OUTSIDE IN TOKYO
HIGUCHI YASUHITO & SUGITA KYOSHI INTERVIEW
【PART2】

杉田協士&boid樋口泰人『ひとつの歌』インタヴュー【PART1】

6. 映画でやろうとしてる時間は、今まで生きてきてどんどん記憶が薄れていく中で
 ぼやっと思い出す場面、その集積(杉田)

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OIT:この映画自体、そういう時間で構成されていますよね。
杉田:そうですね、これも黒沢さんがよく言いますけど、それを見てしまったことでその後の人生が変わるぐらいの何かみたいな、確かにそこに対しての思いも、っていうか映画には絶対そういう時間が出てしまうので、あるんですけれども、取り返しがつかない、その人にとって世界が変わってしまう瞬間が、それはそれとしてあるけど、その人はまたずっと生きていかなきゃいけない、その映画も続いていかなきゃいけないっていう、もしかしたらのっぺりしてるかもしれない時間。
OIT:何かが起こった後の映画っていう感じですよね。お母さんだけじゃなくて、庭師として行く家もお父さんが亡くなっていて、友達が集まる家も。
杉田:あれ全部同じ家です。
OIT:あれ全部同じ家ですか?2軒じゃないんですね。
樋口:最初、混乱するよね。何度か見て、あーこれは同じだって(笑)。
OIT:背景の景色とかだいぶ違いますよね、凄い広い家なんですね。
杉田:実は、あの家は、あの庭師2人の師匠の家なんです。だからおかみさんって呼んでるんです。無償で毎年、夏ちょっとだけ家をいじりに来て、おかみさんを助けてあげてるっていう。
OIT:なるほど、この映画は色々あとで分かることの体験が豊かなんですけど、あんまり言い切っちゃうのも抵抗ないですか?例えば最初の事故の場面とか。
杉田:あ、それは全然抵抗ないです。もう言っちゃっていいぐらいです、本当の話。
OIT:突き落としたんじゃないかとか。
杉田:あれは、清水があの日本当は自分が自殺しそうになってるんです。剛が桐子のお母さんの写真撮り終わっていなくなった後、清水がふらふらっとホームの縁に行って、それにお母さんが勘づくんですよ、この人飛び込むって。それを電車が来るタイミングで止めようとしたり、なんかもみ合ってるところでお母さんの方がはねられちゃったっていう、で、死のうと思ってた人が生き残っちゃったっていう話です。
樋口:最初見た時は、もう完全に清水が死んだんだと思ってた、幽霊を追いかけてるって思って見てたんで、一番最初(笑)。
杉田:『シックス・センス』(99)みたいな、見えないものが見える人の話(笑)。実際そう見ていて面白かったって言ってる人もいるので。
樋口:枡野さんの存在自体が既に普通の人間っぽく映ってないから。
杉田:何もしてないのにそうなっちゃったんですよね。現場でベンチに座ってもらった時に、なんかやばいなっていう(笑)。もちろんその予想っていうか予感を持って枡野さんをキャスティングしたのにここまでかって。
樋口:『パレルモ・シューティング』(08)のデニス・ホッパーみたいな(笑)。
杉田:あんな光ってないです(笑)。
樋口:そんな感じにしか見えないもん、枡野さん(笑)。
杉田:なんか選んだ衣装も普段は1枚では着ない凄い薄手のTシャツを着てもらったんですよ、ピンク地の。それがまた当日いい風が吹いてて。
樋口:半透明な感じも含めて、もう全然その場にいる人には見えない。
杉田:本当に変な撮影でしたね、枡野さんがいる日は。何をやってるのかよく分からなくさせてくれる。僕が段取り説明して、一応動きだけは決めて、じゃあ今からセッティングするんで、僕がよーい、はいって言ったらやりますよ、分かりましたって。飯岡さんのところに行って準備してると、枡野さんが動きをもう始めてるんです。だからカメラ回して回してみたいな、で撮って、もっとちゃんと言わなきゃいけないんだ枡野さんにはと思って、僕がよーい、はいって言ったら始めてください、分かりましたって、何回言ってもやるんです(笑)。だからもう全部地続きで、よーい、はいの世界じゃないんですよ、今こっから映画始めますってならないんです。でもご本人は芝居してるんです、本当に。そういう枡野さんの性質というか、体が持ってた時間が『ひとつの歌』にはかなりあったっていう。
OIT:枡野さんにはどのようにして出て頂くことに?
杉田:流れがありまして、クランクインの半年くらい前からちょっと物を書かないかっていうお話を受けることがあって、自分は本を全然読んでいなかったので、さすがに本も読んでないで書くとかないなと思って、無理して本を読み始めたんです。それで北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』(文藝春秋)っていう本を読んだら凄い面白くて、今まで詩とか短歌とか全然興味なかったのに、ちょっと追いかけ始めたんですよね。そのタイミングでTwitterを始めて、そういえばTwitterにも短歌の人いるはずだって色々検索してたら、枡野さんを見つけて、当時枡野さんが毎日のことを短歌でつぶやいてたんですね、日記みたいなことを、ちょっと面白いなーと思って、本も買ったりして読み始めたら、その清水っていう役、誰にしようか唯一決まってなかったんですけど、枡野さんの自伝みたいな小説『結婚失格』(講談社)っていう妻と子供に会えない男の話があるんですけど、そこに書かれてる話とプラス内田かずひろさんが描いたイラスト、主人公を描いたイラストの佇まいが清水にしか見えなくなってきて、この人だと思ってTwitterでやり取りさせてもらったんです。
OIT:じゃあ結構それも地続きというか、それがこの映画の中に入ってますね。
杉田:そうですね。
OIT:この映画の季節は夏で、蝉の鳴き声が終止印象的なんですが、日本の夏っていうと終戦記念日とか必ずあってなんか喪な感じ、死の感じが濃厚にある気がしていて、それが映画を覆ってると思うのですが、桐子が最後にうたう歌が、蝉の声を消していくように聞こえたんですけど、歌は何かが起きてしまった後の続いてる日常の中で湧き上ってくるものとして出てきたという感じですか?
杉田:そうですね、さっきの話と繋がると思うんですけど、僕が映画でやろうとしてる時間って今まで生きてきてどんどん記憶が薄れてく中でぼやっと思い出す場面、その集積みたいな感覚なんですけど、歌もそのスイッチの一つっていうか、かつて聞いた歌をふっと耳にした時に自分が今なんでここにいるのか思い出せるっていうか、そういう感覚です。ちょうど昨日も世田谷美術館で年配の方達相手にワークショップやってたんですけど、出したお題が最近自分の流行りで「あの日、あの時、あの会話」っていうのをやってもらうんですよ。みんなの中のドラマティックじゃなくていいから、わざわざ人に話さないような、でもそういえばこの瞬間よく思い出すなっていう場面を撮りましょうっていうことでやったんですけど、これがすっごいいいんです。例えば、ある女性が子供の時の記憶で、家に帰ってお弁当箱を台所に出して、お母さんにごめん今日お弁当残しちゃったって言ったら、流しにいるお母さんが振り返らないで暫くじっとした後に、ノコッタ、ノコッタって行司みたいな身振りをしながら言ったんですって(笑)。で、それを別に笑うでもなく、何言ってるのお母さんって、ただぼーっと見ている切り返しがあるんですけど。なんかそういう、本当に人にわざわざ言うような時間じゃないっていうことですよね、なんかそういう時間、歌もなんかそれを思い出すきっかけ。駅のホームで最初お母さんが登場してる時に、お母さん役の天光眞弓さんっていう役者さんが口ずさんでるんですね、実は。やっぱりあの「ひとつの歌」っていう曲はあの時は作って間もなかったんで天光さんには馴染んでないじゃないですか、あの時天光さんは普段よく歌って馴染んでるサザンオールスターズの何かの歌を歌ってるんです(笑)。それであの表情になる。それぞれの人のそういう無理なく自分の時間にあうメロディ、その歌が聞こえた時に思い出すことがあるんですね。
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