NO NAME FILMS

上原輝樹
20111130_02.jpg
個人的には全10作品の中で、吉野耕平『日曜大工のすすめ』、伊月肇『トビラを開くのは誰?』、阿部綾織・高橋那月『ニューキッズオンザゲリラ』、ジェームス・マクフェイ『バーニングハーツ』、木村有理子『わたしたちがうたうとき』の5作品が面白かった。10作品中5作品が面白いという確率は、例えば、今年のTIFFやフィルメクスとの比較で言えば、10作品中4作品程度が面白かったという確率に比べても、かなりハイアベレージと言ってよい。こうした機会に若い映画作家の作品を並べて観ることができるのは、観客にとっては多様な楽しみ方を享受でき嬉しい限りだが、当の映画作家たちにとっては、横並びで否応無く比較、評価される試練の場として機能しているはずで、その事自体が、残酷な現実を若い映画作家たちに突きつける。それはとても健全な試みなのだと思う。

吉野耕平監督の『日曜大工のすすめ』は、映画作家的というよりは、CMクリエイター的感覚の繊細にスタイリングされた映像で、"普通の人々"のすぐ隣りにある闇を描く。無さそうで有りそうな話のまとめ方が洗練されていて印象に残る。ジェームス・マクフェイ監督『バーニングハーツ』のワンシーン・ワンショット、アクションシーンの横移動長回しショットは、ゲーム世代ならではの新感覚が面白く、阿部綾織・高橋那月両監督『ニューキッズオンザゲリラ』では、柄本佑演じる同性愛者ステラの人物造形が群を抜いて魅力的だった。

20111130_03.jpg木村有理子監督の『わたしたちがうたうとき』と伊月肇監督の『トビラを開くのは誰?』は、恐らく誰が観ても傑作と思うレベルの作品だ。木村有理子監督の"音"に対する感覚は他に比べる対象が思い浮かばない位、独特なものがある。伊月肇監督の『トビラを開くのは誰?』は、童話の世界、そのもののような映画だ。怖くて、悲しくて、そして、どこか懐かしい。

木村監督も伊月監督も、屋外の空気感、時間の感覚を捉えることに長けているように思う。『わたしたちがうたうとき』の日が暮れてゆく時間帯を二人が歩いていくエンディングシーンは、子供の頃、何か怖い気配を感じると、声に出してうたうことでその怖さを紛らわせた、そんな万人の心に残る記憶を呼び覚ます、忘れ難い短編映画クラシックとなる予兆に充ちている。

20111130_04.jpg『トビラを開くのは誰?』もエンディングが秀逸だ。夜の闇の奥の奥まで飛んでいき、消えてゆく青い風船は、ことによると、瀬田なつきの『あとのまつり』で、遠くへ遠くへ飛んでいき、最後にはパンと破裂して消えてしまう赤い風船と対を成しているのかもしれない。瀬田なつきの破裂してしまう情熱の色<赤>を纏った風船に対し、ブルース(憂鬱)の色<青>を纏い、破裂することなく、どこまでもどこまでも、宇宙の果てまで飛んでいく風船は、破裂してしまわない限りにおいて、母親は消えてしまったのではなくて、どこか遠いところに存在し続けている、という感触を少年の心の中に残し続けるのだろう。

20111130_05.jpg

Recent Entries

Category

Monthly Archives

印刷