OUTSIDE IN TOKYO
SASOU TSUTOMU INTERVIEW

溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー

7. 溝口作品の音響

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OIT:ここで触れてらっしゃって面白かったのが深井史郎さんの音楽です。
佐相勉:ふっと思ったんですよ、これって和楽じゃないやと、戦後に『雨月物語』とかああいうのは早坂文雄さんの和楽っぽい音楽ですよね、でも全然違う、完全な西洋風のオーケストレーションで。
OIT:溝口の音楽とは別に、例えば、『雨月物語』とか、映画館で観た時びっくりしたんですけど、もの凄く音響設計が緻密ですよね。それっていつぐらいからそういう作り込みをしてたのでしょう?
佐相勉:音だからトーキーなんですけど、『マダムと女房』(五所平之助/31)をよく間違えて日本最初のトーキーってみんな言うんだけど、それは間違えで、『マダムと女房』は日本最初のまともなトーキーっていうか、ちゃんとしたトーキーだから、その前にトーキーが無かったわけじゃないんです。その一年前のもので、大体29年くらいからちょっとずつ作られてる『藤原義江のふるさと』(30)を(部分)トーキーで作った頃からそうなんですけど、これは僕も最初観た時びっくりして、恐らく最初観た人はみんなびっくりすると思うんですけど、音に関しては何をやってるかっていうと、画面に映ってるものではなくて、例えば外にいる人の台詞とか、外にいるものの音とか、そういうのを意図的に使ってるんです。それは今からすれば当たり前の話なんだけど、当時からすると相当画期的な実験だった。当時はとにかくシンクロさせるっていうことを一生懸命やってた時代なんですよね。だけど溝口はそんなのはもう当たり前の話でその先のことを考えてて、画面に映ってないところから音が聞こえてくるっていうことをかなり意識的にやってるんですよ。それはエイゼンシュテインが自分ではトーキーを作ってないんだけど、宣言を出してて、『藤原義江のふるさと』を作る2〜3年前かな、要するに音と映像の解放とかっていう言い方で、音と映像を単にシンクロするんじゃなくて、音と映像を全然別のものとしてやってくことによってトーキーは揚々たる前途があると言ったんですよ、それに溝口さんは凄く影響受けてて、それをやってるんです、だから最初から音についてはかなり意識的にやってると思います。
OIT:最初からなんですね。
佐相勉:『浪華悲歌』の時に最初のシーンがうがいしてる音なんですよ、映ってるのは大阪の古い老舗の製薬会社の外の風景をロングで撮ってて、人物は誰も映ってないんですね、そこにそこの主人がガラガラガラって朝起きてうがいして、もの凄い音でうがいしてるその音が画面外から聞こえてくる、それが最初ですよ。だから音に関しては溝口さん自分で謙遜して、僕は音楽も分かんないし、耳に関してはゼロだみたいな言い方してるけど、そんなこと絶対にない。
OIT:ゴダールがびっくりするのも当たり前っていうことですね。
佐相勉:そうそう、だから音については色んな人が研究されてきてると思うんですけど、音楽もそうですよね、音楽も非常に新しい。音楽に関しては戦後、早坂さんと組み始めて、あと黛敏郎の『赤線地帯』とかも音楽が非常に新しい。だから溝口さんって凄く貪欲でとにかく新しいものを吸収して、使えるものはとにかく使っちゃおうっていうような感じですね。
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