『KOTOKO』フィルメックス2011 特別招待作品

浅井 学
20111130_01.jpgCoccoのライブパフォーマンスやPVに映し出された姿を見て、女優として映画を撮りたいと願った監督やプロデューサーは多かったのではないだろうか。それほど彼女の内包する純粋性と狂気、少女と母、バレリーナのしなやかさと飢餓的な痩躯、その秒単位で入れ替わる多面性は魅力的に思える。塚本晋也監督も長年、女優Coccoに恋いこがれてきたという。「昨年、7年介護した母が亡くなった。Coccoはそれから間もなく私の前に現れた」とまるで"運命の女"と出会ったかのように語っている。今回、彼女のライブに密着し、インタビューを繰り返し日常の言葉にも耳を傾け、その内面を描くシナリオを作り上げた。
幼い子どもを一人で育てる母、KOTOKOは、過剰な愛情と強迫観念によって我が子が何者かによって襲われるのではないか、殺されるのではないか、あるいはこの自らの手で...。悪夢と幻視によって壊れかけた時、自分を愛する男(塚本晋也)に出会い、幸福な明日を夢見るのだが...。それにしても、主人公KOTOKOの設定である、シングルマザー、育児ノイローゼ、自傷、精神疾患、サディスティックな性格などは、ややスキャンダラス気味に伝わってくるCocco像そのもので、それを本人が"演じる"という摩訶不思議さ。血と笑いと狂気と爆音、鬱積から炸裂へ向かう塚本ワールドをBGMにして、吹っ切るかのように女優Coccoがスクリーン上でぶちまける。

『オールド・ドッグ』フィルメックス2011 コンペティション

上原輝樹
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チベットの広く閑散とした土地に平たく軒を並べる建築物が、さながら失われゆく映画のセットのような哀愁を帯びた佇まいで人気の薄い街中に辛うじて立ち並び、近代化の波をその"音"で伝える建築現場から発せられるまばらな騒音が、街を不穏な気配でみたしている。その街中をオートバイに引かれて走る"老犬"の荒くなっていく息を捉えるオープニング・シークエンスのサウンドは、ラストシーンで気高い誇りを示した後の老人の荒い息を同価のものとして的確に並置することで、今や希少価値となってしまった"老犬"と近代化の中で危機にさらされているチベット民族の"誇り"を観客の脳裏で二重写しのイメージとして構成させることに成功にしている。
物語の伏線を構成する"音"作りはもとより、羊の放牧を生業とする誇り高き老人の一家が住まう、丘陵地帯を覆う曇天の空と雲、西部劇のゴーストタウンのような田舎の町並みを端正な映画的構図に収める画作りが素晴らしく、せっかくなら、この画をフィルムの質感で観たかったという欲求に駆られることを否定し得ないものの、どうやら、この映画は、綿密に計画された部分以外にも幾つかの偶然(群れから離れてしまった迷える羊が図らずも見せてしまった名演技や、演出しようのない"雲"の見事な佇まい)をも味方につけた強運に恵まれているようだ。本作が長編映画3作目で、チベット語、中国語による小説が幾つもの文学賞を受賞しているというペマツェッテン監督の今後の更なる活躍を楽しみにしたい。

『グッドバイ』フィルメックス2011 コンペティション

上原輝樹
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2010年3月にジャファル・パナヒ監督と共にイラン当局に逮捕された本作の監督モハマド・ラスロフは、釈放されてすぐに本作の撮影に取りかかったのだという。
イランのアフマディネジャド政権下、密室劇のような緊張感で、テヘラン市民が現在進行形で経験している日常を覆う恐怖を描いた本作は、ロージーやポランスキーが得意とする社会から孤立していく個人を描くカフカ的不条理劇の一歩手前で立ち止まり、とりわけ"女性"の置かれている立場の不条理を現実そのものとして炙り出すことに集中している。グレー、ブルー、ホワイトの寒色系で統一された色彩設計の中で、微かな自由への希望を象徴する赤のマニキュアの色も、彼女が追い詰められて行くに従って、その色彩を失って行く。受難が続く日常の中で、彼女は腹に宿った子を産むことの不安に苛まれる。
釈放されたばかりの監督が、自らの体験も踏まえて描いたに違いない本作は、マルコ・ベロッキオ監督が、30年前の"鉛の時代"に「赤い旅団」が起こした誘拐殺人事件を描いた傑作『夜よ、こんにちは』で効かせたのと同種の"抑制"を効かせ、祖国を捨てなければ生きていけない人間の絶望と受難をミニマリズム的シンプルさで描く。"従順さ"を強いる共同体に潜在する見えざる意思の恐怖が雄弁に伝わってくる佳作。

『カウントダウン』フィルメックス2011 コンペティション

上原輝樹
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一人息子を失って以来、冷酷な取立屋として生きてきた主人公(チョン・ジェヨンが好演)は、ある日医師から末期肝臓がんを宣告される。生き延びるには、10日以内に移植手術を受けるしかない、ということでサバイバルへの"カウントダウン"が始まる。
ソダーバーグのオーシャンズ・シリーズを彷彿させるラウンジ系BGMがテンポの良いストーリーテリングに拍車をかけるスタイリッシュなアクション映画、かと思いきや、そうは単純に行かないのが韓国映画の面白くもやっかいなところ。意味不明なエンディングにズッコケさせられた、傑作『下女』のリメイク、『ハウスメイド』の女優チョン・ドヨンがまたもや周囲を欺くトンデモ女"ミス韓国"として暴れ回るところが痛快!というところまではまずまず想定内だったが、亡くなった一人息子と父親である主人公との秘められた過去が、追跡劇のクライマックスに絡めて描かれていくと、物語は次第に父子の人間ドラマの様相を呈していき、この父子の号泣エピソードがすべてを洗い流していく。
確かに、終盤のエピソードは"盛り過ぎ"の感はあるが、初の長編映画監督作品としては、これぐらいやり過ぎてしまう位が頼もしい。本作の半分は"ギャング映画"でありながらも、銃弾が1発も飛び交わない、というところにも、ホ・ジョンホ監督の"人間臭い"喜劇への志向性が垣間見えて興味深かった。

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