父親がラブソングを娘達に弾き語りで聴かせ、娘2人は照れてクスクス笑いを止められない、そんな幸福なシーンと、アメリカでの出稼ぎという現実が、4章にわたり展開されるアントニオ・メンデス・エスパルサ監督の『ヒア・アンド・ゼア』。舞台は、メキシコはゲレーロ州の山岳部。同州の海辺はアカプルコとして名を馳せる太平洋に面したビーチリゾートである。美しく賑やかなビーチの背面では十分な雇用がなく、父親が米国に出稼ぎにでている母子家庭が質素な生活を営んでいる。
フィクションにこだわりたかったという監督が、コンビニで出会い出演交渉したという主演のペドロ・デ・ロス・サントスから、出稼ぎでお金をため音楽を生業にしたいという夢を聞き、映画化したという作品。ペドロの妻役は実際の奥さんが、娘2人は俳優が演じている。
「here and there」といえば、メキシコとアメリカの関係を指すという社会通念がメキシコにはある。アメリカという国の観念上の存在は非常に大きい。作中にアメリカでの場面が一切ないことで、残される家族が、行ったこともない異国に依存しながら生きる感覚を観客もほんの僅かに味わうだろう。
ペドロが描いているバンドの夢、そして妻が夢想する不在時の夫の生活。想いの丈が募る程、想像は現実にとって変わり、もはや彼らは現実に身を置きながらも半分は非現実の世界を生きているようだ。それでもこの映画に、ほのぼのと優しい気配が漂うのは、重苦しい現実を上回る希望と、南国特有の朗らかな気質が、スクリーンを通して観客に伝わるからだろう。