『檻の中の楽園』TIFF2012 natural TIFF

親盛ちかよ
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ドゥニ・コテによる静謐なドキュメンタリー作品。ナレーションや音楽はない。稀に、バックグラウンドの遠い会話の声をカメラが拾う。文明社会にある動物の姿を固定カメラで切り取ったフレームは、ドライな目線を保っている。原題の"Bestiaire"は「動物誌」の意。観る者に一切の理解を委ねるこの映画のスタイルを尊重して邦題も「動物誌」に停めるべきだったのではと思う。

スケッチの場面、鉛筆のはしる音で映画は始まる。クラスでは複数の男女が子鹿を描いている。剥製の複雑な毛の模様が少しずつキャンバスに写されていく。彼らはそこに何を観ているのか?姿形を模写する作業に熱中しているのか、その背景に森や親鹿をみているのか。

カナダはケベック州、冬のサファリパーク。アップで映る動物の濡れたピンク色の鼻が小さく動く。漆黒に光る目は真直ぐにカメラを見つめており、観客はしばし黙想的な眼差しの交換をすることとなる。涙にぬれる黒目は瞬きもせず、思慮深くこちらを観察することを止めない。

テーマパークの舞台裏では着ぐるみをきたキャストが頭を外して休んでいるが、出番が近づき自分でジッパーをあげて出て行く。剥製師の工房では、鳥の体に詰める発泡スチロールを成形している。サンダーで鳥らしい丸みを帯びた形に削っている。肉を取り除かれた首や足は針金で固定される。動物園では熊にエサをやっている。後ろ足でたった数匹の熊が順番を待って投げられた魚を上手にキャッチしている。夏の動物園には賑わいが増す。悠々と歩くキリンの前に渋滞するサファリの車。

鑑賞後に抱いた感情は整理するのが難しい。「人」という動物とその他の動物の関係に然したる進歩はない。乱獲など極端な例をあげずとも、愛着や憧憬の果てにすら、こちら側の都合で生きることを私達は一部の動物に強いている。

静寂がひろがる映画館で、動物が小さく鳴らした鼻の音を聴く時、4本の足が固い地面を踏み走る音を聴く時、誰しもが、文明だのデジタルだのをすっ飛ばして呼応する生命の深淵に引き戻される自分に気がつくだろう。そこには言葉やコードを必要としないコミュニケーションが存在する。命の連携・連帯は自然界の最も洗練された法則に則り、私達の心を捉えてやまない。人は、どんな先端機器で装備したとしても、結局は、この寡黙な友人達と同じ世界の住人なのだ。

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