OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『嵐電』インタヴュー

4. 国文学者の田中貴子さんに、“帷子ノ辻”周りについて相談させて頂きました

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10  |  11  |  12  |  13



OIT:映画を拝見していて、かなり早い段階でジワッとくる場面がありました。それは撮影所の中で嘉子(大西礼芳)と譜雨ちゃんが読み合わせを初めてやる、あのシーンなんですけど、リハーサルを繰り返しやられたりしたのか、どういう風にあのシーンを作っていったのでしょうか?
鈴木卓爾:あの撮影ってかなり後半だったんです、東映の撮影所のスタッフルームを借りられて、あそこにみんな朝集まって出発することが出来た。あの桜の木の咲いている前が、劇中の撮影所内で撮ってるゾンビ映画のスタッフルームとして使われていますが、あそこがリアルに『嵐電』のスタッフルームだったんです。クランクアップする前の日に空きスタジオがあって、ちょうど飾り変えの間で、何も使われていない空白の時間があるので、その時期にあえば撮影OKって云われていたんです。低予算映画だったりしますから、あそこの後半の2日前に、あの場面は結構長い場面で台詞も多いし、一緒に後半の脚本書いた浅利宏さんも一回切ろうとしたんです。彼が入ってきてからは彼側の視点で僕の脚本を通訳してくれて、分かりやすい場面を作ってくれたりとかしていて、それで切ろうと思ったけど、結局切れないって言うので残った。あの場面はかなり大事だと思っていたので、丸々一日欲しいとお願いをして撮って、スケジュール的にもかなり時間をかけることが出来たんです。ゆったりしたペースで撮影をしていたから、リハをそんなに長くやったわけじゃなかったですね。ちょうどあの読み合わせをする場面は、一番最初に東京で大西さんと(金井)浩人くんを合わせる、衣装合わせの日があったんですけど、その時に一回読み合わせをしてもらったんですね、初めて。実は、金井くんと大西さんってその前に『きらきら眼鏡』(18)という映画で、私も出演してますけど、共演していたんです。それで、一回読み合わせを渋谷でやってもらった時に、もう大丈夫だと思ったんですよ、そのぐらい良かった。もうすでに大きく掴めてもらってるっていう感触があったし、二人の間の空気感みたいなものが間違いないなっていう感じもあったんです。だからゆっくりやりましたね。あの場面は、非常にゆっくりやって、ただ台本の流れの中でいくつかこういう風に動けないだろうかってことを提案した動きがなかなか難しいっていう動きだったので、合間の時間に大西さんと話して、ちょっと台詞を付け足したり、それで本人に動けるかどうかを聞いて、今のままじゃ動けないけど、こうしたら大丈夫っていうのをやったりして作っていきました。
OIT:僕はあそこの場面から感情的に一気にぐっと引き込まれていきました。あと、先程、生まれて初めて嵐電に乗って来まして、「帷子ノ辻」駅でも降りてきましたけれども、元々あがた森魚さんの曲があったのですね?
鈴木卓爾:ヴァージンVSの1987年のアルバムで鈴木慶一さんがプロデュースした「羊ヶ丘デパートメントストア」っていう非常にまとまりのあるアルバムがあって、その中に突如「カタビラ辻に異星人を待つ」っていう曲がB面に入ってて、帷子ノ辻っていう言葉が非常に耳に残る曲だし、何だろうなぁと思っっていて、着物の一部だってその後何となく分かったりはしてたんですけど、それが京都の嵐電のあそこにあるっていうのは全く知りませんで。
OIT:脚本を書く前にあがたさんの曲を知っていたのですか?
鈴木卓爾:曲はもう大学時代に聞いています。
OIT:カタビラ辻っていう言葉が頭の中に入っていたわけですね。
鈴木卓爾:もうインプットされていて、それで嵐電のことを知ってから帷子ノ辻駅ってここのことだったんだ!ってなった。それは映画の嵐電の話が来てからです。「帷子ノ辻」の由来については、田中貴子さんという京都の説話にお詳しい、国文学者の方が、パンフレットの方に書いてくださったので、そちらを読んで頂けるとよいかと思います。田中さんに脚本段階で、ご縁がありご相談させていただき、帷子ノ辻駅のことや説話に関して、頭で得た知識を、気持ちを入れて、場面の中に入れていくことが出来ました。今回、この電車に出会うと二人は結ばれるとか、別れてしまうとか、都市伝説は全部でっち上げですけれども、帷子ノ辻だけは謂れが伝説としてあるものをお借りしております。


←前ページ    1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10  |  11  |  12  |  13    次ページ→