OUTSIDE IN TOKYO ENGLISH
2017 BEST 10 FILMS

2018.1.18 update
小倉聖子(VALERIA/映画宣伝パブリシスト)

上原輝樹(OUTSIDE IN TOKYO)

新作映画ベスト10
小倉聖子
1.『わたしは、ダニエル・ブレイク』ケン・ローチ
2.『Djam(原題)』(第70回カンヌ国際映画祭)トニー・ガトリフ
3.『ムーンライト』バリー・ジェンキンス
4.『サウンド・オブ・レボリューション グリーンランドの夜明け』イヌーク・シリス・ホーフ
5.『ポルト』ゲイブ・クリンガー
6.『オラとニコデムの家』(ポーランド映画祭2017)アンナ・ザメツカ
7.『マンチェスター・バイ・ザ・シー』ケネス・ロガーナン
8.『Frost(原題)』(ポーランド映画祭2017)シャルナス・バルタス
9.『パーソナル・ショッパー』オリヴィエ・アサイヤス
10.『パリ、恋人たちの影』フィリップ・ガレル

毎年言い訳ばかりですが、2017年は2016年よりも忙しく、本当に映画をたくさん見れなかった。きちんと映画館で見た作品の中から10本を選びました。ケン・ローチは昔から好きな監督で毎回スクリーンで見てますが、『わたしは、ダニエル・ブレイク』には久しぶりに“若さ”と“力”を感じた。いまの時代の生きにくさなど、うまく描けていたと思う。またカンヌ映画祭で見たトニー・ガトリフの『Djam』という映画が忘れられない。民族音楽とロードムービーを混ぜたような映画で、主演の女の子が何とも良い。『ムーンライト』は撮影や脚本力、演技力はもちろんのこと映画として本当に力強く、心が震えた。『サウンド・オブ・レボリューション』はグリーンランド独立を訴えるバンドのドキュメンタリーで、歌のメロディーや歌詞が本当に良かった。ポーランドの映画祭で見た『Frost』は、一人のリトアニア人の青年が“戦争とは何か?”自分の目で見て見たいという思いが募り現場まで行くという話だったが、実際に彼の目線が見ている私たち観客とリンクするシーンがあって衝撃を受けた。

小倉聖子
映画宣伝パブリシスト、ポーランド映画祭主催。2017年は、『ミューズ・アカデミー』、『PARKS パークス』、『セールスマン』、『オン・ザ・ミルキー・ロード』、「ウンザ!ウンザ!クストリッツァ!2017」、「ロメールと女たち 四季篇」、『わたしは、幸福(フェリシテ)』、「ポーランド映画祭2017」などの宣伝を担当。イエジー・スコリモフスキ監督作『早春 デジタル・リマスター版』1月13日よりYEBISU GARDEN CINEMAにて公開、を宣伝中。

新作映画ベスト10
上原輝樹
1.『パターソン』ジム・ジャームッシュ
2.『エンドレス・ポエトリー』アレハンドロ・ホドロフスキー
3.『息の跡』小森はるか
4.『散歩する侵略者』黒沢清
5.『沈黙 -サイレンス-』マーティン・スコセッシ
6.『ベイビー・ドライバー』エドガー・ライト
7.『未来よ こんにちは』ミア・ハンセン=ラブ
8.『エル ELLE』ポール・ヴァーホーヴェン
9.『ノクターナル・アニマルズ』トム・フォード
10.『ギミー・デンジャー』ジム・ジャームッシュ

バーでかかるジュークボックスの心地よい響きに導かれて何度も見た『パターソン』は、バス・ドライバーの主人公が、規則正しい生活を営みながら限られた時間の中で詩作を続けていく、その姿勢とアダム・ドライバーの透き通った視線に勇気をもらった。ジュークボックスと云えば、ヴィム・ヴェンダース『アランンフェスの麗しき日々』冒頭でウーリッツァーのジュークボックスから流れてくるルー・リード「パーフェクト・デイ」が奇跡の美しさだったが、3D上映ではなかったのが悔やまれる。同様に、試写で一度見ただけで、IMAXで見ることの出来ていない『ダンケルク』も私には評価が難しい。映画を見続ける上で、時間的、物理的限界は常につきものだが、個人的にはその限界を強く感じた一年だった。

そうした限界を感じる中で、前進するよう背中を押してくれたのが、小森はるかの『息の跡』だった。3.11の震災で全てを流された後、”タネ屋の佐藤さん”は自らの被災体験を独学の外国語で記し世界に伝える。一度全てを失った人間が一体どのようにして、再び立ち上がり、”生命の種”を朗々と蒔き続けることが出来るのか、『息の跡』はその秘蹟を伝える希有な映画である。そして、”詩”としての人生を生きる破格の男、アレハンドロ・ホドロフスキーの自伝映画第二部『エンドレス・ポエトリー』は、最もエキセントリックな人生の夢を極彩色で見せてくれる、ヌーヴェルヴァーグの”人生=映画”の教訓に、”夢”が掛け算されたような映画で、内なる蛮勇を大いに鼓舞された。

黒沢清の『散歩する侵略者』は、知的絶望状態にある21世紀日本社会において、日本映画の新しい地平を切り開いた傑作である。しかも、その武器が何の臆面もない”愛”であるところが大胆だ。絶妙な配役と演技・演出が不可分に結晶化しているところが流石なのだが、スクリーンに映し出される”画”と”アクション”の明晰さ、ヌケの良さが巨匠と云われる所以だろう。マーティン・スコセッシの集大成的作品『沈黙 -サイレンス-』は、物質主義的価値観が未だ優勢な現代社会において、精神的思潮の重要性を訴える作品だが、この国に住む者にとってひとつの示唆を与えてくれる。それは、現在の日本映画が世界で見られていない、その責任は日本の俳優にあるわけではない、ということである。つまり、日本の映画配給会社が世界市場をほとんど視野に入れていないのだ。姿勢が”内向き”であることの弊害は、日本社会の隅々にまで蔓延している。折しも、デジタル修復版が上映されたルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』の登場人物たちのように、私たちの多くはこの”部屋=国”から出られないでいる。遠藤周作は、そのことを海に囲まれた日本の国土の特異性に求めたが、『皆殺しの天使』を見れば、それはむしろ世界の何処にでも偏在する人間の惰性に過ぎないのかもしれないということに気づかされる。

エドガー・ライトの『ベイビー・ドライバー』は、冒頭から一気に疾走し、映画と音楽への行き過ぎた偏愛が、全盛期のタランティーノに匹敵する熱量で炸裂する2017年最高の娯楽映画だった。ミア・ハンセン=ラブの『未来よ こんにちは』は、来るべき未来への仄かな希望を、見事な運動の連鎖による演出のリズムで描き切った活劇的作品で、映画作家ミア・ハンセン=ラブの成長が見て取ることが出来る。彼女のパートナーでもあるオリヴィエ・アサイヤスとクリステン・スチュワートのコラボレーションは、『パーソナル・ショッパー』でも継続し、この二人のフランス人映画作家のアメリカ映画との絶妙な距離感は刺激的であり続けている。『未来よ こんにちは』で軽やかに前進し続けたイザベル・ユペールは、神出鬼没に重要な映画作家の作品に出演するバイタリティを発揮し続けているが、ポール・ヴァーホーヴェンの『エル ELLE』における彼女の美しさには只管感嘆する他なかった。これが映画女優というものなのか、『エル ELLE』のユペールには40年前の『ヴィオレット・ノジエール』の時と同じ魔物が宿っている。『エル ELLE』と並んで、その耽美な魅力で見るものを惹き付けるのがトム・フォードの『ノクターナル・アニマルズ』だ。デヴュー作『シングルマン』から格段の進化を遂げたトム・フォードの作家性が遺憾なく発揮されていて、ジェンダーにまつわるフォードの秘めた本音が作品から伝わって来るところが面白い。

個人的には、BRUTUS映画特集号で『勝手にふるえてろ』の原作者綿谷りさと監督大九明子の対談を仕掛けることが出来たのは嬉しかったし、ユリイカのジム・ジャームッシュ特集号で、『パターソン』に重要な役柄で出演した永瀬正敏にインタヴューをすることが出来たのは幸甚だった。ジャームッシュ作品に関するマニアックな質問をぶつける私に、随分と細かいところまで見てらっしゃいますね、と半ば呆れたような微笑みを浮かべながら、的確な言葉を選んで”映画俳優”の知性を存分に愉しませてくれた永瀬氏には感謝の念が堪えない。同じジャームッシュ特集号に『ギミー・デンジャー』論を寄稿することが出来たのも望外の喜びだった。そのためもあって、2017年の夏はザ・ストゥージズを聴きまくった。『ギミー・デンジャー』の中でイギー・ポップ(ジム・オスターバーグ)が、フリー・スタイル・ミュージックのアルバム「ファン・ハウス」を作る過程で様々な音楽を聴きまくり、そのひとつがアフリカのフェラ・クティだったという発言に触発された私は、本当に久しぶりに、レコード棚からフェラのアルバムを引っ張り出して聴き始めたのだが、現代日本社会の閉塞感に対する戦闘モードも相俟って、フェラのアフロビートは、私の日常生活のサウンドトラックとしてすっかり定着してしまった。以来、アフリカの音楽を聴き続けているが、そんな折に出会ったのが、アラン・ゴミスの『わたしは、幸福(フェリシテ)』だった。『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、劇中にも登場して最強のグルーヴを生み出すカサイ・オールスターズの音楽の素晴らしさを抜きに語るのは不可能な映画だ。以来、今現在に至るまで私のアフリカ発の音楽への熱は醒めることなく継続している。


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