OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『嵐電』インタヴュー

11. 『嵐電』っていう映画はあがた森魚さんが書く歌であり、全て実はラブソング、
  人間だけじゃない誰かに向けたラブソング

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OIT:あがたさんには、『嵐電』を全部ご覧になって作って頂いたのですか?
鈴木卓爾:そうです、ラッシュを見せに行きました。途中経過ですから、今とは違う繋ぎの、自分で繋げたのも見せたり、出来上がったのも見て頂きましたね。出来上がった曲が、かなりもうダビングのギリギリ段階でポンとメールで送られてきて、聴いた時にああ良かったぁと思いました、すぐ使ってみて、今のエンド曲としても大丈夫ですよって言われた。
OIT:あがたさんの歌っていうのも、また発話が美しいんですよね。
鈴木卓爾:そうですね。歌詞をまたぜひ手に取ってよく調べてもらうといいんですけど、この『嵐電』の世界がまた広がるんですよ、ああプレゼント貰ったなという感じで、凄く壮大な話に広がるんです。あがたさんって天才なので、色んなことを紆余曲折しながら辿り着くところがとんでもない地点だったりすることがよくあって、それにみんなついていけないんですよ。だけどこの『嵐電』の「島がある星がある」の歌詞は凄くて、これ途中で読んでたら僕は道に迷いかねなかったなっていうぐらい凄く広げてくれているんです。そういうと読みたくなるでしょ?
OIT:なりますねえ〜。でも途中で読まなくて良かったですね。
鈴木卓爾:良かったし、歌ものが欲しいっていうのはずっとリクエストしていて、ぜひ新曲が欲しい、新曲か「カタビラ辻に異星人を待つ」をもう一回入れ直して歌ってもらってもいいからって言ったら、「カタビラ辻に異星人を待つ」は昔の曲なので、あれをまた歌うというのはちょっと出来ないと言われて、では?と思ったら全く違う曲が出来てくるし、『嵐電』っていう映画はあがた森魚さんが書く歌であり、曲が全て実はラブソング、人間だけじゃない誰かに向けたラブソングなんですね。同じように『嵐電』もまたラブソングだと、映画自体がラブソングだとすると、これは本当にラブソングで良かった、いいラブソングがきて。
OIT:本当に恋愛映画ですよね、以前お話しを伺った時に、卓爾監督は、僕はポップソングみたいな映画を作りたいって仰ってましたね。
鈴木卓爾:あ、それは『私は猫ストーカー』(09)を撮る時に、越川道夫プロデューサーと、とりあえず越川と鈴木卓爾はポップソング作るっていう風な方針を決めて、必ず主題歌が存在するっていう風にしようっていうので、『私は猫ストーカー』と『ゲゲゲの女房』をやった、どんな映画的であっても最後は主題歌がかかる、これはポップソングを僕達はやりたいからだっていうモチベーションがあったんです。
OIT:ですよね、それがまさに今回も実現している。
鈴木卓爾:今回はそういう意味では『ジョギング渡り鳥』、『ゾンからのメッセージ』を経て、あれも主題歌が入ってますけど、映画自体はある種のポップソングみたいなことをまた改めて今回やったということになりますね。
OIT:今こういう時代に卓爾監督がポップソングのような映画を作るっていうのは凄く重要だと僕は思ったんですけど、かつては日本も非常に優秀なポップソングがいっぱいあったけれども、今は結構ひどい、惨憺たる状態じゃないかなと思ってるんですね。だから映画の側からポップソングが出てきたっていうのは素晴らしいことではないかと。
鈴木卓爾:今は、その歌をどこで発表してみんなが楽しむのか?その場がもう無くなってしまったような気がしますよね。
OIT:昔は例えばアイドルでも松本隆さんが詩を書いてたり、そういう時代がありましたけれども、今は全然そうはいかないじゃないですか、そういう意味で本当にお茶の間のポップソングって無いですよね。
鈴木卓爾:うちはテレビが無いのでテレビを見てないんですよ、もう何年も。たまに大学の仕事の後、ご飯を外のお店で食べる時にお店のテレビは見るんですけど、歌番組とかもうあるのかどうかも知らない、分かんないんですね私。というよりも、むしろ最近は松田聖子さんの歌を凄くよく聴いていて、これは何なんだろうって凄く考えてるんですよ。
OIT:いや、実は僕も何なんだろうって考えてますね。
鈴木卓爾:もうそのぐらい時間が経っていて、中学、高校時代に歌謡曲としてテレビから聞こえてたものとは全然違うものとして今聞こえてしまっていて、凄く不思議な感じがします。尚且つその頃の歌番組のビデオはよく見るんですよ、それで、これは何なんだろうって、一丸となってこれはみんなで何をやってるんだろうっていうのがもはやわからない。
OIT:あの当時ってそうした文化を批評的に見る視点ってあんまりなかったと思うんですけど、相対的に見えてなくてただただ消費していたというか。
鈴木卓爾:大衆がもう、その必要性がないぐらい、何万人、何十万人が待ってる、そういうルーティンの中で。
OIT:僕らもそういうのを聴いてはいたんですけど、今凄く気になるんですよね。
鈴木卓爾:終わると思ってなかったものが終わったから見えてくるっていう、陸地が繋がってないような、島として見えるっていう。


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