OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『ジョギング渡り鳥』インタヴュー

3. 現実に起きてることがフィクションの上をいっている

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OIT:それは映画を作るっていうこと中に、美学校でやっている活動として、若い人に対する教育的な意図がやはりあったっていうことですか?
鈴木卓爾:そうですね、かなりありますよね。何が撮れるか分からないけど、どこか僕の中で、そうやって映画をスタートさせて映画を作れないだろうかっていうのが、やってみたい試みとしてあったんですよね。先の展開がどうなるかも分からない、一期目の最初の撮影が終わった後にクランクアップちゃんとするかも分からないし、撮りきれるかどうかも自信がないけど、決まってるのは朝ある場所に集まって、その一日の中で個々にみんなが生活している情景がある、そこで何を語るのか、何がこの関係性の中で起きるのか、ひびが入ったり、近づいたりするのかは分からないんだけど、そういうフィールドを先に作ってしまう、そこでどういう風に展開するのかはちょっと皆さんにもお任せしなければいけないけれど、そこからもしかしたら映画だなっていう時間が立ち上がってくるかもしれないっていうことで始めてみた。

カメラは、映画美学校出身でセミプロでやってる中瀬(慧)君っていうカメラマンに頼んで、みんなを撮ってもらうことは決めてたんだけど、そのカメラだけではきっと撮りえないっていうか、すんでの所でそれを撮り逃がしてしまうことにもなりかねない、逆に言うとカメラが一台しかないという状況でこれをやると、きっとそのカメラに対してステージが出来てしまう、むしろカメラの位置というのはどこにあってもいい、カメラ位置というのはその時決まるくらい自由に泳がせられるものである、そうでないと立体的になっていかないんじゃないかなっていう気がしていたので、それで俳優達にカメラ持たせたい、もっと言うとマイクも持たせたい、その地下スタジオで相手の声を聞いて自分の声を出すみたいな訓練をしている人達なので、咄嗟にふっと向けたカメラの中に仲間が映るっていうことが、いわゆる映画の普通のカメラマンと俳優の関係ではないものが撮れるのではないだろうかというのも試してみたかった。これを試すにあたって授業のカリキュラムの中で、エチュードとしてやってしまうのではなくて、作品を作る覚悟を持ってこの難題に挑む方が明らかに緊張感が違うと思ったんですね。そういったマジなセッティングをしてあげないと、いわゆるさっきおっしゃったような教育的なことも達成出来ないんじゃないかなというのと、まさしく教育的な場所ではあるけれどそこからなぜ映画が生まれえないのか、生まれるはずであるっていう、乱暴な仮説を実証してみたくなったっていうのが大きかったですね。
OIT:ワークショップ映画というようなジャンルがあるわけではないですけれど、ニコラス・レイの『We Can't Go Home Again』(71〜76)があったり、今日本でも結構出てきてますよね。「シネマ☆インパクト」からはヒット作も生まれてるし。
鈴木卓爾:まず無名の人達が映画に出ているものに、ある程度ゲートを開いたなという感じがしていて、それは去年で言うと『ハッピーアワー』(15)はでかいですよ。まあ橋口さんの映画『恋人たち』(15)も無名の人が主役をやっているっていうことはあるんだけど。面白いのは、作られ方がどういうプロセスを新しく模索しているかどうかなんだと思うんですよ。プロの俳優さんが主演をして予算が決まっていて、あるいは自主映画でもいいんですけど、スケジュールが決まっていて、台本が出来上がっていてっていう作られ方ではない、つまり入り口としては俳優が動くところから、俳優の演じる役をモデリングさせるところからスタートさせるっていうことなら、映画に映る優先順位みたいなことを変えられるんじゃないかなという気がしたんですね、優先されていくのがストーリーではない。それがお客さんにとっていいことなのかどうなのか、ここが勝負だと思うんですけど、お客さんにとっていいことばかりではないかもしれないわけですよね、そこは実はコントロール出来ない結果を生み出すかもしれなくて、結果それをコントロールして編集をしてお客さんに届ける商品として、お金を払って見てもらうものとして整え過ぎていいのかっていうことが、すごく難題としてありました。そうやって元々ワークショップでユニークな作り方から始まった映画でも編集で使えるところを上手く繋ぎあわせてしまうと何にもならない。
OIT:普通の映画になっちゃう。
鈴木卓爾:普通の映画として着地しちゃったら、そういう方法論をとった意味ってなくなってしまうなって思ったんですね。とすると、もはやその多く作られている、多く選ばれている方法も捨てた上でこの映画を、これが劇場公開映画ですっていう風に作っていくことしか、今やってる実験の面白さを伝える術はないんじゃないかなって思ったんです。撮影が終わってから仕上げを考えてる期間、これをどう見せたらいいのか、見せ方、編集の問題でやっぱり異様に時間がかかりました。
OIT:その編集の話も後でお聞きしたいと思ってるんですが、この映画は言わば、映画を再発見するような試みの一つだと思うのですが、それはいわゆる映画的と言われているもの、例えばシャンタル・アケルマンが撮った映画のフレームの強度のある作品、もう見るとあからさまにそれが映画的な画になっているという、そういうものとはある意味では対立する形での映画の再発見、映画を作り直しているような試みに見えたのですが。
鈴木卓爾:どこかでコントロールするっていう概念自体を放棄したいなと思ったんですね。それは僕の中の心境としてということになっちゃうんですけど、フィクションというカテゴリーで映画が作られていますけど、誰かの思惑の中でこの画はこう撮られなければいけないみたいなことがあったとして、そうやってちょっと力強い映画っていうのが撮られていくっていう映画の作られ方ですよね、その中で俳優が生きてくる映画ってあると思う、それこそブレッソンであるとか、あるいは多くのフィクションがやっているようなことなんだけれど。ただそれって、いつも何かを映画に撮る時の映画の強い武器でもある偶然性を奪ってしまうものと、いつも自分の中で引き裂かれているような感じがあった。ただ僕もすごくカチッとこう映画でしか撮れないショットとか撮りたいなっていう風にずっと思ってるんですけど、これをなんか一個人が考えたコントロール下で成し得るっていうこと自体、フィクションを作る作り方が、もう古いのかなっていう風にどうしても思えてきてしまって。それは3.11がでかかったんですけど。

よく現実にフィクションが負けるって言うじゃないですか、まさしく東京電力福島第一原子力発電所の事故で起きたことと、その後の状況がまさにそうだと思うんです。原子力発電所の半径30kmの15万人の人達が避難するという事態が起きて、その人達は今も帰れないでいる。低線量被爆する地域というのは広がっているし、現実に起きてることがフィクションの上をいっていますよね。本当だったら住んでない方がいいんじゃないかみたいなところも我慢して住まなきゃいけないのが、やっぱり政府とか行政の選び取りようなわけで。そうするとそれを成立させるために、現実の上で成り立ってる人達の行うフィクションが茶番にしか思えないようになってきてしまって、コントロールとはこういうことを言うんだっていう、ものすごい敗北感を感じた、これが本当にコントロールということなんだなと。ただでも制御出来ないからこういう風になっているのに、まだコントロールしようとするんだっていう、なんかそういう自分の中では中毒になりそうなくらいの問いかけみたいなことがずっと続いてたもんですから。ちょうど、そういう事故が起きる前にジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』(09)っていうタイトルの映画があって、いい言葉だな、リミッツ・オブ・コントロールかって。ジャームッシュはどうしてリミッツ・オブ・コントロールなんて言葉で映画作ったのかなぁとか思っていた。でも映画ってコントロールしなければ俳優はそこに立てないし、立たせられない、光とか、色々なものを上手く投与出来ないんだけど、発想として、ストーリーのためにって言っていいのかな、制御したりコントロールしたり、物語とかある括り付けのためではない形で映画にしか出来ないことをやらないと、ちょっと先々僕は、続けられないかもっていうそんな気持ちがすごく強くなっていた頃だった。


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