OUTSIDE IN TOKYO
Mia Hansen-Løve INTERVIEW

ミア・ハンセン=ラブ『グッバイ・ファーストラブ』インタヴュー

3. 私は映画を作ることで、とてもいい場所、とてもいい空間、
 私が落ち着いていられるような空間を、今、作ってきているような気がします

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OIT:マルグリット・デュラスは家をテーマに幾つか映画を撮っていますが、その家というのは女性が長い時間を過ごす場所としての家をテーマに撮っていたと思うんですね。『グッバイ・ファーストラブ』でも、家、そして建築が一つのテーマになっています。本作では、カミーユ自身が建築家になるということで、今までは家の中にいた女性が、今度は自ら家を作る立場に変わってきた、現代女性の一つのイメージが描かれていたと思うんですが、家というテーマに関してそういうお考えはありましたか?
MHL:家は、もちろんとても重要なテーマではあります。家もそうですが、家族というものもとても大事だと思います、ただし、血で繋がっている家族では必ずしもなくて、精神的な面、心の繋がりで出来ている家族、というものが一番大事だと思うんですね。バランスがとれる場所、落ち着いていられる場所というのが家族であり家であると思うんです。そういう意味では、家というのは必ずしも物理的な空間、あるいは場所ではないですね。例えば、映画の中でカミーユが一番幸せな時はいつかと言いますと、それは二人の男と同時に付き合っている時なんですね、そういう複雑な関係において一番心が落ち着く場所、関係が場所になってしまう。家のことに戻ると、映画の中で夢の家、彼女の別荘の近くにあるもう一軒の古い家があるんですが、そこは時間に登録されていない、時間の経過を感じないような家なんです。シュリヴァンへの恋の場所でもあったわけなので、すごく大事な場所になります。そして彼女の建築家になるきっかけにもなった場所だと言えます。そして先程も記憶について言ったことと似たようなことになるんですが、私は映画を作ることで、とてもいい場所、とてもいい空間、私が落ち着いていられるような空間を、今、作ってきているような気がするんです。そういう映画を想像することで私が安心していられる空間を作っているように、今は見えています。

OIT:今の最後のお話はトリュフォーをちょっと連想させます。血の繋がった家族ではない、映画の世界の中で居心地のいい場所を作ったといわれる彼の人生について。ところで、ミアさんの映画の主題として多く出てくる父親の不在というテーマがあるんですが、これは不在が不在のまま終わらずに、『あの夏の子供たち』の場合ですと残された奥さん、『グッバイ・ファーストラブ』の場合ですとカミーユが自立していく、最後には未来への希望が描かれていました。そのように父親の不在を女性が埋めていくという展開、役割の変化っていうのが時代の変化とともに映画の中に入っているのかなと思ったんですが、それについてはどうでしょう?フランスでは70年代のフェミニズム運動の影響があるのかもしれないですけど、そういう社会的な変化が自然にミアさんの脚本の中に入ってきてるのかなと思ったんです。
MHL:まず女性が自立していくということですが、恐らく『グッバイ・ファーストラブ』の中に一番出ていると思うのですが、三本の映画はどれも私の過去に繋がっているんですね。私の家族のストーリーに基づいているのは第一作目、そして第二作目は現代に起きた事故に基づいた話なんですが、そこは過去の話というよりも現代ですね、そして最新作は私のラブライフに基づいた話なんです。しかしこの第三作目は恐らく私のストーリーを越えているところがあると思います。それは何かと言いますと、ちょっと一般的なこと言ってしまうのですが、だいたい私の周りの若い男性達は、自分を見つけるのに苦労してきているような気がします。若い女性の方が生活をするために何をしていくのかを決めるのが簡単になってきたような気がします。それに比べると若い男性は迷ったりしているように思えます。それがもしかしたら、今まで女性達が自由に仕事につけるようになったのが割と最近のことで、そういう歴史を踏まえて今の女性はとても積極的になれたのかも分かりません。そして父親の不在の話なんですが、よく言われるんですね。あなたは父親を殺すのが好きなんじゃないか?と。まあ確かにどの映画でも父親が居なくなったり、姿を消したりするんですが、昨日パイーニさんに聞かれてやっと分かったことがあるんです。実は、私の父親の過去に繋がっているんですが、私は普通に子供の時は父親も居たし、しかもとても気の強い父親だったんです。ですから、私の経験の中には、今は離れているにしても、父親の不在というのは直接的な経験はないと思うんですね。ただし私の祖父にあたる人が、18歳の時に自殺したんです。それで父親が18歳の若さで自分の兄弟達の父親にならなければならなくなった。それで恐らく父は、気の強い人になったんじゃないかと思うんです。つまり、私の父親の歴史を通じて、父親の不在が伝わってきたんじゃないかと思うんですね。それで恐らく私の映画の中でもそうだと思うんですが、父親の不在とともに父親のとても強い存在感が同時にあるのだと思います。母親もとても若い時にお父さんを亡くしてしまったので、私は自分の祖父に、母親側にしても父親側にしてもあったことがないんです。それが恐らく大事な経験になっている、バックグラウンドとして大きいんじゃないかと思うんです。


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