『TIME/タイム』

上原輝樹
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科学技術の進化で老化は無くなり、全ての人間の成長が25歳でストップする社会。そこでは、25歳になった瞬間から全ての人間の左腕に刻まれたボディ・クロックが起動し、残された時間のカウントダウンが始まる。裕福なものは、その"余命時間"を腐る程持て余し、貧しいものは、"余命時間"を稼ぐために日々の労働に明け暮れている、、。

"遺伝子"がその人間の生涯を決定づけるという近未来SFにおけるノンエリートの"逃走"を『ガタカ』でスタイリッシュに描いたアンドリュー・ニコルが、今度は"貨幣"="時間"をテーマに、富めるものと貧しきものの間に存在する圧倒的な溝の中を疾走する貧者の"闘争"を、貧富の格差が拡大の一途を辿る現実に対する皮肉を込めて描く。

ほとんど、『ガタカ』のセルフリメイクではないかと思うほど、様々な設定やロケーションの"置換"が顕著な本作は、それ故に、アンドリュー・ニコルの作家性が明確に出た佳作と言って良い。イーサン・ホークが演じたノンエリートは、ジャスティン・ティンバーレイクに代わり、主人公と共に逃走/闘争するヒロインは、ユマ・サーマンからアマンダ・セイフライドへと引き継がれ、瀟酒な邸宅のパーティー会場の空気を優雅に振動させたチャーリー・ヘイ デンの"First Song"は、ベベウ・ジルベルトの"In Time"に置き換わっている。

いわゆる"普通の"恋愛ものへの出演が多かったアマンダ・セイフライドだが、彼女のあまりにも大き過ぎる目は、本作のような近未来SFにおいて、より素晴らしい効果を発揮しているように見えるが、20世紀に作られた『ガタカ』よりも本作の未来描写の方が明らかに殺伐としているところが、21世紀における豊かな"未来観"の喪失を物語っているようで、リアルなプロダクション・デザインとして納得できるものではあるけれども、一抹の寂しさが漂う。

個人的には、いつも時間に追われている"時間貧乏"の生活を送っているので、SF映画のありえる/ありえないの設定を超えたところで、非常に身につまされるところの多い娯楽映画であった。



20120216_02.jpg『TIME/タイム』
原題:IN TIME
http://www.foxmovies.jp/time/

2月17日(金)全国ロードショー
 
監督・脚本・製作:アンドリュー・ニコル
製作:エリック・ニューマン、マーク・エイブラハム
制作総指揮:アーノン・ミルチャン、アンドリュー・Z.デイヴィス
撮影監督:ロジャー・ディーキンス
プロダクション・デザイナー:アレックス・マクダウェル
編集:ザック・ステインバーグ
衣装デザイナー:コリーン・アトウッド
音楽:クレイブ・アームストロング
出演:ジャスティン・ディンバーレイク、アマンダ・セイフライド、キリアン・マーフィ、ヴィンセント・カーシーザー、アレックス・ペティファー、マット・ボマー、オリビア・ワイルド

2011年/アメリカ/カラー/109分
配給:20世紀フォクス映画
© 2011 TWENTIETH CENTURY FOX

『猫、聖職者、奴隷』木下香、アラン・ドゥラ・ネグラ

上原輝樹

The_Cat_the_Reverend_and_the_Slave6_09.jpgのサムネール画像

「セカンドライフ」にハマる人々の生活を追ったドキュメンタリーである本作は、「セカンドライフ」と聞いた途端に感じてしまう、ある種の"居たたまれなさ"からどのように逃げ切ろうとしたのだろうか?


本作に実際に登場する彼/彼女らの言動は、「セカンドライフ」にハマってる人ってこんな感じの人じゃないかなあ、と一般の人々が漠然と抱くイメージを大きく裏切ることはないだろう。少なくとも、私の場合はそうだった。


かつては、ものものしく"仮想空間"などと呼ばれて非現実視されてきたネット空間が、フェイスブックやツイッターの普及もあって、今や"現実の延長"として私たちの生活に定着しつつある。同様に、本作に登場する登場人物たちも、「セカンドライフ」上で猫(ファーリー、毛皮に覆われたキャラクター愛好家)のものは現実生活でも猫の着ぐるみを身につけ、現実の聖職者は「セカンドライフ」上でもクリスチャニティを説き、"奴隷"は現実生活でもBDSM的生活を送っている(ようなのだが、この3つ目については、ツッコミ過ぎてお下劣になるのを避けたせいか、よく実態がわからなかった)。


このドキュメンタリーが、当初の"「セカンドライフ」にハマる人々の生活を追う"という宿題を律儀にこなすだけのものであったとしたら、「カプリッチ・フィルムズ ベストセレクション」としてこの場で上映されることもなかったかもしれないが、映画は終盤になって思いもよらない展開を見せる。


キャメラは、突如として、砂漠地帯にCの字でレイアウトされた建物が並ぶ土地を空撮で捉える。そして、その謎めいた地に降り立ち、烈風が吹きすさぶ砂漠地帯にキャンピングカーで乗り付け、そこで風に吹かれながらテントを張る人々や、奇妙奇天烈な造形物、巨大な人形といったおもいおもいのアート作品、生身の裸の女性がくるくる回る"人間バーベキュー"といった、フェリーニ的祝祭空間とでも言うべき得体の知れない人々の自由な姿を捉えるだろう。これは米国ネバダ州で年に一度行われる巨大イベント「バーニング・マン」の風景であるという。


ネット上に他人の目を気にせず好きなコミュニティを作るというアイディアから始まった「セカンドライフ」の起源は、実にアメリカらしい"自由"を夢想するヒッピー・カルチャー、DIY精神の具現化である「バーニング・マン」にあったという、まさに"ラディカル"="根源"に行き着いた時点で、様々な波乱含みのテーマを観客に向けてボンッと投げ出して、この映画は見事に逃げ切ってしまう。


そして、「バーニング・マン」が具現したような"自由"と結びついた"ラディカルさ"="急進性"は、アメリカ以外の土地から出て来た試しがないということを、モンテ・ヘルマン監督の新作『果てなき路』で活用されたデジタル技術に接する態度に確認したばかりの者にとって、明日、boidの樋口泰人氏がこの場に登壇してカプリッチ・フィルムズ代表のティエリー・ルナス氏と対談をするというのは、あまりにも完璧な流れだというほかない。

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