OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

舞台は、香川県の坂出、寂れたアパートで女が一人暮らしをしている。女はかつて、長崎県の佐世保で夫と暮らしていたが、別の男と駆け落ちをした後、一人で坂出に流れ着き、スナックで働いて生計を立てている。そんなある日、夫が女のアパートを訪ねて来て、二人は長年の空白の時間を埋めるように、お互いのことを少しづつ語り出す。

本作において、劇作家・演出家、松田正隆の同名戯曲のセリフを一言一句変えずに映画化することに挑戦した越川道夫監督は、主人公の女を演じる河野知美と夫を演じる梅田誠弘の演技、存在感の素晴らしさも相まって、演劇の一回性を生々しく捉えた、”映画”ならではの見事な呼吸が息づく作品を創り上げた。

女性の“涙”が世界を水の底に沈める、女の“悲しみ”が世界を海の底に沈める物語であるとも言える本作には、映画史上稀に見る”海”が描かれており、”海”をテーマに沖縄で新しく始まる国際映画祭「第一回 Cinema at Sea-沖縄環太平洋国際フィルムフェスティバル」(https://cinema-at-sea.com/)のコンペティション部門でのワールドプレミア上映が決定している。『水いらずの星』は、沖縄でのワールドプレミア上映の翌日から、全国の劇場でのロードショー上映が予定されている。ここに、間違いなく代表作の一つになるであろう作品を撮り上げた、越川道夫監督のインタヴューをお届けする。

1. 蓮實さんから、僕と越川君は兄弟弟子なんだね、って言われました

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6

OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):『越川さんが立教大学に通っていらした頃、蓮實重彦さんが映画表現論の講師をされていたとのことですが、越川さんは蓮實さんの授業を受けていなかったらしいですね。
越川道夫:元はと言えば、17歳で大学を決めるときに映画の仕事をしたいと思ったんです。当時、大学で映画を教えているのは日大の芸術学部しかなかったんですが、僕はたまたま出会ってしまった長崎俊一監督の『映子、夜になれ』(1979)とか『ユキがロックを棄てた夏』(1978)なんかの16mm映画が好きで…カッコ良かったんです。それで、日芸に行きたいって言ったら、父に反対されまして(笑)。映画がダメかっていうと、そういうことでもなく、映画のことならこの人たちに相談しろと、父に紹介されたのが、澤井信一郎監督と浦岡敬一さん(大島渚作品などで知られる映画編集の第一人者)でした。浦岡さんは親戚だったんです。父は地方の洋服屋で、そういう知り合いが身の回りにいるとは思っていなかったので驚きました。思い切って澤井さんに相談すると、もう俺がいるんだから、普通の大学で勉強をしろと言われて、立教大学に入学したのですが、その時点で映画の仕事をすると決めていたんです。ただ映画表現論に関していうと、僕らが大学に入った頃はポストモダンのある種の流行の直後というか…浅田彰『逃走論』が出て、柄谷行人『マルクスの可能性の中心』があって、蓮實さんはもう『物語批判序説』が出ていて、黒沢(清)さんの頃、映画表現論の授業は(学生が)9人くらいだったらしいですけど、僕の頃はもう教室が生徒で一杯だったんです。とにかく蓮實さんの授業は人気で、人が溢れている…。映画の勉強は澤井さんの下ですることにして、もともと演劇に興味があったので、近世文学を勉強することにした。それで松崎仁(日本近世演劇研究者)という近松(門左衛門)の研究者なんですけど、松崎先生のゼミに入って近松を読んで暮らしていました。その松崎さんが蓮實さんの先生なんです。学習院時代の高校の先生ですね。蓮實さんからこの前、学生の頃、僕の授業取ってたの?って聞かれて、いえ、取ってないです、松崎さんのところにいましたって言ったら、松崎さんは僕の先生なんです、じゃあ、僕と越川君は兄弟弟子なんだね、って言われました(笑)。それで、少し松崎先生の話をしました。

OIT:それはそれは。立教時代は、青山真治監督ともお知り合いだったわけですよね。
越川道夫:僕と青山監督は映画研究会というサークルで同期です。黒沢さん達は映画研究会とは別で、SPP(セント・ポールズ・プロダクション)というサークルです。黒沢さんが作って、万田(邦敏)さんがいて、4年生に塩田明彦さんがいて、3年生に篠崎誠さんがいた。僕の同期では赤坂太輔がいました。

OIT:大学を出た後は、映画館や配給会社で働かれたのですかね?
越川道夫:紆余曲折あるのですが(笑)…まず在学中から澤井さんにずっと台本を見てもらっていました。

OIT:澤井監督が、師匠のような存在だったわけですね。
越川道夫:私淑していたということでしょうか。『Wの悲劇』(1984)の頃ですね。台本の習作を書いて読んでもらうということを繰り返していました。大学3年の時に、お前どうするんだって澤井さんに言われて、助監督をやってみたいんですけど、って言ったら、お前、絶対合わないよ、頑固だから、って言われて、でも一回やってみたいんですよって言ったら、わかったと。澤井さんは社員監督ですが、僕らの時代は皆フリーです。東映の大泉撮影所の第一制作という映画を制作している部署の小島(吉弘)さんというプロデューサーを紹介され、助監督として東映撮影所に潜り込みました。一番最初は、出目(昌伸)監督の『ガラスの中の少女』(1988)という後藤久美子さんがまだ中学生の頃の作品で、吉田栄作さんのデビュー作、それが最初のカチンコ(助監督)。しかし、その後、澤井さんが言った通り「合わなかった」のか僕は撮影所を離れ、映画館の俳優座シネマテンで“もぎり”をやって、35mmフィルムの映写を教わって、仲間達と演劇をやっていました。その演劇の公演をしていた劇場が文芸坐ル・ピリエと言って、昔の文芸坐の地下にあった劇場なのですが、文芸坐の映写技師が年配の方ばかりだから映写をやらないか、ということになって。俳優座シネマテンと文芸坐を掛け持ちで映写のバイトでやるようになったんです。それが20代の後半です。

『水いらずの星』

11月24日(金)より、新宿武蔵野館、シネマート心斎橋ほか公開

原作:松田正隆
監督・脚本:越川道夫
企画・プロデューサー:古山知美
音楽:宇波拓
撮影:髙野大樹
企画・プロデューサー:古山知美
音響:川口陽一
編集:菊井貴繁
出演:梅田誠弘、河野知美、滝沢涼子

2023年/日本/164分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/DCP
配給・宣伝:フルモテルモ/Ihr HERz Inc.

© 2023松田正隆/屋号 河野知美 映画製作団体

『水いらずの星』公式サイト
https://mizuirazu-movie.com
1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6    次ページ→