OUTSIDE IN TOKYO
SHIMADA RYUICHI INTERVIEW

島田隆一『春を告げる町』インタヴュー

6. 「現場で大事なのは“映画の時間”が流れる時があって、
 そのショットを撮る為に撮影しているんだ」

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OIT:それと最後のショットがね、あれドローンですか?
島田隆一:ドローンです。
OIT:しかも松本(重男)さんがちょっと映っていて、胸が熱くなるようなショットでした。
島田隆一:ありがとうございます(笑)。ドローンという撮影方法自体が今はあまりにも使われすぎていて食傷気味な感じがあることは理解していました。僕自身そう感じてもいました。また、それこそ2.5人称という考え方をするならば、カメラが地上から離れちゃダメでしょうとも思っていました。ただ、それでもある想いを描きたくてあのショットは使いました。完成後には色々批判された部分ではあるんです(笑)。
OIT:いや、批判が起こるケースとしては、単に技術的側面でやっている場合に批判が起こるんだと思います、スマホの映像にしてもそうだと思いますが。この場合は、内容が求めている形式として使われてると思うので良いと思いますよ。
島田隆一:嬉しいですね、にたにたしちゃった(笑)。
OIT:僕は何の疑問も感じなかったです。松本さんが、昔はここから全部太平洋まで見渡せたんだよって言ってたじゃないですか。
島田隆一:それを言って頂けたのって初めてです、その為に撮ったんですけど(笑)。
OIT:本当に?僕は、あの言葉が頭にずっと残っていたから、それを最後に見せてくれるっていうのは素晴らしいと思いました。
島田隆一:本当に初めてです(笑)。もう色々な人からそんなの伝わらないよって言われてきて。
OIT:しかも、亡くなってしまった訳ですからね。
島田隆一:亡くなられたことに関しても、映画の一般論として映画の中では殺さないでほしい、映画の中で生き続けてほしいっていう考え方はあって、そこに関しては編集の秦さんとも話したんです。結局松本さんだけじゃなくて、あそこに映ってる人はいずれ必ず死ぬわけで、松本さんの死だけを特別にした時に、彼の死をこの映画の中に閉じ込めてしまう。それは映画を作る、ドキュメンタリー映画を作るっていう全体の中では良くないんじゃないかっていう議論が編集の秦さんと僕の中でもありました。それは僕も一般論としてのドキュメンタリー映画の在り方としては、理解できるんです。ただ、松本さんが亡くなってしまうっていう現実自体が、この映画のテーマと大きく関わっていると思っていました。あの仮設が6年続いたことが果たして良かったのかという問い、もっと早く仮設を切り上げていれば彼はもっと早くあの土地に戻れたっていう考え方も一つある。逆に言えば帰還が2年延ばされていたら松本さんは仮設で亡くなっていたかもしれないという現実もある。そのぎりぎりの凄く不思議な狭間の中で一年間だけ松本さんが広野に帰った、その一年間だけを僕は記録させて頂いた。それはやっぱりこの映画にとっては、アヒルの生と死みたいなことも含めて色々な循環、大袈裟に言ってしまえば命の循環みたいなものを描いているので、そういう大きな視点を持った映画にする為には、確かにその死を封じ込めてしまうことではあるけれども、松本さんにはそこまで担って頂きたいっていう想いを込めて、あのラストカットになったということなんです。
OIT:もちろん最初はそういう事を分からないで松本さんを見るわけですけど、あの風貌というかね、非常に印象が強い方で、丈夫そうでと思って見るわけですが、最後に松本さんを入れたのは僕はいいと思いましたね。日本の若い映画作家たちの作品で気になるのが歴史性が無い作品が凄く多いということなんです。今、生命の循環って仰ったけど、ドローンが上がっていくと海が微かに見えてくるっていうショットは、先に語られた松本さんの言葉と相俟って、それが映画の中でサイクルすることである種の歴史性が浮かび上がってきて、素晴らしいと思いました。双葉の立派な木で出来たお宅でピアノを弾くシーンにしても、30年後には戻って来たいみたいな話が出るわけですよね。実際は30年後に戻れるのかどうか分からないし、人類未経験みたいなことが沢山ある中で、それでも人間っていうのはこういう風に生きていくんだなっていうのが示されている。
島田隆一:整音をやってもらった川上(拓也)さんが、整音が全部終わって一緒に飲みに行った時に一言、「島田さん、これは距離の映画だね」って言ってくれて、その時はほうと思ったんですけど、やっぱり無意識も含めてその土地の距離っていうことと、人の心の距離みたいなもの、特に人の心の距離って映そうと思ってもなかなか映せないんですけど、色々な皆さんのやり取りを撮っていく中で、ああなんかそういうものが描けていけたのかなっていうことに、出来上がってから意識的になってきたっていうことはあるかもしれません。物理的な距離と時間的に離れているものを一つの映画に入れるっていうことは事前に考えてたんですけど、人と人との距離みたいなものもあるなと。高校生の距離感であったり、高校生と町の人の距離感であったり、町の人達同士の距離感であったりみたいなことを、定着させることが出来たのかなっていうことは映画が出来上がってから考えました。
OIT:その距離がちゃんと保てているからかもしれないですけど、人物がよく捉えられていますね、大勢の人が集まる場面も一人一人の顔がちゃんと撮られていると思いました。それと人間と同時にこの広野町自身をジオグラフィカルな部分を含めて美しく撮っているし、同時に小動物のショットも良かった、監督がご自分で撮っていたから、撮れたんですかね。
島田隆一:僕は、『1000年の山古志』(2009/橋本信一監督)という中越大震災で全町避難になった新潟県の旧山古志村を描いた映画に助監督として参加しているのですが、その時のカメラマンが松根(広隆)さんという方でした。最近だと『風の波紋』(2015/小林茂監督)の撮影をされた方です。その方から現場の在り方とか、ドキュメンタリーの現場においてスタッフがどう存在してなければいけないのか、ということを教えてもらいました。また、現場で大事なのは“映画の時間”が流れる時があって、そのショットを撮る為に撮影しているんだということも教えて頂きました。実際、色々な方に観て頂いた時もやっぱり皆さん演劇部のお話をされるんですけど、松根さんは観終わってすぐに映画の時間があったのはあそこじゃないよねと。映画の時間はむしろ、松本さんのガレージでのやり取りなどのシーンにある。ああいうシーンでのお前の存在の仕方は間違ってなかったっていうことを言って頂けたんです。そういう意味では多分僕なんかよりも松根さんが撮った方が、色々なものも含めて撮影できるんだろうなっていうのは思いました。だけど、僕はこの映画の中の広野町自体を、町民の人達が見た時に「こんな綺麗な風景あるんだ」という発見をして頂きたいと思いながら撮影していたので、それが届いていたのなら嬉しいです。

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