OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

最初に映画『嵐電』を観た時、私は以下のようにSNSに書き記していた。 まだ3月のことだった。

「いい年をした自分がこういう言い方をするのは些か憚れるけれども、心を洗われるような素晴らしい映画でした。京都市街を走る路面電車「嵐電(らんでん)」を舞台に、3つの恋愛譚が幻想的に交錯する、鈴木卓爾監督ならではのSF的恋愛映画にして、人間存在の儚さを浮き彫りにする傑作です。井浦新さんをはじめとして俳優陣が皆瑞々しく、大西礼芳さんの抑えようとしても抑えきれず、感情が滲み出てくる演技も本当に素晴らしかった。見た人全員が京都に行きたくなる映画でもあると思います。」

何も自分のコメントを改めてここに残したいわけではなく、肝心なのはこれからの部分なのだが、『嵐電』の音楽を手掛けた、日本を代表する音楽家のひとり、あがた森魚さんがFBで以下の通りの反応をしてくださったのだ。

「どういう「いい年をした」どういう「自分(上原輝樹さん)」かは知りませんが、「こういう言い方をするのは些か憚れるけれども、心を洗われるような素晴らしい映画でした。」というくだりは、大きな意味合いを含んでいるように思えます。恋愛の幼年期の戯れとその行く末をたわいなく無邪気に描いた映画ということではないでしょうか?「心を洗われるような素晴らしい映画」を押し売りしたいわけではありません。我らが等身大の音楽や映画を作ることの難しさです。この映画にはその謙虚な輝きや若さの縺(もつ)れがあります。創作をする本来のあり方の未来形がそこに秘められてあるのではないでしょうか。」

そして、5月5日「子どもの日」の早朝、あがたさんから以下の私信がFBのメッセンジャーで届いた。「どんな弾みか子供の日の朝、嵐山電鉄の京都から線路がワープしてしまって荒川の鉄橋を渡って川口に帰ってきたけれど、朝焼け清々清々すがすがし過ぎるからではないけれど、もう一度悪魔男と悪魔子供會ぼくら子供達宴会をしないと眠れない、僕はまだ子供すぎるから、今朝。」

『嵐電』を観た直後、今回の監督インタヴューは是非京都でやりたいと、プロデューサーの西田さんにその旨お伝えしていたものの、忙しない日々に追われ中々段取りを組めずにいた処、このあがた森魚さんからの謎のメッセージで目が覚まされた。修学旅行以来、何十年か振りに京都を訪れた私は、その日は鴨川デルタで学生たちと演習をやっているという多忙の鈴木卓爾監督の時間の合間を縫って、まずは演習の休憩時間中に、そして、その続きを、素晴らしいミニシアター「出町座」の場所を借りて、映画『嵐電』についてお話を伺う幸甚を得た。「出町座」でお話を伺っていると、「出町座」のある商店街へお祭りの神輿が入ってきた。インタヴューの間中、そのお囃子はずっと鳴り響き、私は卓爾監督に導かれるまま『嵐電』=<映画>の奥深い小宇宙に彷徨い込んでいった。

1. 「北白川派映画運動」とは何か

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):まず始めに、この作品のプロジェクトがどういう風に始まったのかを教えて頂けますか?
鈴木卓爾:京都に私が来ていることを知って、オムロの西田(宣善)さんというプロデューサーが電話をくださって嵐電に関するラブストーリーみたいなものを撮って欲しいというオファーを受け取りました。2015年9月のことです。その後、2016年4月から京都に移って(京都造形大学映画学科の)専任(准教授)になることが決まっていて、学校側では「北白川派映画運動」を再開しようじゃないかという話をしていました。実質撮影をしたのは18年2月だったので、就任してからもどういう風に映画の企画を進めていこうかと考えていたのですが、具体的には僕は何も持っていなかった。まだその時期は『ジョギング渡り鳥』(15)の仕上げをしていたり、これから配給宣伝をやっていくっていう時だったりしたので、ちょうどその時期に不意に来た話としてぼつぼつ西田さん達と会ったりして進めていった。そして、16年の夏に、北白川派と合流して『嵐電』を北白川派復活の第6弾映画としてやっていくっていうことで、西田さん達を京都造形大学で先生をやっている山本起也監督や福岡芳穂監督といった、北白川派の人達に紹介をして一緒に立ち上げていったという流れでした。
OIT:北白川派というのは、やり方だったり、考え方だったり、特徴みたいなものはあるのですか?
鈴木卓爾:最初は、大学の中からプロと学生が一緒になって劇場公開映画を立ち上げていくということを、ある種の商業映画へのアンチテーゼとして始まったと聞いています。その第一回目が木村威夫監督の『黄金花 秘すれば花、死すれば蝶』(09)で、商業映画では出来ないことをする、尚且つ学生も学校の枠組みだけでは絶対に成し得ない、到達し得ない映画作りの実在感、そういうものを企画から授業カリキュラムの中で進めていきながら、劇場公開の配給宣伝までを担う、一つの映画運動にしようというのが大きな目的でした。
OIT:この地でやるっていうのが重要でしたか?
鈴木卓爾:そうでもなくて、今まで作られてきた映画も京都で撮られている場合もあるし、例えば、山本起也監督の『カミハテ商店』(12)は島根の隠岐島に行って合宿体制をとって撮ったり、『嵐電』の後に山本先生が新しい第7弾『のさりの島』(19)を撮りましたが、熊本県の天草市に行って合宿で映画を撮ったりしています。
OIT:濱口竜介監督とかの、いわゆるワークショップ映画と言われるような作り方がここ数年日本映画でも増えていますが、それよりも早くやっていたっていうことですか?
鈴木卓爾:アーティスト・イン・レジデンスみたいな形ではないんですが、学校が映画を撮るということで、商業映画だったらもっとタイトにやっていくところを、じっくりとその制作自体を学生と一緒に問い続けています。去年ぐらいから、無視できないひとつの流れになったんじゃないかなぁと思いますね。北白川派の役割は、2015年に『正しく生きる』を公開してから中断してるので、そこで一回もう終えたのかもしれないなと思っていて、改めて新生北白川派復活というのは『嵐電』からになります。新たにまた何か指針みたいなことがあるのかと言うとそれはないんだけれども、学校の授業だけでは絶対に伝えきれないもの、映画作りは絶対に社会無しでは成し得ないという、その接点を持って、どう世の中の人達を巻き込めるかっていうのを、企画から準備して、そこを体感してもらうっていうことは、現場を本当に作らないと出来ないことなんですよね。

『嵐電』

5月24日(金)より、テアトル新宿、京都シネマほか全国順次公開

監督:鈴木卓爾
音楽:あがた森魚
企画・プロデュース:西田宣善
プロデューサー:田村由美、鈴木卓爾
協力プロデューサー:山本起也
監督補:浅利宏
ラインプロデューサー:小川勝広
制作協力:北白川派
脚本:浅利宏、鈴木卓爾
撮影:鈴木一博
録音:中山隆匡
照明:浅川周
美術:嵩村裕司
編集:鈴木歓
ヘアメイク・スタイリスト:こやまあやこ
衣裳:杉浦さつき
出演:井浦新、大西礼芳、安部聡子、水上竜士、金井浩人、窪瀬環、石田健太、福本純里

© Migrant Birds/Omuro/Kyoto Univercity of Art and Design

日本/2019年/114分/1:1.85/HD
宣伝・配給:ミグランドバーズ、マジックアワー

『嵐電』
オフィシャルサイト
http://www.randen-movie.com
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