2014年第27回東京国際映画祭<コンペティション>部門:短評

上原輝樹

20141031_01.jpg
『ナバット』エルチン・ムサオグル(アゼルバイジャン)

冒頭の長回しのワンショットで、嫌な予感が漂い始める。何の動きもないのその画面の中で、あり得るのは、画面中央辺りに隠れている山道から、主人公の女性が歩み出て来ることぐらいか?と訝っていると、案の定、イランの名優といわれるその女性(ファテメ・モタメダリア)が重そうな牛乳瓶を携えて坂道を登って来る。アゼルバイジャンの山間地帯の限界集落を丁寧に切り取るキャメラワークは、確かに絵画的美的均衡を保っているが、映画的な何かが欠けている。全てが計算されている、そこに行き着くまでの道程をスクリーン越しにただただ凝視しして待つしかないのか、という気分にさせられる。主人公女性ナバットの孤独に寄り添いながら、ソクーロフ『チェチェンへ アレクサンドラの旅』的手法で、弾丸を見せずに戦争を描くという試みもわからないではないが、少なくとも『チェチェンへ ~』で画面一体に漂っていた一触即発の不穏な空気はこの映画からは漂ってこない。
★★



20141031_02.jpg
『壊れた心』ケヴィン(フィリピン/ドイツ)

コマ落ちしたムービーを上手く処理したオープニングに一瞬心を許しそうになるが、次に心が弾む瞬間が到来するまで約30分間待たなければならなかった。主演の浅野忠信をハイスピードカメラで捉えたらしき、スローモーション映像とノイジーなサウンドトラックが体中の血液を沸き立たせる、開始約30分後に訪れた喜びの時間は数分で終わり、あとは微妙にスイートスポットを外す雑多なストリートミュージックのプロモーションビデオを続けざまに何曲も見せつけられたという気分。あまりに空疎な空騒ぎ。




20141031_03.jpg
『1001グラム』ベント・ハーメル(ノルウェー)

ノルウェーの名匠ベント・ハーメルの『1001グラム』は、測量研究所に勤める女性研究員を主人公に据え、管理が行き届いた国立の研究所と一人暮らしの瀟酒なアパートメントとの間を規則正しく往復する、主人公の静かな生活を描くが、そこには、そこはかとない孤独の影が漂っている。そんなある日、国際キログラム原器を運ぶべくパリへ赴いた彼女は、同じ学会に出席したフランス人男性と出会い、ささやかに意気投合する。生真面目な女性主人公の心が、ラテン的おおおらかさを見せる男性の登場によって、徐々にほぐれされてゆく。北欧的美意識が端正に行き渡った画面は美しいが飽くまでスタティックな印象は拭えず、フランス人男性の登場も、映画にささやかな起伏を与えはするものの、こじんまりとした佇まいに行儀良く収まっている。皮肉なブラックユーモアとそれに見合ったロマンティシズムが息づいた前作、『クリスマスのその夜に』(10)を超えているようには思えなかった。
★★☆



20141031_04.jpg
『来るべき日々』ロマン・グーピル(フランス)

カメラを向けると不吉なことが起こる、という事態に捉われた主人公の映画監督を、ロマン・グーピル自身が演じている。出演は、彼自身に加えて、彼の奥方、こども、政治活動を共にした古くからの友人達、彼を慕う映画作家の友人達(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ、ノエミ・ルヴォスキー、アルノー・デプレシャン、マチュー・アマルリック)が顔を揃えており、彼らと共に、グーピルは、映画が作られていく、あるいは、"作られていかない"プロセスを、物事が民主的に"決まって行かない"プロセスを、そして、人が"死んで行かない"プロセスを、逞しいユーモアと共に描いて行く。"闘う映画"にして最高のユーモアに満ち溢れた、人生に必要なものが沢山詰まった逸品。指摘されている通り、コンペ作品というよりは、ワールドシネマ部門の方が収まりが良いはず。
★★★★



20141031_05.jpg
『破裂するドリアンの河の記憶』エドモンド・ヨウ(マレーシア)

元気なだけが取り柄の素朴な高校生ミンは、美しい、漁師の娘メイ・アンに惚れている。この年の男女にありがちな傾向とはいえ、暮らしも楽ではないメイ・アンは、中流家庭に育ったミンよりも余程成熟していて現実を直視しているが、ミンは後先考えずに突っ走ろうとする。その馬鹿力こそが、時には人生を切り拓く力になるのかもしれない、見るものにそんな期待を抱かせる、マレーシアの都市から緑豊かな近郊の地へとロードムービーさながら恋の逃避行を繰り広げる青春映画は、映画半ばにして変調する。メイ・アンはある事件をきっかけに高校から姿を消し、今度は、魅力的な女性教師リムがミンの前に現れる。リムは、母国マレーシアが辿ってきた悲惨な歴史を授業を通じて生徒たちに教え、現実を変えるには、自らが闘わなくてはならないと生徒たちに訴える。折しも、地元では、レア・アース採掘工場が地域の環境を破壊していることが問題になっており、リムは、この工場の建設に反対する抗議活動に生徒を動員しようと試みる。基本的に、美しい女性に目がないミンは、リムに大いに感化されるのだが、、。十代の学生同士の等身大の青春映画として始まった本作は、やがて、社会問題を通じて社会参加して行くことの必要性を訴える、堂々たる政治映画に変調していく大胆な構成に驚かされるが、むしろ興味深いのは、この2つのテーマが推移する結節点に位置する、公園におけるミンとバーで働く年上の女のエピソードだ。映画を見に行こうと女を誘うミンに対して、女は、「女にとって、映画館は寒すぎるの。それと、映画って美しすぎるから」行かないと言う。そして、ミンに「抱き合っているふりをして。彼女に妬かせたいの」と言い、二人は静かに抱き合う。二人は、ダブルデートでこの公園に来ていたのだが、もう片方づつが先にカップルになってしまい、ミンと女は、余ったもの同士だったのだ。このシーンの切なさが私の胸にずっと残っている。
★★★★



20141031_06.jpg
『紙の月』吉田大八(日本)

日本的共同体の嫌らしい部分をジリジリと突いてくる、『桐島、部活やめるってよ』でも見せてくれた、吉田大八監督の社会派ブラックコメディの才能は本作でも健在。"社会派"というと説教臭くなり勝ちだが、決してそうはならないところが吉田監督の巧いところ。そして、今回も"エンディング"のアイディアを持っている。宮沢りえと池松壮亮の出会い、二人の蜜月の時間の描写があっさりしていて情感に乏しいのは、映画を"ラブストーリー"として捉えていない、監督の腹づもりがあるのだろうか?俳優陣では、宮沢りえはもちろん、大島優子がとても良い。前田敦子然り、AKBで中心にいた人たちは、結構肝が据わっているのか、そのふてぶてしさがスクリーンで映える。ただ、コンペ作品としては、日本語の微妙なニュアンスの面白さなど、大島優子を含めたドメスティックな価値が、日本社会的文脈を超えて、外国人審査員にどれ位伝わるのかが疑問。
★★★☆



20141031_07.jpg
『メルボルン』ニマ・ジャウィディ(イラン)

若いカップルが、メルボルンへの海外留学へ旅立つべく、希望に胸を膨らませながらも、慌ただしく、その準備に忙殺されている。出発当日、さまざまな訪問客や電話が彼らの作業を中断させる折も折、近隣住人の赤ん坊まで預かることになるのだが、、、。そもそも、この忙しい最中、見ず知らずの赤ん坊を預かるものだろうか?などなど、非常に作為的な作りで個人的には全く受け付けなかった。映画的現実における"赤ん坊"の命の扱いが、物語を語るために利用されているところがどうにも納得いかない。こういう手法を、"観客を人質にとる"というのではないか?
★★



20141031_08.jpg
『アイス・フォレスト』クラウディオ・ノーチェ(イタリア)

電力発電所を擁する雪山の村を舞台に、閉鎖的なコミュニティの面々と、そこで秘かに行われている謎めいた活動をサスペンスフルに描く、イタリア産雪山ノワール。エミール・クストリッツアをはじめ、俳優陣は皆いい顔をしているが、撮影対象とキャメラの距離、サスペンスフル過ぎる雰囲気重視のナラティブが上手く行っていないとしか思えず、この映画を見ながら、改めてギヨーム・ブラックの『やさしい人』における撮影対象とキャメラの距離の適切さを見直したいと思ってしまった。難民問題をサスペンスに落とし込んだ、原作小説はちょっと面白そう。
★★



20141031_09.jpg
『神様なんてくそくらえ』ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ
(アメリカ、フランス)

ニューヨークのストリートにおける、ジム・キャロル「バスケットボール・ダイアリーズ」やアル・パチーノが主演した『哀しみの街かど』(71)、女性が主人公という点で言えば、素人を俳優としてキャスティングした『クリスチーネ・F』(81)直系のジャンキーの若者の物語だが、21世紀的なのは、主人公を演じる女優アリエル・ホームズが自らのドラッグ体験を元に演じている、といったところか。NYのストリートとローファイなシンセサイザーの組み合わせは新鮮だったが、キャメラが登場人物に寄り添い、街にとけ込んだ撮影は、ジョン・カサヴェテスがフィルムで行った時代とは比較にならない程容易に行える環境が整った現代において、ただそれだけでは、それほど特筆すべきことのようには思えない。いよいよ物語が動き始めるのか?と思われた、主人公を後ろに乗せて、二人乗りのバイクが疾走し始めたところで、ジョージ・キューカーの『有名になる方法教えます』(54)を見に行くために席を立ったので、この作品についての評価は保留します。




20141031_10.jpg
『マイティ・エンジェル』ヴォイテク・スマルゾフスキ(ポーランド)

作家として成功を収めた主人公がハマるアルコール依存症の世界を、考えられる限りのバッドなシチュエーションを尽くして、悲惨な状態を描出する悪夢的映画。主人公を演じるロベルト・ヴィエンツキェヴィチの演技はほとんどスラップスティック・コメディの領域に達しているが、映画は"アルコール依存と作家"のモチーフにはあまり踏み込まず、結局、お酒って怖い、と言ってるだけの映画にしか見えない。週末になると道端で酔い潰れているサラリーマンが珍しくもない、この国の人間は、この映画を見てちょっとは反省した方が良いのだろうか?
★★



20141031_11.jpg
『草原の実験』アレクサンドル・コット(ロシア)

"牧歌的"というには余りにも画になる顔つきをした坊主頭の父親と美しい娘が、映画冒頭から独自の存在感で見るものを惹き付ける。台詞を一切排したこの映画は、全てをアクションと登場人物の顔の表情で語っていくが、説明されないまま謎として物語の進行上積み残されたディテールは、やがて訪れる驚くべき展開によって明らかにされるだろう。"アンチ・ニュークリア"なメッセージを濃厚に滲ませる本作は、広島があり、福島があり、『ゴジラ』を産んだ、この国に住むものにとってのみならず、もはや全人類が宿命的に避けて通ることのできないテーマを正面から扱った作品だが、そのテーマ性に負けない、映画的強度を備えているところが素晴らしい。
★★★★☆


※『マルセイユ・コネクション』『ザ・レッスン/授業の代償』『ロス・ホンゴス』『遥かなる家』はスケジュールの都合で未見。

Recent Entries

Category

Monthly Archives

印刷