OUTSIDE IN TOKYO
SASOU TSUTOMU INTERVIEW

溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー

4. 戦時下の溝口、太平洋戦争開戦の日に封切られた『元禄忠臣蔵 前編』

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OIT:時代は戦争に入っていきます。39年には『残菊物語』があって41年には『元禄忠臣蔵』が公開される、真珠湾攻撃があった年ですね。
佐相勉:作ったのはその前です、『元禄忠臣蔵 前編』を封切ったのが確か12月8日、封切り日が太平洋戦争開戦の日だった、だから全然人が入らなかった。映画なんか観てる場合じゃなくて、がらがらだったっていう。後編は翌年に公開される、だからまたがってるんです。ただ作り始めたのはその前なんですよね。その時これを作る上でもの凄く沢山文章を書いていて、これは多分他人が書いてる。
OIT:「元禄忠臣蔵演出記」っていうのは他人が書いた?
佐相勉:と思います。でもさっき言ったように溝口さんの思っていることだっていう風に言って基本的には間違いないと思いますけど、もの凄くいっぱい書いてる。
OIT:その部分がなかなか面白そうなわけですが。
佐相勉:結構苦労したところです。
OIT:今までの二つの流れというのが、戦中になって変わってきて、政治的、愛国者的になってゆくと。
佐相勉:文章まだ読まれてないでしょ?多分最初に読むとびっくりすると思うんですけど、僕も最初読んでびっくりした、凄い文章ですよ。当時の右翼ばりばりみたいな、高揚した文章を書いてるんですけど。でもそれは溝口だけでもないんですよ、依田義賢なんかもそんなような文章を書いてるんで、だからいいって訳じゃないんですけど、結構そうなんですよ。
OIT:水木しげるも少年(18歳)の頃に見たヒトラーは格好良かったって書いていて(「劇画ヒットラー」あとがき/2003年)、ヒトラーの漫画(「劇画ヒットラー」1971年)も書いてますよね。
佐相勉:戦争行く前に?
OIT:はい、行く前ですね(※水木しげるは21歳で出征)。熱中したんだと思うんですよ。
佐相勉:だから僕も今回読んでいて、ヒトラーとかナチスを凄く賞讃していて、変な言い方をすれば興味深いっていうか、そこら辺をきちっとやりたいなっていう風に思ったんですけど全然書けてない、問題提起くらいしか書けなかった。ただナチスをどう思っていたかっていうことで言うと、例えば小津安二郎なんかにしても『民族の祭典』(38)をその年のベストテン一位におしてるんですよ。だからそれは溝口だけじゃなくて、日本の映画界全体で当時のナチスの映画に対する評価は高かったんじゃないかな。その辺の研究は日本では今まで誰もやってないよね。
OIT:ナチスの映画というと、レニ・リーフェンシュタール以外に、どういうのを観てたんですかね?
佐相勉:溝口さんはドイツの表現主義映画作ってるぐらいだからドイツ映画は結構観てるんですけど、それは20年代の作品で、だからナチスの映画に関しては、40年代になるとアメリカ映画もまだ入ってきてるんですけど、やっぱりドイツ映画が多くなって観てますね、ダグラス・サークの『第九交響楽』(36)とか。サークはナチスの時に娯楽映画を作ってて、今もDVDで2〜3本出てます。プロパガンダなんて、全然ないですよ。強いて読み込めば、読み込めないことはないかもしれないけど、普通に観てたら普通の娯楽映画です。ナチス時代の娯楽映画(「ナチ娯楽映画の世界」瀬川裕司著)っていう本があって、その人結構凄くて、ドイツへ行くと今結構観れるらしいんですよ。変な話だけど、旧東ドイツにはいっぱい残ってるらしいんです。プロパガンダも確かにもちろんあるんですけど、かなりの部分は単なる娯楽映画なんです。それはよく分かんないんですけど、文化担当のゲッペルスが結構柔軟というか、娯楽の大切さを知っていて、そういうものを提供する方が、ごりごりのプロパガンダ映画を押し付けるよりもいいみたいな発想があったんじゃないかな、音楽なんかもそうみたいなんですよね。例えばジャズはいけないんですよ、黒人だし、アメリカだし。それで駄目なんですけど、実際はやってたらしい、結構流れてて、ゲッペルスが本音と建前を使い分けしてて、大衆に人気があったからある程度許していた。それと同じで多分娯楽映画を提供する方が、民衆がナチスに最終的にはなびいてくるという計算の上でやってたんじゃないかなって僕は思ってるんですけど、だから結構普通の娯楽映画が多くて、ダグラス・サークの観るとびっくりしますよ。
OIT:ダグラス・サークは、「サーク・オン・サーク」(INFASパブリケーションズ)でヒトラーと面会したけれども全く大したやつだと思わなかった、その時見縊っていたことを凄く後悔してるって後年語ってますね。
佐相勉:総統になる前?
OIT:ヒトラーがどの段階で会ったのかは分かんないですけど。
佐相勉:あの人、何年ぐらい亡命してるのかな(※37年に亡命)、『第九交響楽』が36年とか37年とかそれぐらいの作品ですよ、それは今でもありますよ、紀伊国屋とかに。(※サークは、『第九交響楽』は自らのフィルモグラフィの中で、“文学”つまり“演劇”と決別した最初の作品であり、彼の映画歴の中でかなり重要な作品である、と語っている。「サーク・オン・サーク」)
OIT:普通にDVDで?
佐相勉:うん、要するに歌謡映画、歌うんですよ、なんとかっていう女優さんがいて、その女優さんを凄く重視して、その女優を売り出すみたいな映画。
OIT:そうすると別にワーグナー的な高揚感があるとかっていうものとは全く関係ない話ですね。
佐相勉:普通に観てたら、ナチスの時代に撮られた映画じゃなくてアメリカ映画なのかなって思うくらい。
OIT:戦中はドイツ映画は同盟国だから観れて、イタリアのも観れたってことですか?
佐相勉:そうですよね、でもイタリアよりやっぱりドイツ映画の方が注目はされてますね。溝口さんなんかも、ドイツの特にドキュメンタリーが凄いって言ってて、ソビエトのドキュメンタリーも凄いらしいが、観られないのが悔しいって言ってますね。
OIT:凄いっていうのは、雑誌などで文章読んで凄そうだってことですか。
佐相勉:そういうことだね、観られないわけだから。だから何とかしろみたいなことは言ってるんですけど、ドイツもそのドキュメンタリーは凄いっていう風に言ってるんで。その辺ドイツ映画っていうかナチスの映画に対する感じ方ね、それは溝口さんだけのものなのか、他の監督も似たようなものなのか、その辺はやっぱりもうちょっとやらないとわからない、今までは、まるでそういうところが抜けてた。そういう意味では今回、40年代のこのかったるい文章を一生懸命読んで、読み込んでたら結構面白いもの書けているかもしれないので、これは成果です。色々面白いものが出てきたんで、ここからなんかもう少し進んだものが出てくると良いですね。
OIT:面白いと思いますね、その上で『元禄忠臣蔵』を観るっていう風に。
佐相勉:そういう風に観て作品と絡めて頂くと嬉しいです。あんまり作品と絡めて書いてなくて、溝口の文章だけでどういう風に言えるかなっていう感じで書いてるんで、そういう風に観て頂けると非常に有り難いです。
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