OUTSIDE IN TOKYO
DIRECTORS' TALK

レクチャー:オタール・イオセリアーニ監督マスタークラス

4. 群衆に向かって語りかけないこと、群衆向きの映画を作らないことです

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今、いい例を探そうとして考えています。ご心配なさらないで下さい、皆さんがあたかも全く愚かな方々であるかのようにお話しをしています。ですから、してはならないことについてお話しをしてるんです。どこから映画が生まれてくるのか、私自身もどこから来るのか分らないのですが、突然あるアイデアが自分自身をどこかに連れ去るような感じがします。アイデアとは何でしょうか、それは本当の偽物ではない思想を誰かと分かち合うことです。そしてその分かち合う相手は、空想力があってあなたが何かを考えているだろうと空想してくれている人、あなたと同じような考え方をする人です。その人と思想を分かち合う、それは自分が孤独ではない、一人ではなくなるためであり、自分が孤独ではない、同じように考える人がいるのだということを理解するためです。それがアイデアです。その相手を捕まえた時、それがあなたのアイデアだと思ってはいけません。恐らく多くの人々が同じことを考えたでしょう。ただその人達はそれを言い表す手段を見つけられなかったのです。あなたが見つけたアイデア、あなたはそれの言い表し方を見つけたのです。

但し、この映画という仕事をしてお金を稼ごうと思っていらっしゃるとすれば、皆さんはルーザーです、負ける人達です、そして私の同僚ではありません。私達の仕事について言えばプラトンの「饗宴」を読んだ方はいらっしゃるでしょうか?あまりたくさんはいらっしゃるとは思いませんが。(ここで監督の手元にウイスキーが振る舞われ、会場に笑いが起きる)私はこれを頂くだけに十分な仕事はしてきたと思います(笑)。不幸にして映画を作ってお金が儲かったとしましょう、そうすると儲かったお金の99%は、あなたが悪い映画を作るようにという目的であなたに与えられたお金です。『アタラント号』とかジョン・フォードの『タバコ・ロード』(41)ですが、たくさんのお金をもたらしたと思われるでしょうが、興行収入はほとんどなかったです。けれどもそれらの作品は、私や私を好きな人々に多大な喜びをもたらしてくれました。

それはダンテの文章のようなものです、(通訳注:これはダンテの神曲の言葉で、今、イタリア語で引用されましたけれど)「星を見るために我々は外に出た」。それはダンテのこの文章のようなもの、またロシア語で素晴らしい韻文の翻訳が出ているホメロスの詩句のようなもの、「空の一端がその紫色の指で~」これは暁のことを語っているホメロスの詩句ですけれども、そうした言葉を読んだ人がどれほどいるでしょうか。群衆がその文章を読んだとは思えません。ここから第三の映画作りの規則が生まれてきます。群衆に向かって語りかけないこと、群衆向きの映画を作らないことです。本物の映画を作ると、時間の流れを考えていくと総観客数は一時的にヒットするつかの間のすぐに忘れられる映画よりも、多くの観客を勝ち取ることが出来ます。本物の映画の方が命が長いのです。それはラブレーの小説のようなもの、ラブレーの作品を読んだ人は少ないのですが何世紀に渡っても読み続けられているために総計をすると読者の数はアガサ・クリスティよりもラブレーの方が多いはずです。

もう一つ間違った考え方があります。それは映画を作る時、どの民族、どこの国の観客に向かって作品を作るかを考えるべきだという考え方です。私はそれには同意しません。私の若い友人の中にも私のようには考えない映画作家達がいます。それはとても残念なことだと思います。私と同じように考えない人が多い、普通は多数派の方が正しいという風に言われますが、私は少数派であれと皆さんに言いたいと思います。誠実で深く自分の子どもや孫に対して恥で顔を赤らめることがないように、そうしなければなりません。

それでは投票をいたします、手を挙げて下さい。ご存知のように多数決という考え方です。そして少数派の方が負けです。ヴェルディのオペラ「椿姫」はご存知ですか?ヴェルディのオペラ「椿姫」、ラ・トラヴィアータですけれども、原作者の若きアレクサンドル・デュマはヴェルディのオペラで激怒しました。自分が書いた「椿姫」という短編をヴェルディのオペラのせいで陳腐なもの、平凡なものにされたと言って怒ったのです。ヴェルディの仕事は、結局はとてもプリミティブな仕事です。(「椿姫」や「サンタルチア」を朗々と歌う。)彼が使っている音の数が限られていて、それの組み合わせなんです。しかしヴェルディがしたこと全て、それが例えば「サンタルチア」でも何でもいいんですが、それと同じ音符の組み合わせを使って、それをナポリ民謡を元にして思弁し、投機をしたと言っていいでしょう。劇的なテーマを彼は利用しました。ユーゴー原作の「リゴレット」もそうですし、「王は楽しむ」もそうです。本当にその歌は悪夢のよう、それはイタリアの群衆向けに彼がオペラを作っていたからです。イタリアの群衆である観客達、オペラ劇場に詰めかけて、歌手が下手だったりすると腐った卵を投げつけたり、色々な酷いことをしていました。そういう群衆向けに作品を作っていたからヴェルディはああいうことになったのです。

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