OUTSIDE IN TOKYO
HIGUCHI YASUHITO & SUGITA KYOSHI INTERVIEW
【PART1】

杉田協士&boid樋口泰人『ひとつの歌』インタヴュー【PART2】

5. ヴェンダースが剛に羽を書いてくれた。天使でもいいのかもな、この人って(杉田)

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樋口:吉祥寺でやった時はまたちょっと、もっと街に溶け込んだ感じで。
OIT:なんか凄く楽しかったらしいですね。
小倉:結構ね、自分担当のところ見過ぎで、もう150回くらい見てるんです(笑)。他の4カ所行くと、あ、こんな感じなんだって凄い新鮮。
OIT:ところで、boid new cinemaは、爆音じゃなくて<微音>って書かれてますね。
樋口:音の問題っていうよりもさっきの監督の姿勢の問題っていうか、メディア(触媒)になるっていうのを<微音>っていう風に、自分を声高に主張しないっていう意味合い。自分を表現するっていう映画とはまたちょっと違う、という意味を爆音に引っ掛けてそういう言い方をしてみたという。
OIT:それはデジタルとかフィルムとかっていう話とは関係ない?
樋口:あまり関係ないですね。逆に言うとデジタルでないとあり得ないような映画なのかもしれない。結果的にフィルムで上映しようが。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』(06)で中原(昌也)が死んでから百葉箱の中をぱっと開けると中原の昔の映像がビデオ画面で流れるシーンがあるんです。あのシーン凄い好きで、なんかビデオ画面でそこにいない人を映すとめちゃくちゃハラハラするんだっていう。昔の映画の中で8mmを見るシーンとかって結構あるけど、トム・クルーズが8mm一生懸命見てたスピルバーグの映画って何だっけ?
杉田:『マイノリティ・リポート』(02)。
樋口:ああいうシーンが更になんか儚く見えてくるっていうか、ビデオだと。それでビデオって無いもの映すと力はあるんだ、もう電子情報になってここら辺をうろうろ飛び回ってるものをキャッチ出来るのかみたいなことも思ったりするわけです。実際の人間の視線に捉われない視線みたいな、ある現代的な情報になってしまって浮遊しているんだけど人間の視線ではなかなか捉えられないものをキャッチする能力があるって言えばいいか。今あるものの向こう側やこちら側にある時間の層を映すっていう意味で、もしかするとフィルムよりビデオの方が向いてるかも、ビデオっていうかデジタル情報の方が向いてることがあるのかもしれないっていうようなことは思ってました。
OIT:キネ旬掲載のヴェンダース『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(10)論で、そのことをおっしゃってましたね。
樋口:かもしれないですね。ヴェンダースは時間の配置とか、元々から気にしてる人で、新しい技術を取り入れるのもゴダールと同じくらい早い人だったんで。そういう意味では自分がヴェンダース見てきたっていうのはかなり影響されてるとは思いますね。
杉田:ちょっとずれますけど、ヴェンダースに去年会えたんですよ、新宿の飲み屋で。その時の自分で作ってたチラシが松を剪定してる剛の写真なんですけど、サインくださいって渡したら、じっと眺めて、剛に天使の羽を書いて天使にしたんですけど、凄いしっくりするって思ったんですよ(笑)。天使でもいいのかもな、この人って。


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