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KOMORI HARUKA & SEO NATSUMI INTERVIEW

小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』インタヴュー

6. 映画館って、能動的に人の声を聞く環境として
 凄くいい場所だと思っています(小森)

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OIT:映画中盤で旅人四人目の彼が語った後に、4人の椅子が空のショットが入ってますよね、あのショットは、この『二重のまち』の物語自体、生き残った人と亡くなった人と両者の語りが入っている作品だと思いますが、そこに人が映っていないのは、その“不在”の語り部との連想があるのでしょうか?
小森はるか:その効果を狙って入れたわけではなかったですけど、そういう風に思ってもらえるのは面白いなと思います。でもあのショットの意図としては、ちょっと別なところにあって、一人の場面は十分に撮影も出来てるんですけど、4人の関係性とか、4人があの場所にいたこととか、4人がお互いに話を聞き合っていたっていうこと、それを見せていくのが編集の中でも難しかったんです。素材としても4人が一緒に映ってる場面が少なかったり、撮れているものをはめてみても映画の中では必要なシーンではなかったりして。あの会議室でみんなが話を聞いているカットが冒頭の方にあったと思うんですけど、あそこにもう一回戻るようなものを見せたかったんですね。カメラに一人一人が向かってるショットはあるけど、4人が一緒にやっていたっていうところをもう一度見せたかった。4人が話している場面を入れてみたりもしたんですが、なんかしっくりこなくて。この椅子が彼らがそこにいたことを表すのに一番しっくりきたという感じなんです。
OIT:なるほど、そういうことでしたか。その後、映画の流れとしては後半になって秋の話と冬の話になります。映画の作り方で、“アクション繋ぎ”、“カッティング・イン・アクション”ってありますよね、この映画の場合は、全体の流れを、アクションではなく、“声”で繋いでいくという感じが凄くしました。シーンを声で繋いでいくという感覚はありましたか?
小森はるか:それはあったんじゃないかなと思います。それぞれの“語り直し”のところでの声と、朗読の声って、同じ人なんですけど違う聞こえ方をしてくるんですよね。その“声”をどう聞かせたいか、自分がどう聞きたいかみたいなことは確かに構成の上で意識したと思います。たとえば、朗読の声を聞く前にどういうエピソードを聞いたらその声が違う届き方をするかとか、 “語り直し”の時の声の詰まり方とか、その場からフッと浮くような話し方をする瞬間とか、同じシーンを2回撮っていても声が良い方を選ぶとか、”語り直し”としてのパフォーマンスよりも声が良いものを選ぶという選択はしていったかなと思います。あと映画館が声を聞くにはいい装置というか、浴びせらせるのではなく、能動的に人の声を聞く環境として凄くいい場所だなと思っているので、どんな風に彼らの声が届くかっていうのはイメージしながら作っていったかなと思います。
OIT:瀬尾さんは、この物語を書いて、このプロジェクトも構想して、今こういう映画作品として劇場で観られるという段階になってどういう感覚ですか?物語(フィクション)が血肉化して、形になったみたいなことが起きているわけですが。
瀬尾夏美:不思議ですね(笑)。

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