『ブラック・ブレッド』アグスティー・ビジャロンガ

上原輝樹
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映画の冒頭、馬車の一行は何者かに襲われ、車中の子ども諸共、谷底に突き落とされてしまう。この馬が落ちていくところを数台のキャメラで捉えたショットが迫真に迫っているのだが、それもそのはず、撮影では実際に"死んだ馬"が使われたのだという。馬にしてみれば、もう既に死んでいたとはいえ、撮影の為にもう一度死んだ(殺された)ようなものではあるまいか。

谷底に落ちた一行の存在に気付いた主人公の少年アンドレウは、山道を駆け下りていき、粉々に破損した馬車を見つけると、そこには瀕死の少年が血みどろで横たわっている。少年は、血が川のように伝う顔の中の目を見開き、アンドレウを凝視し「ピトルリウア」とだけ言い残し死んでいく。アンドレウは目撃したことを大人たちに伝えるが、彼らは、厄介な事になったと言い、狼狽の色を隠さない。このスペインの山間地帯の村には、何か不吉な秘密が隠されているに違いない。ちなみに、「ピトルリウア」とは、おとなしい小鳥を指す名前であると同時に、洞窟にいるとされる怪物の名前であるという。

映画の舞台は、内戦(1936~39)直後のスペイン、カタルーニャ州をモデルにしていることが、物語の設定とカタルーニャ語を使っていることから推察される。カタルーニャは、内戦で敗者となった共和国政府を最後まで支持したこともあり、フランコ独裁政権から過酷な弾圧を受けた州として歴史的にも知られている。スペイン内戦については、人民戦線側の義勇軍に参加したジョージ・オーウェルのルポルタージュ『カタロニア讃歌』があまりにも有名だが、本作は、ミステリーというジャンル映画の形式を用いて、内戦が人々を勝者と敗者に、富める者と貧しき者に分断し、道徳観の荒廃をもたらしたことを、この村の陰惨な日常風景の描写を通して浮かび上がらせようとする。軸となるのは、主人公アンドレウの父親、そして、母親、教師、従姉、翼を持った美少年らとアンドレウの関係性だが、いかにもスペイン映画的というべき、マジック・リアリズム描写は控え目に抑えられ、その分、ミステリー的意匠が映画のそこかしこにちりばめている。

20120709_02.jpg「元気で過ごせ、それが子どもの唯一の義務だ」とアンドレウに言い聞かせる父親は息子からは篤い信頼を寄せられているが、内戦の末、敗者となり不遇をかこっており、当局からも睨まれている。母親は、そんな夫の身を守り、家族の生活を支えるべく身を粉にして働いているが、上手く順応出来ない夫に対して不満を持っているようでもある。学校の教師は、「私は勝者を支持する、金持ちは貧しい者よりも価値がある」と語る破廉恥漢のアル中であり、そんな教師に学ぶ子どもたちの間には、偏見や不寛容が巣食っている。

そんな息がつまる村の生活の中で、アンドレウが出会う二人の人物がいる。一人は手の指を爆弾で失った美少女の従姉であり、もう一人は、川で全裸で行水する年長の美少年である。年長の美少年は、背中から翼を生やし、この退屈な森から飛び立っていくことを夢見ている肺病患者であることが仄めかされている。心に深い闇を抱えた従姉は、性的に自分を解放することで精神の自由を得ようとするだろう。大人たちは、世界を沈黙と秘匿で塗固め、子どもたちは、偏見と抑圧と無知に囲まれた世界の中で、鈍感に年老いていくか、魂を病んでいくか、あるいは、この森を抜け出すしかない。

20120709_03.jpg当局から身を隠していたはずの父親と思わぬ形で再会したアンドレウは、父親から言葉を授かる。「鳥は自由に飛ぶために生まれた。私も鳥と同じだ。何を理想とし、何の為に生きるかは個人の自由だ。それが叶わないと人は邪悪になる。だから、皆理想の為に闘うんだ。」しばしば、本作で発せられるこうした台詞は、瞬間的に、人間の営みの真実を突いているように聴こえる。しかし、映画は、こうした台詞を物語の核心に据えるわけではなく、複雑なプロットの中に迷い込ませ、やがて、真実めいた響きを奪い取ってしまうだろう。むしろ、この映画を支配するのは、そうした"邪さ"であると言うべきかもしれない。

内戦の末に破壊された共同体では、何一つとして全うな存在が残らない。それは"子ども"も例外ではない。実際のところ、ネオレアリズモ的とでも言うべき社会性を帯びた主題を持った本作が、ミステリー仕立てで料理されたことによる素材と演出の相性は、原作小説では上手くいっていたとしても、映画的に正しかったのかどうかは疑わしいが、共同体を蝕んだ"邪さ"を映画に行き渡らせる苛烈さを以て、スペイン内戦の過酷な過去に向き合おうとしていることに疑いの余地はない。その意味で、冒頭の2度死んだ馬はこの映画の基本的なスタンスを示す上で象徴的ですらある。エンディングでは、心を押し殺した少年が一瞬だけ垣間見せる"感情"がほんの一瞬だが胸に迫り、また"邪さ"の向こうに遠のいて行った。



『ブラック・ブレッド』
原題:PA NEGRE
http://www.alcine-terran.com/blackbread/

6月23日(土)より、銀座テアトルシネマ、ヒューマントラストシネマ渋谷他、全国順次ロードショー
 
監督・脚本:アグスティー・ビジャロンガ
撮影:アントニオ・リエストラ
原作者:エミリ・タシドール
出演:フランセスク・クルメ、ノラ・ナバス、ルジェ・カザマジョ、マリナ・コマス、セルジ・ロペス

2010年/スペイン、フランス/113分/カラー/デジタル/35mm/ヨーロピアンビスタサイズ/ドルビーステレオSR
配給:アルシネテラン
© Televisio de Catalunya, S.A (C) Massa d'Or Production Cinematografiques i Audiovisuals, S.A

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