏学院におけるモーリス・ガレル追悼上映の記憶が新しいルイ・ガレルの母親、ブリジット・シーも迫力のある演技で存在感を見せている。"より良き人生"を歩むためには、"闘う"しかない、と当たり前の如く明快に考える、アグレッシュブな自由主義が眩しく見える。逞しい存在感を放つセドリック・カーン監督の新作。

2011年10月25日
★★★★

『失われた大地』 TIFF2011 natural TIFF

上原輝樹
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1986年4月26日、チェルノブイリで原発事故が起きる。折しも、地元の村では、若い男女の結婚式が行われていた。男は、山火事が起きたという知らせ(実際は原発事故の収束に駆り出されたわけだが)を受け、式を抜け出し、そのまま一生帰らぬ身となり、女は愛する男を失う。そして、何も知らされぬ内に、黒い雨を浴びる。そうした物語仕立てで、チェルノブイリ事故の当日と、10年後の人々、失われゆく大地の様子を抑制したトーンで描いている。映画冒頭では、事故が起きる前の緑豊かな自然に恵まれた地で暮らす人々の生活が活写される。中でも原発で働く物知りの父親とその息子の仲睦まじい親子の時間が永遠に失われていくエピソードが痛ましい。パリでジャン・ルーシュに師事したというイスラエル出身のミハル・ボガニム監督は、この人類が経験した悲劇を、人々が経験した喪失に寄り添って、あくまでフィクションとして表現することで、人々の心にこの問題の本質を問い掛けているように思える。しかし、問題は、放射能が与える脅威について私たち人類は、まだわからないことだらけだという事実が、この本質的な問い掛けに対し、明瞭に答えることの難しさを浮かび上がらせる。実に、放射能とは煩わしい、その意味でも、柄谷行人が語った、放射能とは、イコール国家である、という言葉は示唆に富んでいる。

2011年10月23日
★★★

『黒澤 その道』 TIFF2011 巨匠へのオマージュ

上原輝樹
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ベルトルッチ、キアロスタミ、スコセッシ、イーストウッドといった世界の名匠たちが、黒澤映画の、映画史に与えたインパクトについて語るドキュメンタリー。15年に渡って黒澤の通訳を務めたカトリーヌ・カドゥによる作品。ラングロワのシネマティークで当時もぎりをやっていたというアンゲロプスは、座席に忍びこんで観た『羅生門』に大いに感銘を受けたのだと語り、ポン・ジュノは、『母なる証明』の殺人現場から町一帯を見下ろすショットは、『悪い奴ほどよく眠る』の街一帯を見下ろす豪邸のロケーションから着想したものだと告白する。現代アジア最大の映画作家ポン・ジュノのスケール感溢れるロケーション撮影を司る遺伝子の一部が、黒澤明の映画で出来ていたことを知ることは、決して無益なことではない。小さい映画が量産される昨今、顧みられるべき内容が多く語られている魅力的な作品。

2011年10月23日
★★★★

『TATSUMI』 TIFF2011 アジアの風 アジア中東パノラマ

上原輝樹
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シンガポールの映画作家エリック・クーが、日本の終戦から70年代高度経済成長期までの社会背景をリンクさせながら、"劇画の父"と呼ばれる辰巳ヨシヒロの半生と彼の作品を独特の手法でアニメーション化した力作。手塚マンガへの傾倒を語る迫力ある辰巳ヨシヒロ本人の声で始まるオープニングに続いて始まる、辰巳本人の作品のアニメーション化「地獄」が秀逸。これを観るだけでも、本作を観る価値がある。辰巳の作品は、その他の自伝的といわれる4作品が連結され、辰巳の半生を形作る。辰巳ヨシヒロ自身への素晴らしいオマージュであることは当然のことながら、偉大な先達である手塚治虫へのオマージュとなっているところも感動的。観ているときは、随分個性的で芸達者な(プロの声優さん的ではないという意味で)素人さんぽい声優を見つけたなあ、と感心していたのだが、観終わった後に、俳優の別所哲也氏が6役の声を演じていたことを知り、驚嘆。

2011年10月21日(内覧試写)
★★★

『デタッチメント』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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長編デビュー作『アメリカン・ヒストリー X』が高い評価を受けたトニー・ケイ監督の最新作。アメリカの公立学校の荒廃した現場を、臨時教師ヘンリーの視点から、デフォルメし、様式化した映像スタイルで描き、生徒の、親の、教師の、社会の抱える問題をエモーショナルで知的に、暴力的でありながらも文学的に炙り出した恐るべき傑作。エイドリアン・ブロディ、クリスティーナ・ヘンドリックス、ルーシー・リュー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ジェイムズ・カーンといった名も通った名優たちを配役しながらも、作り物感が全くないのは、あえて、ホームビデオ的クオリティのデジタルキャメラで撮影したトニー・ケイ監督の戦略勝ち。新人女優サミ・ゲイルも鮮烈で忘れ難く、本作に相当入れ込んだと思しきエグゼクティブ・プロデューサーと主演を兼ねたエイドリアン・ブロディのメランコリックな佇まいがあまりにも素晴らしい。エンドロールで流れる、あの男のあの曲に、滂沱の涙、、。必見!

2011年10月20日(内覧試写)
★★★★☆

『最強のふたり』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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パラグライダーの事故に遭遇し、墜落して半身不随になったパリに住む裕福なブルジョア男性の実話を基に、監督・脚本家のコンビ、エリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュが作り上げた、パリにおける象徴的な二つの文化的階級(ブルジョアと移民)のユートピア的共生を描いたコメディである本作は、かなりフランクと言うべき人種と身体障害に関するブラックジョークと、あからさまに戯画化された両者のコントラストの激しさ、そして、ご都合主義的なストーリー展開で観るものを唖然とさせる。しかし、元はと言えば実話であるという担保が、観客に、潜在的な差別意識とは何かということについて考える契機を与えてくれる(かもしれない)。それぞれの階級のアイデンティティの表出としての、クラッシック音楽とソウル・ミュージックを対立、衝突させるところに計算通りのユーモアが生まれているものの、ジョークがフレンチ・ノワール過ぎるせいか、声を出して笑うことが憚れることしばしば。

2011年10月20日(内覧試写)
★★★

『ホーム』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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コンペ作品というよりは、natural TIFFの方がしっくりくる趣きの作品。自分が生まれ育った周囲の環境が変わってしまったという"故郷(ホーム)"の喪失感は、きっと多くの現代人が経験していることにちがいない。本作の主人公である"鬱"を患う建築家は、医者の勧めもあって、5歳の頃まで育った"山"に戻り、昔の感覚を呼び覚まそうとするが、その"山"は、もはや昔のままではなかった。地球環境を破壊し続ける現代文明への深い懐疑と怒りを滲ませながらも、トルコの雄大な山々の奥地へと分け入っていくキャメラは、それでも、充分に神秘的で美しい"山"の自然やそこに暮らす人々との出会いを捉え、観るものを魅了する。去年TIFFで上映された『ゼフィール』の卵焼きのシーンにしてもそうなのだが、本作のシンプルな魚料理のシーンといい、"グルメの国"トルコの映画は、簡素な料理でも大変美味しそうに写し、食欲をそそる。現代文明社会の行く末を憂慮しつつも、失いかけている"ホーム"への郷愁を誘い、近年の登山ブームとも呼応しそうな"自然"への渇望感を刺激する作品。

2011年10月18日(内覧試写)
★★★

『羅針盤は死者の手に』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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メキシコから国境を越えて、兄が住んでいるというシカゴを目指す少年が、道中で様々な人と出会い、一緒に旅をすることになる。不安げな"密入国"の旅を始めた一座は案の定、国境警備隊に捕まりそうになるが、一瞬の隙を突いて、少年が駆け出し、人っ子一人いない砂漠の果てへと躍動感豊かに走り出す、という序盤の展開が良い。国境地帯の砂漠の風景も迫力があって苛烈なまでに美しく、登場人物たちが体験することになる砂埃と渇きが観るものにもひしひしと伝わってくる。とりわけ、主人公の少年の顔つきや表情がとても良いのだが、道行くほどに、意外と少なくない登場人物たちが旅の一座に加わっていき、登場人物が増えるに従って、映画の濃度は薄まっていく。やがて、一座の旅が停滞し始める頃には、映画自体の停滞感も目に見えて明らかになっていく。

2011年10月18日(内覧試写)
★★

『別世界からの民族たち』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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移民問題が深刻化する欧州、中でも、右派のベルルスコーニ政権を擁するイタリアだからこそ生まれたと言えそうな、"ある日突然、移民が全ていなくなってしまったら"というSF的発想が具現化してしまった世界を描いたブラック・ユーモアに満ちたコメディ。なのだが、残念ながらその発想の面白さに具体的な内容がついていけない。みのもんたと石原慎太郎を合体したような"キャラ"のTV界の大物が主人公のひとりとして登場し、"移民などは全て津波にさらわれて流されてしまえ!"とTVで暴論を吐くと、その次の日から、家の使用人や、工場の労働者、町の清掃員など、社会インフラを底辺で支える"移民"たちが、忽然とその姿を消してしまう。映画は、なぜそのような事態が起きたのかということには一切触れず、そういう事態になるとどんな事が起こるのか、という日常をトレンディドラマのように小じんまりと描くばかり。"コメディ"であることを殊更強調するかのようなモンド系BGMが映画全編に渡ってべったりと垂れ流されるところも興を削ぐ。

2011年10月17日(内覧試写)
★★

『ガザを飛ぶブタ』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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イスラエル、パレスチナ、いずれの当事者でもない、遠く離れた地、南米のウルグアイに住むシルヴァン・エスティバル監督がイスラエル占領下におけるガザを舞台に、不条理な生活環境を強いられ、生活に困窮しつつも、逞しく生き抜く庶民の姿を、ユーモラスに描く寓話。漁業海域を厳しく制限され、ゴミや小魚しか水揚げがない主人公の漁師の網に、ある日、ブタが絡まっていた。ブタは、イスラム教では不浄な存在とされ、忌み嫌われる生き物だが、「ユダヤ人は、ブタを養殖して利益をあげているぞ、彼らは何でも上手くやってのける」と知人から入知恵さた主人公の漁師は、四苦八苦して、このブタで稼いで生活を立て直そうとする。町中では、イスラムの教えを説く予言者が権威を発揮する中、不浄な生き物ブタの存在を巡って、漁師の宗教観と生活のためのシノギが対立し、矛盾と葛藤を引き起こす七転び八起きの喜劇が展開する。

2011年10月17日(内覧試写)
★★★

『キツツキと雨』 TIFF2011 コンペティション

上原輝樹
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岐阜の山間地帯を舞台に、林業に従事するベテランの"きこり"とその地をゾンビ映画のロケーション撮影のために訪れた映画制作班の交流の悲喜こもごもを、ユーモア豊かに活写、現場で生まれる世代間を超えたり、超えなかったりするイマドキの人間関係を正面から捉え、それに呼応して展開する親子の心の交流までを鮮やかに描き切っている。何といっても、主演の役所広司が素晴らしいのだが、自ら監督した作品の評価がイマイチだった小栗旬が禊を遂げるかのような役回りで出演しているところも皮肉が効いていて面白い。特筆すべきは、撮影を手掛けた月永雄太のキャメラを通して、青山真治監督の『東京公園』にも通じる2011年の日本映画が獲得した透明感が本作でも鮮やかにスクリーンに投影されているように見えるところ。そして、奇しくも『東京公園』と同じく、劇中にゾンビ映画を召還する沖田監督の"映画"への愛は、篠崎誠監督の『死ね死ねシネマ!』や J・J・エイブラムスの『スーパー8』で吐露された"映画"を撮ってしまう事の"取り返しのつかなさ"へのオマージュのようにも見えて興味深い。

2011年10月17日(内覧試写)
★★★☆

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