『クリーン』

上原輝樹
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アサイヤスとの名コンビが冴え渡るエリック・ゴーティエ撮影による、クールビューティなエイミー・ハインズを擁するメトリックのライブシーンが矢継ぎ早にカットアップされて幕を開ける『クリーン』は、そのオープニングのドライブ感溢れる映像で見るものを"ロックシーン"のバブルへと引きずり込む。本作のこの冒頭数分のシーンをきっかけに、現実社会でそれまで無名だったカナダの4人組メトリックはヨーロッパで大ブレイクを果たした。一方、劇中では"ロックシーン"をサヴァイヴァル出来なかったエミリー(マギー・チャン)の夫/ミュージシャンはドラッグのオーヴァードースであっけなく死んでしまう。アサイヤスは、映画冒頭から"ロック"ライフスタイルのバブリーな儚さを描く。周囲にミュージシャンの友人が多いアサイヤス本人の実生活から発想し、綿密なリサーチを経て描いたというだけあって、対象への距離の取り方が絶妙で、観客を違和感なくこのスモールサークルの中で起きた悲劇へ呼び込むことに成功している。

いまや、悲劇の主人公は、夫を亡くし、その死の責任にまで嫌疑をかけられてしまったエミリーであることは誰の目にも明らかだ。だが、気が強く、自分勝手で我が儘な性格、その上、ドラッグ中毒で、それでも"シンガーになる"夢を捨てきれずに、その夢の為でもあるのだろう、一人息子を夫の父の家に里子に出しているエミリー。そうした全てが、夫をそのような形で失った今、悪い方向へ悪い方向へとエミリーの立場を追いやって行く。ここでも、アサイヤスは、当時離婚間際だったマギーの現実社会での"シンガーになりたい"という願望を物語の核に据えて、女優マギー・チャンの虚実ないまぜの素晴らしい演技を引き出している。このマギーの演技が、2004年のカンヌ国際映画祭女優賞を全会一致で受賞したことは今では誰しも知る所だろう。また、若くして息子を亡くした父親をニック・ノルティが演じ、マギー同様、いまにも爆発しかねない感情をぎりぎりまで抑制した演技の内に、溢れ出る父親の晦渋の念を見事に表現している。

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一人息子に会いたいが故に、ドラッグを絶って、クリーンな自分に戻るべく、自分らしくない職場で働いたり、ベアトリス・ダルやジャンヌ・バリバールが好演する昔の友人を頼りに何度も更正を試みるエミリーだが、その度に今までの生活の因果応報が巡って来て、どうしてもその悪循環から抜け出せない。挑戦すればするほど、失敗して深みにはまっていくエミリー、実人生で別れゆくかつての人生のパートナーが演じる"挑戦し続ける女性"キャラクターに対して、アサイヤス監督は最高のサウンドトラックを用意していた。エミリーが、劇中で何度も打ちひしがれるその場面にはいつでもブライアン・イーノの名曲が寄り添うように流れ、見るもの感情を掻き立てる。今にして思えば、この選曲は、マギーとの関係の終わりに手向けられたアサイヤスなりのレクイエムだったのか?

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この曲は、ドキュメンタリー映画『アポロ計画』のサウンドトラック「アポロ」(1983)に収められた"An ending (ascent)"というアンビエント・ミュージックの名曲中の名曲として知られ、有名なところでは、ソダーバーグの『トラフィック』のエンディングで使われたり、イギリスでは、英国児童虐待防止協会(NSPCC)のTVCMで使われて茶の間の涙を誘ったことがyoutubeにレポートされていたりするのだが、本作では、まるでこの映画のために作られたかのように監督とマギーのその当時の関係性を象徴的に暗示するものになっている。

その曲名は、映画のエンディングに使われるわけではないにも関わらず"An ending"という名を元来持ち、その後に(ascent)=(上昇)という一語が付記されている。ひとつの物事の終わりは、必ずしも全ての終わりを意味するものではなく、何か新しい物事の始まり(上昇)を意味する、というこの楽曲自体が表現するイメージと劇中のエミリーにとってはドラッグを絶つ事で新たに始まるクリーンな生活への希望、そして、実生活におけるマギーとの別離に捧げたアサイヤスの思いが完全に共鳴する奇跡を私たちは体験するに違い。映画はその感動を引き継いだまま、現実とフィクションの境界線を超え、未来への仄かな希望が託されたエンディングを迎える。


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Comment(1)

Posted by PineWood | 2015.11.25

映画(クリーン)で展開された女優マギー・チャンの虚実が重なる手法が、オリビエ・アサイヤス監督の最新作(アクトレス~女たちの舞台)の女優ジュリエット・ビノシェにも生きていた。クラシックな演技スタイルが本物か、ハリウッドの若手アイドル・スターの即物的な演技が偽物で如何に滑稽か笑い飛ばしていたが、若きマネージャーはそんなビノシェの考えに納得出来ずに消えてしまった。エピローグの章ではそんな抗議を改めて女優ビノシェ新しい価値観を受けとめて一回り大きく成長している…。皮肉なラストではあるが、前向きさにおいては、何処かで(夏時間の庭)のラストシーンにも通じている。舞台稼業の老いを描いた点ではチャーリー・チャップリンの(ライムライト)を彷彿させる。だが、アクトレスにはチャーリーの人生のペーソスは無くて豊穣感が残るのは何故なのか?アルプスに浮かぶ蛇の雲みたいに謎なのだがー。

『クリーン』
原題:Clean

8月29日(土)シアター・イメージフォーラムにてロードショー

監督・脚本:オリヴィエ・アサイヤス
製作:ニヴ・フィッチマン、グザヴィエ・ジャノリ、ザヴィエル・マーチャンド
撮影:エリック・ゴーティエ
編集:リュック・バルニエ
美術:ウィリアム・フレミング、フランソワ=ルノー・ラバルト
衣装:アナイス・ロマン
キャスティング:ジョン・バカン
出演:マギー・チャン、ニック・ノルティ、ベアトリス・ダル、ジャンヌ・バリバール、ドン・マッケラー、マーサ・ヘンリー、ジェームズ・ジョンストン、ジェームズ・デニス、レミ・マーティン、レティシア・スピギャレリ、ジョアンナ・プレイス、トリッキー、デヴィッド・ローバック、リズ・デンスモア、エイミー・ハインズ

2004年/フランス・イギリス・カナダ/35mm/111分/カラー/シネマスコープ/ドルビーSRD 配給・宣伝:トランスフォーマー

写真:© 2004 − Rectangle Productions / Leap Films / 1551264 Ontario Inc / Arte France Cinema

『クリーン』
オフィシャルサイト
http://www.clean-movie.net

「オリヴィエ・アサイヤス特集」

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アサイヤス監督『夏時間の庭』
 インタヴュー

アサイヤス監督
『クリーン』『NOISE』インタヴュー

『クリーン』YouTubeサイト
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