OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『嵐電』インタヴュー

7. 京都には再開発の手がまだ届いてないんですよね、そこが素晴らしいし、凄い

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OIT:狂言回しみたいな。
鈴木卓爾:狂言回しですね。ちょうどセカンド助監督の植木咲楽っていう、ぴあフィルムフェスティバルで『カルチェ』(18)っていう映画が入賞するんですけど、彼女なら大阪の子なので出来るかなぁと思って、咲楽に漫才を書いてもらって会話が出来たりした。もう一つは修学旅行生達がどこから来るのかっていうのも問題でした。高校生になるとあんまり京都には来ないっていうのが調べると分かって、どっちかというと海外行っちゃったり、もっと遠くに行っちゃったりする。でも沖縄とか、東北とか、遠くからは高校時代でも京都に来るっていう感覚はあるらしいっていうこともわかった、ちょうど共同脚本の浅利さんが青森県の五所川原出身だったんです。京都弁の話でもあるから、京都の中で異国語のように鳴り響くっていうことで、辿り着いたのが青森県だったんです。だからこれは宮沢賢治の岩手とはちょっと近いだけで違うんですけど、そういうこともあって狐と狸が来てもおかしくないなというのと、伏見には狐さんもいらっしゃるし、お稲荷さんがいるし、狸に関しても京都は現れてもいる、それは大丈夫ということを田中貴子さんからお墨付きも頂いた。ちょっとファニーだけれども、それでだいぶ楽になったというのがあって、あんまり京都を気にしないで撮ろうとなった、そういうことがクランクイン前に作業としてありました。最初は結構、構えていて、それこそ舞妓さんとか出た方がいいのかしら?とか思っていた時もあったんですよ、企画の段階では。でも学生の一人で録音やってた子も京都の子なんですけど、京都の映画だからってべたべたな観光地が出てくる映画とか、家族、主人公、登場人物が伝統芸能の仕事してるとかっていうのはあんまり好きじゃないですって言ってて(笑)。そうだよね、それは分かるよって。だからそこを突っぱずしても大丈夫っていうか、開き直っちゃったんですよね。とはいえ、嵐電っていうのは京都にしか走ってないし、路面電車は全国にももちろんあるんだけど、やっぱりあんな狭い所を曲がりくねって高い所、低い所、しかも路面を走ったり、家が凄く接近してる所を走ったり、飽きさせないで走ってる路線っていうのは日本の中では嵐電だけだなって、やっぱりそんな感じになった。再開発の手が届いてないんですよね、京都は。そこが素晴らしいし、凄いことで、これはやっぱりちゃんと撮らないといけないっていう、何よりも先にそういう感じがしました。それをまざまざと思い知らされたのは、映画の最後に古い嵐電の映像を集めて8ミリを上映するっていう機会を作った中に、皆さんに声をかけて京都新聞なんかでも呼び掛けをしてくれて、僕達も探して集まった映像を見ると、そんな古いものはやっぱり無かったんですが、昭和40年代だったかな、1970年代のあの頃からの映像が集まった、電車の窓の正面から撮ってる映像が3つぐらい集まった時に、まざまざと思ったのは、鉄路というのは全く変わってなかったということです。ただし、その左右を走っている車や住宅、あるいは市電が、西大路三条をまたいでいく、そのまたいでいく市電がバスに移り変わったりしていて、凄く変化があった。でも、街そのものの形状みたいなことは再開発しなければ変わらない、だから京都っていうのはやっぱり昔のままなんだな、これは凄いことだなって思いましたよね。
OIT:今日、初めて嵐電に乗って、西田さんに色々と教えてもらいながら周囲を見たのですが、かなりの場面が電車から見える場所で撮影をされていますね。
鈴木卓爾:してますね。
OIT:今日は土曜だったからかもしれないですけど結構混んでいて、これがあの映画になったのかと思って、映画の作り手のイマジネーションは素晴らしいなと思いながら乗ってきました。
鈴木卓爾:やっぱり脚本を書きながらも、皆さんからのアイデアとかヒントとかないとそうは出来ない、自信がないですからね、まず最初は。映画の撮影にしていく上で脚本通りに撮れなくて、より嵐電よりになっていったっていう部分もかなりあるんじゃないかなとは思うんですけどね。


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