OUTSIDE IN TOKYO
LECTURE

エミリー・コキー「ジャン・エプシュタインについてのレクチャー」

8. エプシュタインにとって重要なコンセプト

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9
トーキーの到来に関する文章を要約してご紹介しましょう。1930年にエプシュタインにトーキー映画の誕生についてインタヴューをした時の答えです。トーキーが出現したばかりなのに、すでにその技術を曲用することを考え始めています。つまり、確かに音が聞こえるのは受け入れよう、けれどもだからと言って、実験の発明を止めることはない、と言っています。「嵐の音を子守唄にして繰り広げよう。すべての子供たちは草が生える音を聞くだろう。」すばらしい結びの言葉です。早くも1930年から音をスローにすることを考えており、その技法は『テンペスト』で実を結びます。いくつか、エプシュタインにとって重要なコンセプトをまとめてみましょう。

・カット割り
・ロケの重要性
・プロの俳優に対する不信感。そこから、普通であれば撮影されないような人々を援用することになります。
・‘もの’のシステム。ものはエプシュタインの映画では意味を持っています。それは、カニュードの考えたアニミズムから直接的に引き出したものです。つまり、ものは魂を持っているという考え方です。
・自然と、自然な演技者。
・撮影の重要性。普通ではない、自然なものではないアングルを選ぶこと。
・モンタージュ、音声の扱い方、ゴダール的表現をすると「映画言語」。
・劇的表現。それはかの有名な“フォトジェニー”です。すなわち、クローズアップの中で、ある種のフォトジェニーにより、何らか感情を表すことができる。
・現実の夢幻的側面。そうして宇宙の新たな知識を得るのです。それがエプシュタインの神秘体験です。

『誠実な心』(左)、『アッシャー家の末裔』(右) ©DR

フォトジェニーとアニミズムを表す例として、これは『誠実な心』のジーナ・マネスのクローズアップと、『アッシャー家の末裔』のギターを弾くシーンです。ギターが、空間を破壊し消滅させる役割を担っています。フォトジェニーに関するエプシュタインの文章があります。フォトジェニーという映画における概念を作ったのは、ルイ・デリュックです。この文章に興味がおありの場合は、インターネットでお読みください。シネマテークは3つのサイトをGoogleと協力して作りました。「Epstein Google Art Institute」で検索してください。エプシュタインのキャリアの3つの時期を、引用によって連続性をもたせる構成で、説明をしています。今日した引用はすべてそこで読むことができます。

エトナ火山のエプシュタイン

ピエール・ルプロンとの間で交わされた絵葉書 ©DR

エプシュタインの映画を理解するために重要なコンセプトの最後は、自然の重要性です。エプシュタインは20年代にエトナ火山の撮影のため、シシリア島に旅立ちました。フィルムは残っていませんが、何枚かの写真が残っています。彼はこの旅を決して忘れられず、そのために、その後の作品の中で景色がかくも重要になったと考えられています。右側にあるのが、ジャーナリストのピエール・ルプロオン(*Pierre Leprohon)と取り交わした絵葉書です。ルプロオンは、エプシュタインのみを取り扱った本を最初に書いた人の一人です。伝記と、作品分析をまとめた本でした。そのためにルプロオンは、5年間エプシュタインと書簡を交わしたのです。この絵葉書はブルターニュから送られたもので、「ウェッサンと、私の初めての難船の思い出」と書かれています。この文通のユーモラスなトーンの一端を感じることができます。『モープラ』や『ロベール・マケールの冒険』のようなフィクションの時代劇の中でも戸外で撮影されたエクスタシーのシーンを見つけることができます。

『海の黄金』 ©DR

エプシュタインの私蔵コレクションの中にある地図 ©DR

エプシュタインの個人アーカイブは、実に豊富なものですが、地図も多く含まれています。最後の引用になりますが、この中では誠実さ、現実の重要性を強調しています。その点では、完全に同時代のフラハティのアプローチと共通しています。フィクションを作っていたので、ドキュメンタリーとは言えませんけれども、現実に近づこうとする態度が見られます。この全文は読みませんが、自然な動作について語っています。「いかなる装置、いかなる衣装も、真実の様相、真実の襞を持つことはないであろう。」1930年の文章ですから、実に先駆的と言ってよい主張です。

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9