OUTSIDE IN TOKYO
PEDRO COSTA INTERVIEW

ペドロ・コスタは、そもそも、彼自身がおもしろい。パンク・バンドでツアーを回り、『溶岩の家』など比較的、大規模な作品も監督してきた。しかし、小津や溝口やストローブ=ユイレなどを好みながら、ポルトガルはリスボンの貧しいフォンタイーニャス地区に目を向け、『ヴァンダの部屋』『コロッサル・ユース』など、一見、とっつきにくいが、映画、そして対象への愛情に溢れる映画を撮ってきた。彼のファンや同志は日本の映画界にも多く、今時珍しくブレない監督の一人だ。そんな彼が、一度フォンタイーニャス地区から離れ、フランス人女優のジャンヌ・バリバールを主題にした映画を撮った。リベットの作品に主演するなど、自分のスタンスを築きながら映画作りに参加してきた彼女が、コスタと気が合うのも自然のことのように思える。歌手としても活動する彼女が歌い、音楽を仲間と作る様を撮るというドキュメンタリー的な手法で基本的にはできあがっている本作には、もちろん、ライブシーンも、スタジオで何テイクも繰り返すシーンもあるが、案の定、彼女がタバコを吸う時の顔のアップや、実際に彼女自身がフレームに入っていないショットなど、コスタらしい映画にしかなりようがないことは明白だ。ということで、どうしても、ただのドキュメンタリーは撮らないだろうという前提から、これを撮ることになった理由を聞きながら、ふだんの一貫した映画作りのラインから外れることで、却ってその“ブレない”視線に辿り着くことができるのではという気持ちで質問を始めた。

1. この映画のジャンヌは、ジャンヌではない、彼女のモザイクのようで、
 たくさんの少女や女性や亡霊たちで構成されている

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):基本的な質問から入るけど、なぜこのような“ドキュメンタリー映画”を撮ろうと思ったのですか?
ペドロ・コスタ(以降PC):(そもそも)これは小さな映画で、僕とジャンヌ・バリバールと、この映画の音響を担当した友人と、(バンドの)ギター、ロドルフが集まって、ホーム・ムービー的なレベルでやろうというところから始まったんだ。それが2003年とか2004年のことで、撮影は昨年の2009年まで続き、カンヌに出品した。だからまさに友情の賜物だ。友達の間で始まったことはあまり合理的な判断ではできないものだから。なぜやるのかも。契約書もなければ、お金の話もないままに、ただやろうというところから始まった。その頃は、同時に他の映画を撮っていて、僕が撮影も編集も十分にやることができなかったから、それが終わって十分に時間がとれるようになってから編集にとりかかったんだ。

OIT:そんな状態で始まったものを、映画祭に出そうというところまで考えるようになったのはいつのこと?そのようなフォーマット、ひとつの作品として成立するだろうと思えたのはどの時点から?
PC:それはいい質問だね。僕が一番心配だったのは、音楽がたくさん入っている映画をやることだった。それは常にリスクを伴うものだ。もう何度となく見たことがあるような、よくあるコンサート映画になる怖れがあった。そうしたDVDでは、ただミュージシャンが演奏しているのを見るだけで、おもしろくもなんともない。(ツアー)バスに乗り、ホテルの部屋で過ごし、ビールを飲んでいるだけで。それがビートルズやボブ・ディランならおもしろいかもしれないけど、そんな映画でさえもうたくさんあるし、もっと違うことをやりたいと思った。僕はドキュメンタリーのもっと先へ行きたいと思った。映画のフォルムや撮影方法で。僕らの撮影の仕方はほとんどフィクションに近いくらいだ。ジャンヌも、ジャンヌではない、彼女のモザイクのようで、たくさんの少女や女性や亡霊たちで構成されている。浮遊感が漂う、幻影のような映画で、完全なドキュメンタリー映画と言えるものではない。それよりもっと先へ行くものだ。僕はとても詩的な映画だと思う。(観客はそこに)飛びこみ、実際に物語を追うことができる。言葉や歌詞が伝えるものを追っているだけで。恋愛の孤独、男を待つ女とか、そういうことを描いた映画について。だから僕は、一般的で、そうした映画のフォーマットを越えて先へ行ってみようと思った。コンサート、リハーサルもあった。しかも、それは世界中のいろんな場所で撮影した。東京、パリ、リスボンと。そもそも2007年に、ジャンヌに電話をもらった。「初めてオペラを唄うことに挑戦しようと思うの」って。「ショーとしてもいいし、来ない?」と言われて、友人を誘ってカメラ持参で、小さなビデオ・カメラで撮影した。音も録音して、3日間、オペラを撮影し続けた。そして全てをビデオに納めた時、自分が撮りたいと思う映画を撮れるものが素材としてそこにあると感じたんだ。それが結果的に映画となったんだけど(笑)。

OIT:(同僚からは)キュビズムも言及されているのではという意見も出たんだけど、それはどう?特にリハーサルのシーンとか。
PC:えっ、本当に?うーん、たぶん(笑)。でも分からないな。

OIT:では、特に意識したわけではないんですね。
PC:うん。直接はないかな。でも、どうかな。映画作家によっては、何かの映画に言及するとか、常にそういうことを考えている人がいるかもしれないけど。僕はゆるいペースで、低予算の仕事の仕方をしているからかもしれないけど。もちろん、自分で選択してのことだけど、小さなメディアで、小さなカメラ、機材、そして少ない予算で、友人2、3人の小さな(規模の)クルーで(やっている)。だから、やることが山ほどあって、考えている余裕なんてないんだ。ましてや芸術的なことなんてね(溜息をつく)。露出やマニュアル調整を決めて、カメラマンがマイクをセッティングし終わる頃には撮影が始まり、フレームはもう決まっている。それを即興とか直感的とは言いたくないけど。でも(撮影が)少し自然な流れになりつつある。僕はカメラと照明をやり、この場所でどう撮影できるだろうかと考えながら、例えば、ジャンヌがここにいて、こんな照明の状態で、すぐに解決策を見出さなければいけない。それが僕の一番の関心事だ。僕は近づくべきなのか、遠くから撮るのか、上から撮るのか、下から撮るのか。全てはもう決められていて、たくさん決断しなければならない。実利的な決断をね。

OIT:ジャンヌに対して演出しましたか?構成とか、こっちに動いてとか、灯りの中に入ってとか。
PC:うーん、時々はね。でも、もちろんジャンヌは女優だし、彼女は無垢ではない。時々、僕を直接見なくても、目の端で追いながら、彼女には(だいたい)分かっている。少し光の方に寄るべきか、影に入るべきか、小さなことだけど。たまに、ジャンヌやロドルフやミュージシャンたちに、(もう一回)違うテイクをやってみてくれとか、違うバージョンの曲をやってみてくれと言うこともあった。おかしいのは、僕らがやるように、彼らもまたいろんなテイクをやることだ。いろんな曲で。1、2、3回目と。それで4回か5回目で満足するという感じ。コードとか、全て彼らの満足いくまで。たまにもう一回やってみて、と僕が言うこともあった。僕もたまに技術的な問題が起きることもある。照明や音響で。すると彼らは、「なんで?俺たちはもう大丈夫なのに」って言うけど、僕はそのまま続けてくれと言い、(その上で)何らかの事故を捉えようとした。でもそれ以外は特になくて、ドキュメンタリー的なフレーミングの条件で撮影されている。ほとんどの場合、何が起きているか分かっていなかった。まあ、コンサートの状況では把握できたけど。ステージのどこに立つ予定かも分かるし、ベース・プレイヤーが上手にいて、ドラムの場所も(決まっていて)、曲も分かっているし、オペラでも、事前にオペラを見ていたから分かった。でもその他の部分に関しては、次に何が起きるか全く分からない状況だった。

OIT:でもオペラのシーンでも、本番だけでなく、リハーサルを撮っていますよね。
PC:そうだね。僕らが到着した頃には、あれは南フランスで上演されたものを撮影したんだけど、クラシックの大きな音楽祭で、(場所は)エクサンプロヴァンスだった。僕らが到着した頃には、最後のリハーサルをやっていた。そして実際のショーは見ていないんだ。僕らはショーのプレミアにいなかったんだ。最後のリハーサルだけは見たけど。そして本番の一歩前の状態は見た。でもほとんどは、実際にやったのに近い状態なんじゃないかな。


『何も変えてはならない』
原題:Ne change rien

7月31日(土)よりユーロスペースほかにて全国順次ロードショー

監督:ペドロ・コスタ
撮影:ペドロ・コスタ
編集:パトリシア・サラマーゴ
録音:フィリップ・モレル、オリヴィエ・ブラン、ヴァスコ・ペドロソ
音楽:ピエール・アルフェリ、ロドルフ・ビュルジェ、ジャック・オッフェンバック
製作:アベル・リベイロ・チャベス
出演:ジャンヌ・バリバール、ロドルフ・ビュルジェ、エルヴェ・ルース、アルノー・ディテリアン、ジョエル・テゥー

2009年/ポルトガル・フランス/103分/35mm/モノクロ/1:1.33/ステレオ
配給:シネマトリックス

『何も変えてはならない』
オフィシャルサイト
http://www.cinematrix.jp/
nechangerien/


『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』レビュー

ペドロ・コスタ監督特集2010

ペドロ・コスタ
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