OUTSIDE IN TOKYO
KOMORI HARUKA & SEO NATSUMI INTERVIEW

小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』インタヴュー

2. 長く付き合うために基盤を整えようという感じで作ったのが
 一般社団法人NOOK<のおく>(瀬尾)

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OIT:話は飛びますけれども、震災が2011年に起きて、お二人はボランティアに参加されましたね。
瀬尾夏美:私達の卒展が終わった直後に震災があったんです。卒展の運営の時も下っぱとして二人とも一生懸命働いてて、その流れで卒展の運営をする人達でコミュニティが出来たりしていて、私の家が当時シェアハウスだったので、友達がみんなが集まる避難所みたいになってたんですよ。小森さんの家もそこから歩いて15分くらいの所にあった。やっぱり震災後の雰囲気で、みんなアーティストに何が出来るのか?みたいな大きな議題で話したりするんですが、私は結構現場に行って何か見ないとわからないと思ってしまうタイプで。芸大の友達はあんまり実際に行こうみたいな話にはならない中、話に乗ってくれたのが小森さんだった。結局私は行きたいっていうだけで何も調べなくて、ちゃんと調べて行けるようにするのが小森さん(笑)。
OIT:お二人の間にそういう役割があるわけですね。
瀬尾夏美:だいたいいつもそう。
小森はるか:それがずーっと今も続いてるんです。私は、あんまり何か思いつくっていうことがなくて、自分から何をどうしたらいいとか見つけられないタイプなんですけど、誘ってもらったらすごく嬉しい。誘ってもらった時に、じゃあそこで何が出来るかなっていうのを考えるのが自分としてはやりたい事に近い。ボランティアに行くことは思いつかなかったんですけど、そんな手があったのかと思って、だったらどういう風に行けるかっていう下準備を一生懸命やる事で、何も出来ないうしろめたさから解放されていたと思います。
OIT:それで、最初はお二人でボランティアのつもりで行ったわけですが、結局、住み始めて創作活動も始めていくっていう事になる。
瀬尾夏美:そうですね。
OIT:その後、2015年に一般社団法人NOOKを作られました。それによって、様々な活動がしやすくなったのでしょうか?
瀬尾夏美:元々、せんだいメディアテークの「わすれン!」(「3がつ11にちをわすれないためにセンター」)っていう記録をする人達のプラットフォームがあって、そこに付かず離れずで時々参加させてもらっていたっていうのがその前までの時間で、2014年の秋に『記録と想起』っていう大きな展覧会があった。それは、「わすれン!」で記録されていたものを巨大なインスタレーションにするっていう展示だったんですけど、そこに小森+瀬尾が参加して、『波のした、土のうえ』(2014)っていう小森+瀬尾の映像作品としては初めてちゃんとまとまった作品を発表したんですけど、その時に全国から「わすれン!」に参加していた人達が同窓会みたいに集まって来た。震災から3年半くらい経ってるけど、この記録物というものを考えた時、今まで撮ったものが何であったかっていうのが分かるのにもうちょっと時間かかるよねとか、地域に返すにしてもそれはどういう形があり得るのかとか、そういう話をみんなでする機会があったんです。それを考えた時、私達の問題意識としては、陸前高田のコミュニティに入りきってしまうと作品を作れなくなりそうだという気持ちもあって、それなら生活の基盤を外におきたいと思って、記録への志が近しい人達とまず集まろうっていう話をして、そこで行政の仕事も含めて色々な仕事を受けたり、地域の記録活動を手伝ったりもしようと。外に生活の基盤を置いて高田に通う方が継続的に付き合えるんじゃないかという思いがあったので、長く付き合うために基盤を整えようという感じで作ったのがNOOK(のおく)なんです。
Photo: Morita Tomomi
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