スコリモフスキ@ポーランド映画祭2012

上原輝樹
ポーランド映画祭に来日したスコリモフスキ親子

20121130_01.jpg自らが監修を務めた「ポーランド映画祭2012」のためにイエジー・スコリモフスキ監督が息子のミハル氏と共に来日、11月25日(日)にイメージフォーラムで行なわれた舞台挨拶には、劇場に入りきれない程の観客が詰め寄せ、会場は熱い熱気で包まれた。

何十時間もの飛行機を乗り継いで前日に来日したばかりだというスコリモフスキ監督自身の挨拶は、1年半ぶりの来日を喜びつつも、この場を世代交代の場としたいと語り、息子のミハル氏を観客に紹介する、極めてシンプルなものだった。



ミハル・スコリモスキ監督作品『イクシアナ』上映後のティーチイン

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ミハル・スコリモフスキ監督作品『イクシアナ』は、デビュー作がベストセラーになった人気作家の心理的葛藤を怪奇スリラー風に描いた作品だが、上映後のティーチインで、進行の市川篤氏が「シュールリアリスティックな作品ですね?」との、配慮を施した問い掛けに対して、「自分としてはそうは思いません」と答えるやりとりにも表れていたと思うが、ミハルとしては、怪奇スリラーのジャンル映画を目指して作ったが、ナラティブが混乱しているために、結果的に"シュールに"見えてしまったというのが実際のところではないか。

プロデュースを手掛けた父イエジーに脚本を見せてアドバイスを求めたが、物語が複雑すぎるとダメ出しをされたというミハルは、再度内容を整理し直したという。実際の仕上がりは、現実と妄想の交錯するさまがカオスな状態でまだまだ整理しきれていないように見えた。

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ティーチインで、ミハルはこの映画の制作プロセスが波乱に満ちたものであったことを明かした。ポーランドの映画業界において、現場における撮影監督の立場は絶対的なものであることから、新人監督であるミハルは撮影監督と折り合いがつかず、撮影監督は3日間で現場を投げ出してしまったのだという。そこで近年の父スコリモフスキ作品を手掛けてきたアダム・シコラに撮影をしてもらうことになった。しかし、そもそも、アダム・シコラはそれ以前に撮影監督を打診された時点で、自分のミニマルな撮影スタイルが、ミハルがやろうとしていることの助けになるか疑わしいと言って断っていた経緯もあったのだという。

そうした制作段階でのゴタゴタについて、ミハルが若干の無念さを滲ませていたことは間違いないのだが、それよりも本作の共同監督を務めた彼の兄弟ユゼフが、映画の完成後に不慮の死(その理由には触れられなかった)を遂げており、これから彼なしでどのように映画を作っていけばいいのか、私にはわからないと漏らした、ミハルのつぶやきがこの場の空気をいささかメランコリックなものにしていただろうか。

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それでも、Q&A終了後に、劇場の外でキャメラを向けると、ミハルは快く撮影に応じてくれた。これからの彼の活躍を楽しみにしている。



イエジー・スコリモフスキ、アンジェイ・ムンク『鉄路の男』ティーチイン

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40年という短い生涯で5本の長編映画を作り、ポーランド映画史にその名を残したアンジェイ・ムンク監督、1957年の作品『鉄路の男』は、列車事故を防ごうとして命を落とした鉄道技師の物語だが、ムンクは、主人公の頑固一徹な初老の男を、時代の変化の波についていけない悲劇的人物として立体的に描き出し、周囲の人間が理解しようもなかった、この男の高潔さを、洗練されたナラティブで、力強く描き出している。ここに『鉄路の男』上映後に行なわれた、イエジー・スコリモフスキのティーチインの採録を掲載する。

Q:アンジェイ・ムンク監督との出会いについて話して頂けますか?

A:私はまだ大変若く、17歳くらいだった。恥ずかしい話だけれども、私はポーカーにはまっていて、ありがちな事ではあるが、全財産をすってしまったんだ。ポーランドのザコパネという街でのことだ。その時に、ある映画の出演者募集の広告を見た。応募していくと、最初の質問が、君はスポーツが得意か?というものだった。私は、はい、と言い、映画で主役を演じる男のスタントをやることになった。かなり高い坂を滑り降りてくる役だ、雪山をスキーで降りて、画面に長い間写った後、窪地に一瞬姿が消える、そしてその窪地を出る時には俳優本人がスキーで降りてくるという場面だった。私は足にスキーをつけさせられ、降りてくる様に命じられた。私は急降下で滑り降りたが、窪地に姿を隠すというより、真っすぐ直降下した。そして照明のランプにぶつかって倒れてしまった。雪の中に埋もれて横になっていると、ムンクが近づいてくるのが見えた。そして、私に聞いた、お前は何回スキーをやった事があるんだ?私は事実を言った、これが初めてのスキーです、と。それが彼に気に入られたのか、ムンクは、それ以来大変好意的に接してくれるようになった。

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Q:『鉄路の男』について、スコリモフスキ監督ご自身が最も興味深いと思う点はどんなところですか?

A:これは人生の老年に差しかかっている人物の物語だ。彼はもう全て経験したと思っている、ところが彼の前に更に厳しい状況が待ち構えていた、そして、彼はそれを経験する運命にあった。

Q:ムンク監督から受けた影響について教えてください。

A:まずユーモア感覚が共通している。『鉄路の男』にはユーモアはそれほど多くはないかもしれないが、これ以外のムンク作品にはとても独特なユーモア感覚が溢れている。

Q:独特なユーモア感覚とはどういうものなのでしょうか?

A:彼は大変親切であると同時に皮肉な側面がある。

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Q:この映画の構造は、日本の映画ファンにとっては例えば黒澤明監督の『羅生門』を思い出させたりすると思うんですね、それはつまり映画の構造としていくつかの人の視点によって語られる叙述の形式を担っていたりすると思うのですが、イエジー監督はどう思われますか?

A:非常に洗練された語りです、例えて言うならばトランプのソリティアみたいな映画ではないか、つまり新しいカードが置かれるごとにその次のカードがどうなるかということを予告していく。

Qやっぱりカードゲームがお好きだっただけあって、そういう例えもついつい出てしまうんでしょうか?

A:若かった頃、私が犯した罪だね。

Q:他にムンク監督との面白いエピソードなど、もしあればお聞かせください。

A:大変温かい人物、そして困っている時に助けてくれる人物だった。私は、その後またしても全財産を失うことがあったのだが、そのことを彼が知った時に映画の出演を誘ってくれて、『パサジェルカ』という映画の中で兵隊の役を演じることができた。小さな役柄だから、皆さん注意深く見るように、瞬きもせずに。強制絶滅収容所でも屋外でのコンサートの場面があって、そこに私が出演してるのが分かるはずだよ。

『ヒア・アンド・ゼア』TIFF2012 WORLD CINEMA

親盛ちかよ
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父親がラブソングを娘達に弾き語りで聴かせ、娘2人は照れてクスクス笑いを止められない、そんな幸福なシーンと、アメリカでの出稼ぎという現実が、4章にわたり展開されるアントニオ・メンデス・エスパルサ監督の『ヒア・アンド・ゼア』。舞台は、メキシコはゲレーロ州の山岳部。同州の海辺はアカプルコとして名を馳せる太平洋に面したビーチリゾートである。美しく賑やかなビーチの背面では十分な雇用がなく、父親が米国に出稼ぎにでている母子家庭が質素な生活を営んでいる。

フィクションにこだわりたかったという監督が、コンビニで出会い出演交渉したという主演のペドロ・デ・ロス・サントスから、出稼ぎでお金をため音楽を生業にしたいという夢を聞き、映画化したという作品。ペドロの妻役は実際の奥さんが、娘2人は俳優が演じている。

「here and there」といえば、メキシコとアメリカの関係を指すという社会通念がメキシコにはある。アメリカという国の観念上の存在は非常に大きい。作中にアメリカでの場面が一切ないことで、残される家族が、行ったこともない異国に依存しながら生きる感覚を観客もほんの僅かに味わうだろう。

ペドロが描いているバンドの夢、そして妻が夢想する不在時の夫の生活。想いの丈が募る程、想像は現実にとって変わり、もはや彼らは現実に身を置きながらも半分は非現実の世界を生きているようだ。それでもこの映画に、ほのぼのと優しい気配が漂うのは、重苦しい現実を上回る希望と、南国特有の朗らかな気質が、スクリーンを通して観客に伝わるからだろう。

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