OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『嵐電』インタヴュー

2. 『嵐電』は、プロの俳優と学生、2つの違うものが入り混じって何かが起きるっていうことが大きな目標でした

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OIT:『嵐電』の場合は、学生さん達と作ったワークショップ映画というよりは、脚本がよく出来ていて、台詞も練られているように思いました。
鈴木卓爾:どちらかというと僕は『ジョギング渡り鳥』と『ゾンからのメッセージ』(18)を撮った後、尚且つシネマ☆インパクトで『ポッポー町の人々』(12)っていうのもありましたけど、『嵐電』は逆にプロの俳優を迎えるという大きな目的があって、それをまだ白紙状態の学生達と出会わせることで、何が生まれるのかっていうことをやりたいなと思っていました。だから、オール無名な登場人物の前作2本とは違って、『嵐電』ははっきり2つの違うものが入り混じって何かが起きるっていうことが大きな目標でした。『ジョギング渡り鳥』と『ゾンからのメッセージ』では映画はどこまで壊しても映画なのかっていうのをとことん突き詰めようと思ったんですね。だから完成させることよりも、いかに未完のままそれが映画として残るかということや、未完成の方が映画だったりするんじゃないかっていう、ちょっとした疑いがありました。完成させてしまうことによって、その方向性によっては、商業映画というのは映画を薄めてもっと違うもの、例えばドラマであるとか、そういうものの方が映画より強くなっていくものだよなっていう疑いがあったのを、『ジョギング渡り鳥』と『ゾンからのメッセージ』は出来るだけ純粋に映画が立ち上がっていく瞬間を、一緒にやる相手がどんな人であっても、選ばないでそれをやってみるっていう試みが、行くところまで行ったかなっていう思いがあったんです。それで今回、改めて『嵐電』を撮る時は、逆に物語というか、つまり映画が色んなものを借りて商業映画として成り立っているところに敢えて戻って自分でホンも書くということ、そういう意味ではかなり自分の作品であることを強く意識して作った、その結果が『嵐電』になってます。
OIT:脚本とロケーションが不可分な感じに仕上がっていますね。脚本はロケーションをしながら書いたのか、どういう風に作られたのでしょうか?
鈴木卓爾:『嵐電』は歩いたり、実際京都に住むことを通じて作っていくっていうことはありましたね。もし西田さんからの企画が来なかったとしても、京都の映画を撮ろうと思って来たつもりだったんです。やっぱり京都って狭いので、4:3のスタンダード画面で映画が撮れる環境がまだ残っている、日本では数少ない珍しい場所であるという最初の認識がありまして。ただ一方で京都っていうと、とても京都を意識せざるを得ない特別な場所っていうのもバイアスとしてはある、そういう呪いとしてあるっていうことも感じながら。まずは自分が住んで嵐電を見に行ったり、嵐電をよく観察したり、歩いたりっていうことを、ロケハンしながらシナリオを考えた、行かなきゃ書けませんでしたっていうのが正解です。今回は原作がないし、それこそヒントになったのって、NHK BSで録画して見た「新日本風土記 京都 洛西 嵐電慕情」っていう番組だった、それが嵐電の紹介番組としては最適だったんです。それを自分で確かめに行ったり、あるいはそこに映ってなかった嵐電からの風景を見ていきながら、じゃあ登場人物ってここにどう入ってくるのかなってところを考えてた感じですね。
OIT:今回の作品では、鈴木卓爾監督のある種の文学的なセンスが台詞に出ていたように思います。元々の嵐電の駅の名前の文学性も大きいかもしれませんが、文学性がある映画だなと思ったんです。その辺は意識されましたか?
鈴木卓爾:脚本を書く時にやっぱり一度芝居をするんですよね。それが、この台詞書けたなって気持ちがこもるものが実感として書けたりすると、基本OKだなと思う、それで漸く、ある場面のある台詞が書けたことによってこの映画がこっちの方向なのかもしれないなって見えてきたりするんです。最初に大まかな人物配置とか、どんな方向性の物語をということを、朧げに抽象的に始めていってるんですけど、やっぱりそうしていくと、相当自分のことが入ってくる。今回、平岡衛星という井浦新さんに演じてもらった役っていうのは、はっきり東京からやって来る人間で、しかも何をやってるのか分からない人間で、製造業ではないし、サラリーマンではない、割と自分の近いところから引っ張り出してこないと書けなかった、そこから見始めるっていうのは凄く大事なプロセスでした。やっぱり脚本を書く段階でも一回この『嵐電』というものを通過して、未完成ながらも最初から最後まで行かないと始まらないっていうのが分かったんです。


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