『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』

ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレが、北フランスのトゥルコワン市に所在するル・フレノワ国立現代アート・スタジオで行なった『シチリア!』(99)の編集作業のワークショップの様子を、6週間150時間に渡って撮影したペドロ・コスタ監督のドキュメンタリー映画『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』(01)で、ストローブ=ユイレ夫妻が、フィルムの1コマを削るか残すかについて声を荒らげて議論をする様を目撃した者は、開始当初は30名参加していたというワークショップのメンバーが、最後には2人に減っていたというエピソードを聞いても、その脱落者たちを責めようという気にはなるまい。
むしろ、ジャン・マリーに延々とtwitterには到底収まりきらない量の呟きを発し続けるダニエルの言葉の中に、"ブニュエル"と"ニコラス・レイ"という固有名詞を確かに聴き取り、「ハリウッドで成功する秘訣は、常に前作のバジェットを上回る作品を作り続けることです」と言ったニコラス・レイに対してブニュエルは「それは破滅への道だ」と応えたと呟くダニエルの暗い人影に、生きた映画史の豊穣を目撃するにつけ、観客は、この瞬間をキャメラの背後で目撃したに違いないペドロ・コスタの存在に嫉妬するどころか、その存在すら忘れてしまいフィクション映画にのめり込むかの如き没入感で映画作家ストローブ=ユイレの創作の秘密に立ち会うワークショップに参加しているのは、我々自身であったと思い至る。ストローブ=ユイレの厳密なフレーミングに倣って、熟考の末に配置された、動かないキャメラによって捉られた映像が、ストローブ=ユイレが推奨する"繋ぎ間違い"を遂行するわけでもなく律儀な編集作業によって編み上げられた本作には、映画作家としてのペドロ・コスタの痕跡が全く残されておらず、それ故に、"ドキュメンタリー映画"の場合でこそより不可避に思える、作家の恣意性らしきものが全く認められない。
だからこそ、ストローブ=ユイレ夫妻の映画への愛が、何のフィルターも通さなかったかのようにストレートに見るものに伝わって来る。ややもすると今見ているあまりにも秀逸なドキュメンタリー映画を、ストローブ=ユイレの作品と勘違いしそうになる私たち観客が、辛うじてそうした事態を避けることが出来るのは、本作が2001年に発表された作品であるが故、それ以降の映画作家ペドロ・コスタの作品や発言の数々の記憶が、私たちの脳裏に鮮明に蘇って来るからに違いない。ダニエルが、「映画作りとは忍耐だ」と呟く時、私たちは、即座にペドロ・コスタが2年間をかけて130時間の撮影を行ない、更に1年間をかけて編集した末に完成させた映画『ヴァンダの部屋』(00)を想起するだろう。『シチリア!』を未見だった私の場合であれば、『コロッサル・ユース』(06)でヴェントゥーラとヴァンダが質素な食事をとる白い壁際の小さな食卓のシーンは、『シチリア!』のワンシーンの再現/再演だったのか?あるいはまた、『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』の次に上映されたストローブ=ユイレ監督作品『あの彼らの出会い』(06)を見るにつけ、放浪する神々の如きヴェントゥーラの佇まいの出自は、ストローブ=ユイレのオリンポスの神々だったのだろうか?などと妄想を逞しくする自由を享受したことなどは、この際どうでも良いことかもしれない。
しかし、いかにペドロ・コスタが、ストローブ=ユイレ夫妻から多くの事を学んだのか、既に1999年の本作撮影の時点で、『血』(89)、『溶岩の家』(94)、『骨』(97)といった長編映画によって世界で高い評価を受けていたコスタ監督が、ル・フレノワで行われたストローブ=ユイレのワークショップでの撮影を通して、如何にして"映画の倫理"を学び直したのか、その軌跡を、それ以降のコスタ監督の作品や発言を通じて本作から読み取ることができるのは、もはやダニエル・ユイレ亡き今、本当に貴重なこととなってしまった。最後に引用する、主語を置き換えればほとんどそのまま『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』のための言葉だと思えない事もないこの言葉を、ペドロが『ヴァンダの部屋』のために残した時、6年後に経験することになる喪失のことを、どのような意味においても予期することなど出来るはずもないのだが、ペドロ・コスタが撮影する映像には、共通して漂う"霊気"なようなものがあると言ってしまっては神秘主義的に過ぎるだろうか?
「そこには彼らの様々な場所、消え去ってしまう人生がある。ヴァンダにはあの年は二度と来ないし、あの生活が常にある訳ではない。」※
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