OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『ジョギング渡り鳥』インタヴュー

7. みんなバレまくっていても映画は映画だなという感じ

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10



OIT:柄谷行人の場合はそれを、政治と現実の生活に根差して考えているので、そこも繋がるのかなと。
鈴木卓爾:だから『ジョギング渡り鳥』で最後にみんなが本当に流浪の民になっていくような、街をみんな捨ててしまうとか、そういう風になるのかなって、すごく夢想していましたね。ただ、結局映画ってフレームで切り取られてるものが全てだなぁということなのかな、逆に語られていない、撮られていないものを感じさせる、想像させるっていうことはこの映画には出来てるのかなって疑問はあるんです。なんかああやって最後のショットでみんながどっか行っちゃうんですよね(笑)、フレームの外に、あれ単純にフレームアウトしてるだけなんですけど、ああどっか行っちゃったなって感じがすごいするんですよ、お茶セットだけ真ん中に残して。いよいよだから、逆にその宇宙人達が帰れなくなっちゃってるっていう、一方での難民というか、亡国してるっていうことまで、お客さんは感づいてくれるかな?と。帰れないながらにあそこに住み移ろうとしてるらしいんです、あそこの最後のシーンって。
OIT:モコモコ星人の言葉って、最初は全く意味をなさないんだけど、後半の方ってちょっと日本語的なのが混じり込んできてますよね。あれは学習しちゃってるってことなんですか?
鈴木卓爾:最後は、みんな入鳥野町の人達の格好をしてるんだけど、体の一部にモコモコがくっついてるんですよ、よく見ると。言葉にはマツコとかマムシとか混じってるし、あれはね、なんかそういうことらしいです。
OIT:変化してますよね。
鈴木卓爾:変化してます。
OIT:SFのパラレルワールド的設定。
鈴木卓爾:そこを多分ATGの時代の日本映画でもしこれやるとすると、もっとはっきり自己言及してたと思うんですよ、寺山さんの『田園に死す』(74)みたいに、これは嘘だとか、よく自己言及のシーンがあるじゃないですか、メタフィクションの。それが今回は全くない。
OIT:メタフィクションということで言うと、チャーリー・カウフマンの『脳内ニューヨーク』(08)という映画がありましたが。
鈴木卓爾:『脳内ニューヨーク』、見てないんですけどね、実は『脳内ニューヨーク』みたいだなとちょっと思ってました(笑)。フィリップ・シーモア・ホフマンのね。そういう風にした映画って、僕昔撮ってて、『にじ』(97)ってそうなんですよ。『にじ』は、今回の『ジョギング渡り鳥』の自撮り映画みたいなもので、結局みんなでやってることを一人でやってる、自分にカメラ向けて何か悩み事を言わなきゃいけないみたいな(笑)、そういう映画なんです。運動は運動であって、カメラ据えて何かばーっと走るとか、カメラ回しながら電柱に登って歌うとかやってるんですけど、自己言及の積み重ねで作品を作るっていうんでもなく、その自己言及して運動、自己言及して運動、みたいな映画なんです。なんかちょっとね、一巡りしてる感じがあって、僕ら監督とかカメラマンが映っちゃってもこの映画はフィクションし続けるっていう映画になってるなと思ってて。それはね、2時間37分ずっとそうやり続けていて最後にカチンコ叩くと、あそこで一気に子供生まれた、急に楽になるみたいな。でも逆に言うとそういう緊張感の映画っていうか、みんなバレまくっていても映画は映画だなという感じはすごくやってて面白いなと思ってて、これこそあんまり言わないんでネタバレという感覚に近いのかもしれないですけど。お客さんがどれだけ喜んでくれるか、普通なら怒っちゃいますよね、こんな映画公開したら。
OIT:時代ですよね、今はやっぱり、こういうのが出て来たらそれを面白がれる、逆にこの自由さからインスピレーション受ける、そういう時代に逆になってないといけないんじゃないかなと思います。
鈴木卓爾:なってないとやばいですよ、すごくやばいじゃないですか。だからこの映画の難しいところって、例えば塚本さんの『野火』(15)であれば、監督があの映画を作ろうとしたモチベーションとお客さんがその映画を見よう、そこから何を見いだそうとするというモチベーションが非常に明確だと思うんですね。それは作られて然るべき映画だと僕も思うんです、面白かったし。だけどこの映画『ジョギング渡り鳥』になると、なかなかそのモチベーションを全面に出しずらいなというのがあって、今こうやってお話しをさせてもらうと、非常に噛み砕いて説明出来るんですけど、映画の中にあるものってやはりストーリーではないじゃないですか。どっちかというとこのジョギングという問題と渡り鳥という問題と、冒頭はなんか変な鳥男の話は出て来ますけど、あれは完全に映画と切り離してテキストとしてもう乱暴でしたけど、やったんですよね、原発の事故っていう言葉を入れて。でも本当言うとあれは必要なかったかもしれないですよね。そこは結論としては実は出ていない。


←前ページ    1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10    次ページ→