『海の沈黙』

上原輝樹
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ここ数ヶ月の間に、ロシア革命の年(1917年)に生まれた二人の映画作家のいずれも日本初となる本格的な特集上映が相次いで開催された。一人は、アヴァンギャルド映画の女神と言われたマヤ・デレン、もう一人は、フレンチ・フィルム・ノワールの一時代を築き、今なお世界中の映画作家に影響を与え続けているフランスの映画作家ジャン=ピエール・メルヴィルである。メルヴィルを巡る重要なキーワード、"レジスタンス"、"インディペンデント"、"フィルム・ノワール"の内、この男の生き様を象徴する2つのキーワードが、彼の長編処女作『海の沈黙』(47)の製作背景に見いだされるのは、既に幾つかの文献で紹介されている通りだが、なぜ本作が戦後フランス映画の新しい流れを作り、メルヴィルが"ヌーヴェル・ヴァーグの父"として以後高い評価を受けることになったのか、この2つのキーワードを中心にここで再確認しておきたい。

レジスタンス
フランク・ロイド、ウイリアム・ワイラー、ジョン・フォード、フランク・キャプラを最も大きな存在としながらも、その他に63人のアメリカの監督から影響を受けたと語り、アメリカの暗黒映画と暗黒小説をこよなく愛し、映画の道を進む事を早くから決めていた若き日のメルヴィルは、彼がその先鞭をつけることになった"ヌーヴェル・ヴァーグ"の若者たちに負けず劣らずのシネフィルだった。しかし、ヌーヴェル・ヴァーグの若者たちにはない人生経験が、メルヴィルのその後の人生に大きな影響を与え、その経験は彼の半生を暗く覆うことになる。それは、メルヴィル青年がまだ20歳だった1937年に招集されて3年間を費やした兵役と1940年から1944年夏のパリ解放までの4年間をレジスタンスの闘志として身を投じた従軍経験だった。この間、メルヴィルが大いに感銘を受けたのが、地下出版されたレジスタンス文学の傑作、ジャン・ヴェルコールの「海の沈黙」とジョゼフ・ケッセルの「影の軍隊」であり、メルヴィルは、この時既にこの2つの小説の映画化の夢を膨らませていたのだと言う。

インディペンデント
パリが解放され、除隊したメルヴィルは、早速夢の実現に向けて動き始めるが、業界の新参者に対してフランス映画界の門は固く閉ざされていた。それならば、自分で製作会社を始めるしかないということで自らのプロダクションを立ち上げる、メルヴィル青年28歳の冬のことだった。この翌年、習作の短篇映画『ある道化師の24時間』(46)を撮り、これが幾ばくかの金になった。この金を元手に「海の沈黙」の映画化に着手するが、原作者ヴェルコールに、"レジスタンスの精神"そのものであるこの作品を映画に売り渡すなどもってのほかと映画化を断られてしまう。しかし、後年、ゴダールの長編処女作『勝手にしやがれ』(59)にサングラス姿のアメリカ人監督役として不敵な面構えで登場するこの男は、ここで怯むような器ではなかった。メルヴィルは、原作に忠実に撮るから、あなたもレジスタンスの同志もきっとこの映画を気に入るはずです、と言い放ち、原作者の許可を得られないままリスクを承知で撮影を始めてしまう。組合にも入っていなかったメルヴィルは、実働は27日間ながら、1年間かけて映画をひっそりと撮影した。製作費は、当時1本平均6千万円という時代にあって、9百万円で撮り上げたというから、その旺盛なチャレンジ精神が伝わってくる。この低予算の中、大いに力を発揮したのが、撮影監督のアンリ・ドカだった。ドカは、幾つもの製作会社からメルヴィルが安く買い上げた端尺の寄せ集めのネガ・フィルムの色調を全体的に統一しなければならなかったが、作品のトーンに合わせて全てを暗い色調に統一することでこの危機を乗り切った。いずれドカは、『死刑台のエレベーター』(58)、『大人は判ってくれない』(59)、『太陽がいっぱい』(60)などヌーヴェル・ヴァーグの代表的なキャメラマンとして映画史に永遠にその名を残す事になる。映画化を許可しなかったヴェルコールだったが、レジスタンスの同志としての意識があったのか、小説の舞台となった自分の家をロケーション撮影用に提供するという太っ腹ぶりを発揮、この家自体が劇中の主要な舞台として映画の成功に大いに貢献することになる。かくして、出来上がった映画は、ヴェルコールとレジスタンスの同志のみならず、批評家や一般の観客にも好意的に迎えられ、メルヴィルの映画監督としてのキャリアが本格的に始まった。この映画を見たジャン・コクトーは、すぐにメルヴィルに連絡し、自らの作品『恐るべき子供たち』(49)の映画化を依頼したという。本作で美しく静謐な存在感を示したニコル・ステファーヌは、ユダヤ系大富豪ロスチャイルド家の一員だが、レジスタンス活動に身を投じた活動家でもあり、本作の主要な出資者の一人として映画を支えたメルヴィルの重要な協力者でもあった。そして、次作『恐るべき子供たち』でも主役を演じ、その中性的な顔立ちの個性的な美貌を再びスクリーンに焼き付けることとなった。映画ファンの中には、このニコルの風貌で『恐るべき子供たち』を記憶している古くからのファンも少なくないはずだ。

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『海の沈黙』
映画は、秘密裏に行われる一連のシークエンスで始まる。街頭に立つ男に別の男が歩み寄り、その足元に一つのスーツケースを置いていく。男がそのスーツケースを明けると、衣類の下にレジスタンスの新聞紙"リベラシオン"、そして、一冊の書籍、ヴェルコールの「海の沈黙」が入っている。その本を開くとそこに映画のタイトルが表示され、続いてクレジットが現れる。ハリウッド古典映画のスタイルにひと捻りを加えたスタイリッシュなタイトルバックであると同時に、メルヴィルの長編第一作としてこれほど相応しい始まり方があるだろうかと思わされる、レジスタンス映画の開巻を象徴的かつ実質的に伝える完璧なオープニングタイトルである。

映画の舞台は、1941年ドイツ占領下におけるフランスの地方の一軒家。雪が降り積もる冬のある日、姪(ニコル・ステファーヌ)と暮らす老人(ジャン=マリー・ロバン)のところへ、ドイツ軍将校のために部屋の提供を求めるドイツ兵が訪れる。その数日後の夜、将校のヴェルナー(ハワード・ヴェルノン)が現れ、流暢なフランス語で同居することの非礼を丁重に詫びる。それから毎日、ヴェルナーは、彼らへの敬意を込めて常に礼儀正しく振る舞うが、老人と姪は、ヴェルナーが存在しないかの如く振る舞い、静かなる抵抗レジスタンス"海のような沈黙"で応える。ヴェルナーは、ドイツ軍の将校ではあるが、元来作曲家であり、フランスの文化を心から尊敬し、ドイツとフランスが"結婚"することによって優れた文化融合が生まれ、この戦争が両国に良い結果をもたらすと本気で信じる、ある種のナイーブさを持つ教養人だった。ヴェルナーは、ある晩、「美女と野獣」の物語に喩えて両国の融合の美徳を弁じる。美女はフランス、野獣はドイツ、ドイツの野蛮な性格を治すには、両国の相互愛しかない、美女のキスだけが野獣の呪いを解くのだと。いずれその思想は、ヴェルナーが姪に求婚するという理想の顕然を通して自ら現実の試練に晒されることになる。占領者であるとはいえ、心を誠実に曝け出すドイツ軍将校ヴェルナーの申し出に対して、静かなレジスタンスを頑に継続する老人と姪は、果たしてどのような行動をとるのか?男女の恋愛を描くことがない、と言われたメルヴィルだが、アンリ・ドカの素晴らしく静謐なキャメラワークが捉えた、姪を演じるニコル・ステファーヌの横顔と震える手のショットに、ストイシズムを湛える男女の恋愛感情が克明に刻印されている。

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"フィルム・ノワール"のマニエリストと言われるようになる前のジャン=ピエール・メルヴィル、人間精神の崇高さへの憧憬に満ちあふれた初期の傑作映画であると同時に、レジスタンス映画の代表作とされるブレッソンの『抵抗』(56)に先んじること10年、以降のフランス映画に決定的な影響を与えた先駆的作品が、本国での公開から60余年を経た今、日本で初のロードショー公開を迎える。


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『海の沈黙』デジタルリマスター版
原題:Le Silence de la mer

2月20日(土)〜3月19日(金)、
岩波ホールにてロードショー
他、全国順次公開

監督・脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル
製作総指揮:マルセル・カルティ
製作:ピエール・ブロンベルジェ
原作:ジャン・ベルコール
撮影:アンリ・ドカ
音楽:エドガー・ビショフ
出演:ハワード・ヴェルノン、ニコル・ステファーヌ、ジャン=マリ・ロバン

1947年/フランス/86分/モノクロ
配給:クレストインターナショナル

© 1948 GAUMONT

『海の沈黙』
オフィシャルサイト
http://www.crest-inter.co.jp/selection/




参考文献:

「海外の映画作家たち 創作の秘密」田山力哉 ダヴィッド社

「映画伝説 ジャン=ピエール・メルヴィル」古山敏幸 フィルムアート社


ジャン=ピエール・メルヴィル特集
 〜コードネームはメルヴィル〜


『抵抗 死刑囚の手記より』
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