OUTSIDE IN TOKYO
SASOU TSUTOMU INTERVIEW

溝口健二著作集刊行記念:佐相勉インタヴュー

5. 国家、政治、民衆と綱引きをする映画作家

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8



OIT:溝口の文章に戻りますと、面白かったのが、国民に根差している美術の表現っていうのは、民族、国家に根差しているものでなければ本質的なものであり得ないっていうようなことを書かれていますよね、それがこの『元禄忠臣蔵』の時のことですか?
佐相勉:そういう意識は何もこの時だけじゃないような気がします、溝口さんの場合は。言葉遣いがこの頃になるとこの頃っぽい、国家とか民族とか国民ってなってくるので目立つんですけど、割と変わってないって言えば変わってない。つまり民衆って言っちゃうとまたイメージが違ってくると思うんですが、でもそういう日本の中にいる民衆に根差してるもの、それ無しに映画とか、美とか、そういうものはあり得ないっていうのは一貫してあった、1920年代から、それは変わんないんじゃないかと思うんですよ。
OIT:じゃあユニークだったのは、『元禄忠臣蔵』の画の見せ方でしょうか。
佐相勉:そうですね、日本画的な見せ方を考えてはいたと思うんです。溝口さんが言ってることがどこまで正しいのか僕もまだよく分かりませんけど、日本画と西洋画の違いっていうことで言えば、何もこの時初めて意識した訳じゃないと思うんですけど、ただ日本画だけでやるっていう方向へ傾いていったんじゃないかな。今までは、西洋画と東洋画と両方、二つのものを一つにコンデンスするっていう風に思っていたのが片方だけになってる、それが何故なんだろうっていうのが、まだあんまりよく分からないんですけど。
OIT:それはやっぱり戦争中だったからっていうことですか。
佐相勉:それはそうなんです。そこで政治とか国家っていうものがある意味かなりきつく芸術に覆い被さってきてる時代ですよね。つまりその前は、ある程度は許された、それがかなりきつくなってきた。溝口さんっていう人は政治が表に出てくる時になるとそれを無視出来ない人なんですよね。だからさっき傾向映画の話もありましたけど、1920年代から30年代の始めまで、政治的にもそういう対立が出てくるし、そういう動きが出てくるとその動きに対して正面からぶつかっていく。傾向映画で、例えばブルジョワとプロレタリアの対立で、プロレタリアの方から描いてくっていうのは割と分かりやすいんですよ、溝口さんの場合。男女の問題で、犠牲になる女性の側から描いていくっていうのは、ある意味ではパラレルな関係ありますよね、男と女の関係をブルジョワとプロレタリアへ移しただけみたいな。だけど1940年代の戦争の時期に、政治的なものが表に出てきてきつくなってくると、やっぱり溝口さんは真面目に考えるわけです。それで、なぜ東洋だけになったのかっていうことを、さっきもちょっと考えたんですけど、一つはね、これ正しいかどうか分かんないんで色んな人に考えてもらいたいんですけど、さっきの男と女、ブルジョワとプロレタリアで弱者の方から描いてる、その類推で言うと、西洋対東洋、当時、大東亜共栄圏っていう発想は欧米帝国主義が西洋を侵略して東洋の民衆がみんな苦しんでる、それから解放すると、日本が盟主っていう言い方を当時しましたけど、日本が先頭になって東洋を西洋の欧米帝国主義から解放する大東亜共栄圏という考え方、これ今でも言ってる人いますけど(笑)、ここへいったのかな。つまり東洋を弱者として捉えて、それで西洋に対して対抗するっていう、それで東洋一辺倒になっていったのかなっていうのが、とりあえずの回答で、まあこれはだから絶対に正しいっていう風には全然自信がないんですけど、一つの回答です。その方が、従来溝口さんは右へ行ったり左へ行ったり、ふらふらふらふらしてるっていう風に、からかい半分に言われてて、現象的に見ると確かにそうなんですけど、でもただふらふらしてたって言うだけではどうもいけないんじゃないか。やっぱりもうちょっときちっと捉えないと。だから、今回、統一的に捉えるとどうなんだろうという問題提起は出来たかなっていう気はするんですけど。
OIT:それがいわゆる国民精神の水脈として、地下水脈的に一般庶民にも流れているものではないかということですよね。
佐相勉:そうなんですよ、最後に国民精神の源流みたいな言い方をしてて。溝口さんは民衆っていうか、そういうものをずっと意識してた人だから、結局民衆そのものも流れてったわけですよね。要するに被害を受けたっていうだけじゃなくて、民衆自身も戦争の方へ行った、それはやっぱり溝口さんもそういう民衆を見てるわけですから、それと無縁ではいられないだろうっていう、ちょっとそこは書いていてもうちょっと何とかなんないかなっていう感じはしてるんですけど、そういう問題はちょっとあるような気がしますね。だからそういう風に見た方が溝口健二って人を一貫して見られるんじゃないかと。つまり民衆と溝口との相関関係、綱の引き合いっていうか、国家に対しても綱引きあってるし、芸術に対してもそうだし、民衆についてもそうだし、そういう動きと溝口さんとの、ある意味戦いでもある。場合によっては民衆の方へずっと流れていくようなこともあるだろうし。そこが、あんまり簡単に言っていいのかどうか分かんないけど小津安二郎と違うかなと。小津安二郎は民衆とそれだけ綱の引っ張り合いをしたかどうかっていうね、ちょっとそこもよく分かんない。今ちょっと考えてるんですけど、小津の戦争体験と溝口の、溝口は戦争行ってないですけど、溝口の戦争中の体験と比較しながらこれからやろうかなと。小津は戦争行ってるでしょ、相当苛烈な戦争体験してるはずなんで、小津の沈黙も含めてね。
OIT:(小津は戦争を)映画では描いてないですよね。
佐相勉:描いてないですよね、だからその沈黙も含めて何なんだっていうね。最近ちょっとそれについて書いてる人がいて読んだんですけど、やっぱりちょっとまだぴったりこないっていう不満があるので、もう少し小津と溝口の体験を絡めてなんか出てくるかなと。
1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8