第16回カイエ・デュ・シネマ週間



フランスの映画雑誌「カイエ・デュ・シネマ」とアンスティチュ・フランセの坂本安美さんが、共にセレクトした最新フランス映画が「第16回カイエ・デュ・シネマ週間」としてアンスティチュ・フランセ東京で上映される。今年の目玉は何と言っても、13年ぶりの長編新作『ホーリー・モーターズ(仮)』が、2012年カンヌ国際映画祭で絶賛の嵐を巻き起こしたレオス・カラックスの来日だが、米フィルム・コメント誌でも年間ベスト50の第一位に選ばれ、カラックスの最高傑作との呼び声も高い『ホーリー・モーターズ』が上映され、カラックスが来日するという事態を前にして、冷静さを失ってばかりもいられない。
『ホーリー・モーターズ』がフランス映画史と結ぶ関係を探るべく企画された特集上映「フランス映画の詩的映画史の11の停留所(ステーション)」は、カラックスがリムジンで誘う115分間の体験を、今度は乗り物を換えて、別の視点で体験させてくれるものになるに違いない。ひとつの映画が生み出す映画プログラムの豊かさが映画史を新たに塗り替えて行く、その瞬間を私たちは目撃しようとしている。同時に私たちは、「生涯一度も映画を見たことがない人のように」(レオス・カラックス)この映画に向き合うことを要請されているのだ!
(上原輝樹)
2012.12.25 update



2013年1月18日(金)~2月3日(日)
特別ゲスト:レオス・カラックス(映画監督)、ステファヌ・ドロルム(「カイエ・デュ・シネマ」編集長)
会場:アンスティチュ・フランセ東京 
料金:会員500円、学生800円、一般1,200円
当日の1回目の上映の1時間前より、すべての回のチケットを発売します。

1/ 27(日)、ユーロスペースで行われる『ホーリー・モーターズ』の回は、会員・学生は1,000円、一般は1,500円となります。チケット販売開始は、当日ユーロスペースにて10時より。

公式サイト:http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cc2013/ 

*この特集はアンスティチュ・フランセ日本の他の支部、関西、九州に巡回予定です。
福岡:1月26日(土)〜1月31日(木) 会場:KBCシネマ
京都:2月8日(金)・9日(土)・10日(日) 会場:京都シネマ
上映スケジュール
1月18日(金)
13:30
秘密の子供
(92分)









16:00
5月の後
(122分)






19:00
メゾン、ある娼館の記憶
(125分)
1月19日(土)
14:00
レイモン・ドゥパルドンのフランス日記
(100分)






16:30
秘密の子供
(92分)






19:00
5月の後
(122分)

1月20日(日)
13:00
オルフェの
遺言

(77分)








15:00
レイモン・ドゥパルドンのフランス日記
(100分)



18:00
メゾン、ある娼館の記憶
(125分)
1月24日(木)
16:30
コルドリエ博士の遺言
(95分)








19:00
ヴェネティア時代の彼女の名前
(120分)




1月25日(金)
16:00
ヴェネティア時代の彼女の名前
(120分)







19:00
コルドリエ博士の遺言
(95分)





1月26日(土)
14:30
オルフェの
遺言

(77分)








17:00
秋の霧
(12分)
混血児ダイナ
(48分)
上映後:
ステファヌ・ドロルムによる講演会あり
1月27日(日)
16:30
ホーリー・モーターズ
(115分)
会場:
ユーロスペース 
上映後:
レオス・カラックスとのティーチインあり
2月1日(金)
14:00
コルドリエ博士の遺言
(95分)
16:30
秋の霧
(12分)
混血児ダイナ
(48分)
19:00
アルマ橋で
目覚めた男

(85分)

2月2日(土)
12:30
アルマ橋で
目覚めた男

(85分)
16:00
カミーユ、
ふたたび

(115分)

19:00
マンドランの歌
(97分)

2月3日(日)
12:30
カミーユ、
ふたたび

(115分)
15:30
マンドランの歌
(97分)

18:00
あなたはまだ何も見ていない
(155分)
    
*プログラムはやむを得ぬ事情により変更されることがありますが予めご了承下さい。
*開場は20分前。全席自由、整理番号順での入場とさせて頂きます。
上映プログラム

2011年/2012年 ベスト・フランス映画・セレクション

『ホーリー・モーターズ』
2012年/115分/デジタル上映/日本語字幕付
監督:レオス・カラックス
出演:ドゥニ・ラヴァン、エディット・スコブ、エヴァ・メンデス、カイリー・ミノーグ、ミシェル・ピコリ、レオス・カラックス ほか 

夜明けから夜までの一日、オスカー氏は、ひとつの人生からもうひとつ人生へと旅を続ける。ある時は大企業の社長、またある時は殺人者、物乞い、怪物、そして父親へと...。オスカー氏はそれぞれの人物の中に完全に入り込みながら、それらの役を演じているように見えるが、どこかにカメラがあるのだろうか? いや、彼はひとり、セリーヌという背の高く、ブロンドの女性にのみ付き添われ、大きな機械の指令を受け、パリの街中、そしてその周辺を移動している。仕草の美しさを求めて。アクションの原動力を求めて。そして彼の人生の女性や亡霊たち。しかし彼の家、家族、そして休息の場所はいったいどこにあるのだろうか?
本作は2013年春、日本公開予定(配給:ユーロスペース) 

「13年、レオス・カラックスが新たな長編を撮るために必要であった時間だろう。つまり映画作家は熱気とともに待たれていたのだ。『ポーラX』は、まるでぴりぴりと閃光を放つように、怒りで満ちていた主人公と同じように、公開時には理解されず、愛されず、痛切な失敗となった。『ホーリー・モーターズ』は、それぞれが断片的な物語を生み出すリムジンの甘美で陶酔的な揺れを帯びた、堂々たる作品である。何について語られているのか? 様々なアイデンティティーを担った一人の登場人物(ドゥニ・ラヴァン)について、あるいはひとりの俳優についてかもしれないが、とにかくひとりの男が登場し、彼は一台のリムジンに乗り、一日、何人もの登場人物たちに身を委ねる。リムジンが停まるごとに、ある物語、ある登場人物が生み出される。全部で11のアバターがこうして登場し、最後には夢のようなプロローグと素晴らしいエピローグが付け加えられ、カラックスがスクリーンから離れていた13年間のそれぞれの年の物語であるかのようだ(もちろん2008年に撮られた短編オムニバス映画『TOKYO!』の一遍である偉大なる『メルド』という例外は別にして)。(...)ゴダールを除いて、ハネケのように自分を裁き手とみなすことなく、観客にこのように問いかけることができる映画作家はあまりいないだろう。世界の美を見ようとする観客がまだいるのだろうか、その問いは、芸術家の深い苦悩によって自問される。」ジャン=セバスティエン・ショーヴァン「カイエ・デュ・シネマ680号」 

レオス・カラックス
「ある種のSF映画を想像して作りました。そこでは人間、獣、機械がヴァーチャルなもの、つまり不可視なものが退廃した形態としてのヴァーチャルなものに支配された世界で連帯しています。(...)生涯一度も映画を見たことがない人も『ホーリー・モーターズ』を見てもらえると思います(というより、そのように見てもらうことをお勧めしたいです)。)レオス・カラックス
『メゾン、ある娼館の記憶』
2011年/125分/Blu-ray/カラー/日本語字幕付〔R18+〕
監督:ベルトラン・ボネロ
出演:ノエミ・ルヴォヴスキ、アフシア・エルジ、セリーヌ・サレット、アデル・レネル 

20世紀初頭、パリの高級娼館アポロニドでは、毎夜、女たちが美しく着飾り、男たちの欲望を満たす。顔に酷い傷を負ったマドレーヌ。自分の常客に恋をし、彼が娼館から連れ出してくれることを信じるジュリー。若いときから娼館で働き、先が見えないレア。美しく華やかな世界に憧れてやってきた16歳の新人ポーリーン。外界から閉ざされていたはずのアポロニドにも、時代の波が抗いがたく流れ込んでくる......。カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品。「窓がなく、外界の光も入ってこない屋内の空間で、娼婦たちの衣装や髪の色のニュアンス、黒を生かすために撮影は35ミリで行った。作品が高貴な意味で官能的になるために。」(ベルトラン・ボネロ)
『マンドランの歌』
2012年/97分/35mm/カラー/英語字幕付
監督:ラバ・アメール=ザイメッシュ
出演:ラバ・アメール=ザイメッシュ、ジャック・ノロ、クリシチャン・ミリア=ダルメザン、ジャン=リュック・ナンシー 

18世紀半ば、名高い無法者で、民衆たちにも人気のあったルイ・マンドランが処刑された後、彼の仲間たちは、危険を覚悟でフランスの各地方で密輸入の活動を再開する。時に戦いを辞さない密輸入者たちは都市の周辺で市場を開き、煙草や布などを農民たちに売る。そしてマンドランへ敬意を示し、歌を書き、印刷し、農民たちに配って回る。2002年に長篇 処女作、『ウェッシュ、ウェッシュ、何が起こっているの?』を発表し、一躍その類稀な才能に注目が集まり、『ブレッド・ナンバー・ワン』『最後の抵抗(マキ)』と、「境界」で生きる人間たちを独創的な手法で描いてきたアルジェリア出身のアメール=ザイメッシュ最新作。
『カミーユ、ふたたび』
2011年/115分/35mm/カラー/英語字幕付
監督:ノエミ・ルヴォヴスキ
出演:ノエミ・ルヴォヴスキ、サミール・ゲスミ、ジュディット・シュムラ、マチュー・アマルリック、ジャン=ピエール・レオ 

カミーユは16歳の時、エリックと出会う。彼らは情熱的に愛し合い、カミーユには娘が宿ることに...。26年後、エリックは、若い女性のためにカミーユと別れようとしている。12月31日の大晦日の夜、カミーユは突然、過去へと戻される。再び16歳に戻ったカミーユは、両親、友人たち、そして青春を再び見出す。そしてエリックも...。

「映画作家=女優があらゆる意味で--身体的、形而上学的、メロドラマ的、ビュルレスク的に--時間の移行に敢然と立ち向かう。この作品には深刻なことにいたるまで、なにかしら愉快で、心揺さぶられるものがある。」シャーロット・ガーソン
『あなたはまだ何も見ていない』
2012年/155分/35mm/カラー/英語字幕付
監督:アラン・レネ
出演:マチュー・アマルリック、ピエール・アルディッティ、サビーヌ・アゼマ、アンヌ・コンシニ、ミシェル・ピコリ 

著名な劇作家であるアントワーヌ・ダンタックの死後、彼の戯曲『エウリュディケ』を演じた俳優たちが、南仏の邸宅に集められる。彼らは若い劇団がこの芝居を演じている映画を見せられる。愛、生、死、死後の愛、それらは舞台の上でまだ意味をなしているのだろうか? スクリーンで若者たちが演じているのを見ていた俳優たちもいつの間にか台詞を呟き始め、『エウリュディケ』の舞台を演じ始める...。「登場人物たちはつねに死の欲望に動かされている、それこそがレネの映画の感動させる、すばらしいところである。自己同一化の過程において、観客に見えてくるのは何かしらの亡霊である。」J=S・ショヴァン
『5月の後』
2012年/122分/Blu-ray /カラー/日本語字幕付
監督:オリヴィエ・アサイヤス
出演:クレモン・メタイエ、ローラ・クレトン、フェリックス・アルマン 

70年代初頭、パリ。高校生のジルは政治闘争の波にとらわれていると同時に創作活動にも没頭している。恋の出会い、芸術的な発見をしながら、イタリア、そしてロンドンへと旅するジルとその仲間たちにも、波乱に満ちた時代の中で自分の場所を選択すべき時がくる。「急ぎ足で通り過ぎながらも、私は、青春を送ったあの時代に、ポエジーのようなものを感じていました。あまり知られていないこの時代について、その時に感じたことによって、いつかもっと豊かな映画を作れるのではないかと思っていました。」(オリヴィエ・アサイヤス)
『レイモン・ドゥパルドンのフランス日記』
2012年/100分/Blu-ray/カラー/日本語字幕付
監督:レイモン・ドゥパルドン、クローディーヌ・ヌーガレ 

これはひとつの日記であり、時間への旅でもある。男はフランスの写真を撮り、女は彼が大切に取っておいた未発表の映像を見出す。世界各地のルポルタージュ、アルジェリア戦争の従軍キャメラマンから始まり、プラハの春、フランス大統領選挙、精神病棟、アフリカ、法廷、農民、それらは、記憶の断片、我々の歴史である。ジャーナリストとして世界最高峰の写真家集団マグナム・ フォトに所属、10代から世界中を飛び回りピュリツァー賞を受賞し、映画作家としても近年では山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリ受賞するなど、高い評価を得ているレイモン・ドゥパルドン。彼の道程が徐々に浮かび上がってくる。
フランス映画における詩的映画史の11の停留所(ステーション)

『秋の霧』
1929年/12分/35mm(修復版)/モノクロ/ サイレント(伴奏入り)
監督:ディミトリ・ キルサノフ
出演:ナディア・シビルスカヤ
プリント提供:シネマテーク・フランセーズ 

「20年代フランス前衛映画の逸品の中でも、ディミトリ・キルサノフの短編は、感情と結びついたものたちが高揚し――『メニルモンタン』の野生に戻された都市や、哀愁に満ちた『秋の霧』の人間味を帯びた沼――、儚さや移行のアートによって、映画の詩学への扉を開いている。「映画=ポエジー」と「映画=シンフォニー」の間で、『秋の霧』はたちどころに造形的で、音楽的なフォルムを示し、ドラマ(ひとつ存在している)はひとつの粗筋に還元されている。それは別れの手紙である。フランス映画史上最も美しい女優、ナディア・シビルスカヤの目に涙を浮かべた顔は、恍惚の愛をもって見つめられている――ゴダールの『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナやガレルの『孤高』のジーン・セバーグより30年以上も前である。しかし、とりわけ彼女の涙は世界全体と絡み合うのだ。手紙が火の中で燃えている間、彼女の涙を雨、厚い雲に変えるために、編集によって並行と一致――燃える手紙と映像による存在――が結びつけられる。しずくは空や地を覆い尽くす、無限に続く愛の喪による死の水となって。しかし別れの重みは葉の落下のように穏やかなものになってゆく。」フロラン・ゲゼンガール
『混血児ダイナ』
1931年/48分/35mm/モノクロ
監督:ジャン・グレミヨン
出演:シャルル・ヴァネル、ハビブ・ベングリア、ローランス・クラヴィウス、ガストン・デュボス 

夫に同行して豪華客船で旅をしている混血児ダイナは、悩ましいまでにエキゾチックな雰囲気、不思議な魅力を漂わせていた。ある晩、人影のない橋の上で、ダイナはひとりの機械工を遊びで誘惑し、残酷なまでに苦しめた後に捨ててしまう。翌日、ダイナは船から転落し、姿を消す。捜査は足踏み状態となるが、夫は真実を見抜いていた...。「父帰らず」('30)に続くジャン・グレミヨンのトーキー第2作。 

「レオス・カラックスが、トーキー映画への黎明期であった1930年に撮られたジャン・グレミヨンの『父帰らず』への愛着を口にしたのがどんな機会だったのか覚えていない。しかし『ボーイ・ミーツ・ガール』を発見した際に、彼のその愛着が感動的なまでに明白に思えたことだけは覚えている。ヴィゴ、ルノワール、デュヴィヴィエによってすべてが可能に思えた1930年と、政治的に厳しかった70年代が終え、再び映画を信じなければならなかった80年代の間には、カラックスにとっては、ヌーヴェル・ヴァーグと『女と男のいる舗道』のやはりモノクロのアンナ・カリーナの出現しかなかった。グレミヨンの映画の数多くの側面をカラックスの詩的世界の源泉として感じることはたやすいだろう。とりわけ映像というマチエールについてそれは感知できる。」ドミニック・パイーニ
『コルドリエ博士の遺言』
1959年/95分/35ミリ/モノクロ/英語字幕付
監督:ジャン・ルノワール
出演:ジャン=ルイ・バロー、テディ・ビリス、ミシェル・ヴィトルド 

パリ郊外に住む精神科医コルドリエ博士は、自筆の遺言を親友の公証人ジョリに寄託する。ジョリは博士が自分の知らない男オパールを遺産の相続人に指定していることに驚く。ある夜、ジョリは少女が男に絞殺されかけているのを目撃、追いかけると男はコルドリエ邸の門を開け、姿を消す。その男が実験室に住むオパールであると知ったジョリは、危険人物だから注意するように博士に警告する。悪事を働いたオパールが通行人に追われセヴラン博士のアパートに逃げ込むのを目撃したジョリらが部屋に入ると、博士が心臓発作で死んでおり、消え失せたオパールの変わりにコルドリエ博士がいた...。

「オパール氏やメルド氏の身体に見られる同じ揺れ、それは引き継がれてきた落ち着くことのない身体の歴史であり、サイレント映画の速度で振動する神経である。たとえば、FEKS(エクセントリック俳優工房)や、チャップリン、キートン、ボリス・バルネットの『帽子箱を持った少女』のムジクたち、(自分でも知らずに踊り出す)ラビ・ジャコブ、マルクス兄弟、飛行場でFBIにメッセージを渡していた『ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間』の赤毛で青いスーツを身に纏った情報提供者たちの歴史である。」ジャン=フィリップ・テセ
『オルフェの遺言』
1959年/77分/DVD/モノクロ/日本語字幕付
監督:ジャン・コクトー
出演:ジャン・コクトー、エドアール・デルミ、ジャン=ピエール・レオ、マリア・カザレス、シャルル・アズナブール 

コクトー扮する"詩人"がひとりの青年に案内され、時間と空間を越えて、現代や古代、死の国や生の国を自在に旅する。生と死、現在と未来、怪物たちと想像の世界、苦悩と幻想、これは詩人=映画作家の遺言であり、年代順であることを必要としない彼自身の伝記である。

「コクトーによると、詩人とはこれから起こることを覚えている者だそうだ。詩人の持つイメージ、言葉は、私たちが向かう場所から来て、私たちが来た場所に行く。『ホーリー・モーターズ』のカラックスはコクトーに賛同するだろう、そしてゴダール伯父さんも『JLG/自画像』で「私はすでに自分自身の喪に服していた。」と述べるがために彼自身の子供の頃の唯一の写真を見せていた。」フィリップ・アズーリ
『ヴェネティア時代の彼女の名前』
1976年/120分/16mm/カラー/日本語字幕付
監督:マルグリット・デュラス
出演:デルフィーヌ・セイリング、ニコール・イス、ミシェル・ロンスダール 

「ポン・ヌフ橋の真横、夢の領域の周辺で、カラックスは、パリのもうひとつの眠った場所、何年もの間セーヌの縁に見捨てられていたこの大きな石棺のようなサマリテーヌの精霊を解き放つ。(...)『ホーリー・モーターズ』のこの魅惑的で孤立した大きな船のような建物は、デュラスが枯渇させるまで撮影した場所、ブローニュのパレ・ロスチャイルドと共鳴し合っている。廃墟となった古い邸宅はまず1975年に『インディア・ソング』のセットとして使われた。アンヌ=マリー・ストレッテル(デルフィーヌ・セイリング)と副領事(ミシェル・ロンスダール)のインドを舞台に展開される悲しい物語である『インディア・ソング』がその場所で撮影されたのだ。一年後、デュラスは再びその場所に戻り、『インディア・ソング』よりもさらに神秘的で詩的なバージョンである『ヴェネティア時代の彼女の名前』を撮ることになる。この作品でデュラスは前作のサウンドトラックを使っているが、俳優たちを登場せることなく、邸宅の誰もいない部屋のショットのみ映像として見せている。ひとつの場所をくまなく見せ、訪問したポートレートである、この例をみない作品は空間の詩学を探究している。」ソフィ・シャルラン
『秘密の子供』
1979年/92分/35mm/カラー/日本語字幕付
監督:フィリップ・ガレル
出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー、アンリ・ド・モブラン、シュワン・リンデンマイアー 

映画監督として活躍するバチストは、エリーという女性と出会う。彼は一目でエリーに惹かれてしまうが、彼女にはスワンという息子がいた。スワンの父親はフランス映画界に影響力を持つ大スターだった。バチストとエリー、ふたりの恋は純粋でありながらも破滅に向かってゆく。「この作品を見ながら、ふたつのタイプの偉大な映画があることを理解する。見る者を圧倒させ、まるで星のように遠くに見える作品(『めまい』)。そして手の中に抱えられそうなほど近くに感じられる作品。『秘密の子供』は、僕でも作れる、作れたかもしれない作品で、僕のことを見つめ続けている。思い上がってそんなことを述べているのではない、ただそれは確かなことであるのだ。もしひとつの映像が残るとしたら、それは最初の、そして最後の映像、同じ映像だろう。髪を撫でる手、うなじに触れる手ーー愛するために、救うために。『心臓の代わりにカメラを』(ガレルのインタビュー本)の序文でレオス・カラックスは次のように書いていた。『大気が冷たい。カールのかかった髪を通し、男は女を見つめる。二人は一緒に震えている。映画が震えている。』ステファヌ・ドロルム
『アルマ橋』
1985年/85分/35mm/カラー/無字幕・作品解説配布
監督:ラウル・ルイス
出演:ミシェル・ロンスダール、オリンピア・カルリシ、ジャン・バディン、メルヴィル・プポー 

「ルイスの映画では、なぞなぞが甘美な死体とそれほどかけ離れておらず、その死体がヴィオレット演じるオリンピア・カルリシの魅惑的な顔立ちをした正真正銘の死体であることがおのずと明らかになる。心地よくひとまわりし、隣り合わせになりながら化身が行われ、そこから生まれ出た怪物は、あまりにも神秘的であるためか、グロテスクであるためか、その素晴らしいポエジーによって、悲劇への誘惑を保留させる。『ホーリー・モーターズ』のトーンも同じなのではないだろうか?ドゥニ・ラヴァンによって出現するアバターたちの甘美な死体は解答のないなぞなぞを作り出すが、そこには胸を刺すようなメランコリーがある。映画が宿り、姿を変えていく俳優たちによって演じられているふたつの背景を持つ世界のバロック的なモチーフは、様々な状況のコラージュの中で変化してゆく。シューレアリスム的逸脱。ルイスの映画と同様に、パリは眠っていても、決して休むことはない。」シリル・ベガン


第16回カイエ・デュ・シネマ週間について、皆様のご意見・ご感想をお待ちしております。
なお、ご投稿頂いたものを掲載するか否かの判断については、
OUTSIDE IN TOKYO 編集部の判断に一任頂きますので、ご了承ください。





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