OUTSIDE IN TOKYO
Mia Hansen-Løve INTERVIEW

ミア・ハンセン=ラブ『グッバイ・ファーストラブ』インタヴュー

2. 存在していない出来事の記憶を作る、というゴダールの言葉がとても好きです

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6



OIT:登場人物で男性のキャラクターにも共感しているって仰ったのは、今までの作品を観てきても分かると思うんですね。それは長編処女作『すべてが許される』(07)の父親もドラッグ中毒を持っているキャラクターで、二作目『あの夏の子供たち』(09)の亡くなってしまうプロデューサーも仕事中毒でした。シュリヴァンは一箇所に定まらない旅中毒というか、そういう中毒的なもの持っている人物像というのは、ミアさんの視点で描かれた、現代的な男性のひとつの肖像なのかなと思ったんです。今のお話を伺って、そうした人物造形というのは共感から生まれたものなのかなと思いました。
MHL:とても面白いご指摘です。私の撮ったこの三本の映画はとっても繋がっていると自分では思っているのですが、この点で繋げようとしたことはなくて、それが非常に面白く思います。まさしくそうだと思います。依存というテーマはどちらにも出てきていて、そのどちらの映画に出てくる男性の登場人物も自分の自由を求めているんですが、自由を求めているからこそ何かしらの依存に陥ってしまうというのは確かな事実です。それを私は決して批判とか断罪することはないのも確かで、むしろすごくそれが私にアピールする、とてもポジティブなところで、彼らの背負っているメランコリーは私にはとてもアピールしています。そしてどの映画に出ている男性の登場人物も、どこか私の知っていた男性に似ているところがあるのですが、それがいまひとつ誰だか自分でもはっきりとは言えないんです、フィクションなので肖像が混ざっている感じです。

OIT:その記憶が曖昧になっているということで言うと、フィクションのように何人かの実在の人物が頭の中で混在しているということですか?
MHL:確かに、まさに私の記憶が私の映画の物語に完全に伝染されています。何故なら私は記憶力がとっても悪いんです、にも関わらず私は記憶についての映画を撮っています。殆どの私の映画が記憶についての映画だとも言えるのですが、矛盾しているように見えるかもしれませんが、私は本当に記憶力がなくて、それだから映画を撮っているということも出来るんです。日記をつける代わりに映画を作っているという面もあると思うんですね。映画を作っていなければ私の過去の出来事とか、過去に出会った好きな人とかのことを忘れてしまうんじゃないかという心配があるので、その映画によって彼らを永久にすることが出来るのがすごく大きなことだと思います。そしてゴダールの言っていること、存在していない出来事の記憶を作る、という言葉は、とても好きな言葉です。

OIT:アンヌ・ヴィアゼムスキーさんの「少女」をちょっと思い出したんですけど、あれは存在していたはずのこと、あとはメモワールだっていうことですから事実以外の事柄が混ざっているかもしれないという意味では、昨日、ドミニク・パイーニさんも指摘されましたが、ミアさんの映画は小説的なところがあるのかなと思ったんですが、それはよく指摘されることですか?
MHL:まずアンヌ・ヴィアゼムスキーの話なんですが、ご指摘にちょっとびっくりしました。何故ならちょうどここに来る直前にアンヌ・ヴィアゼムスキーさんの最新小説を読んできたところだったのです。それはまだ日本語にはなっていなくて「勤勉な一年間」というようなタイトルでゴダールとの関係を元にした小説なんです。それが私の机の上に届き、手に取った瞬間、一気に読んでしまった。本当にその世界に入ってしまって、とても良かったです。そして小説的なところについての質問なんですが、それは実はよく言われることなんです。正直なところ、結構嬉しいです。小説的な要素を意図的に狙ったものではないのですが、『グッバイ・ファーストラブ』もそうですが、最近書いた映画でまだ撮ってはいないものも、すごくスパンが広い、二十年くらいが経過するような話です。その時間の経過というものは、私の映画の中ですごく大事な要素ですが、それによってセットも多くなりますし、登場人物も多くなると思うので、そこが恐らく小説的なところに見えるのではないかと思います。そして私が狙っているのは、出来れば小説的とは言ってもクラシカルな意味で小説的なのではなくて、昨日パイーニさんが仰ったように、出来事が全部フレーム外に起きるということに私は注目しているんですね。そういう意味で新しいロマネスク、新しい小説性を狙ってはいます。


1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6