OUTSIDE IN TOKYO
Yoshida Daihachi Interview

吉田大八『桐島、部活やめるってよ』インタヴュー

6. 前田に、一番自分の思いの入ったディテールを利用している

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OIT:商業映画だとライター ディレクターっていう人と、演出家的な人と両タイプいらっしゃいますけど、吉田監督の場合は前者ですか。
YD:一人でやるか誰かとやるかは別として、今のところですけど、完成したシナリオを渡されてそのまま監督できるほどプロフェッショナルじゃないし、そこまで脚本と演出を分けて考えられない。仮に自分で手を動かさない時でも、ライターの人と打ち合わせをして脚本を作っていくというスタンスは変わらないと思います。準備としてはそこが一番大事ですね。

OIT:原作を読んで自分で脚色するっていう時に、例えばつい先日、脚本家の荒井晴彦さんが、自分の書く脚本は原作に対する批評だということを仰ってました(荒井晴彦×松浦寿輝トークショー@ビブリオテック)。吉田監督の場合はどんな感じですか?
YD:批評って言い方も、あるいはファンレターって言い方もできると思うんですよね。あとは単に態度の違いというか、喧嘩腰でやるか礼儀正しくやるかぐらいの違い、脚色である以上は本質的には変わらないと思います。
原作者にも、自分の作ったものとは形が変わっても本質さえ残れば、というタイプの方もいるし、細かいところも含めて変えてほしくないっていう距離感の方もきっといますよね。例えば自分が原作者だったらディテールの一個一個に思い入れがあるわけだから、そこが変えられるのを耐えられるのかなっていう想像をたまにしますけど。

OIT:今後、原作なしでご自分で脚本を作ることもあるかもしれない?
YD:最近、書きたいと思うようになりました。映画を撮り始める前はたまにオリジナルストーリーも創っていましたが、ここ10年くらいはいろんな素材があまり脈絡なく浮かんできて、時々断片を書き留めて放ってあります。それをまとめたいなとは思ってます。

OIT:最後に、個人的な映画遍歴を少し教えて下さい。
YD:学生の頃、ちょうどミニシアターのはしりだったので、六本木のシネ・ヴィヴァンとかシネマライズに通いましたね。ちょうどディレカン(ディレクターズ・カンパニー)の全盛時って言えるのかな。ディレカンの監督の映画とか、あと森田芳光さんの『家族ゲーム』(83)とか、ヴェンダースとかジャームッシュとか。80年代ですね、その頃にそういう映画好きが観るものは一通り観てます。特に、好きだなって覚えてるのは、石井聰亙(改め石井岳龍)監督と、あとはキートンが好きだったんですよね、キートンの映画を集中して観た時期がありました。

OIT:この映画の映画部の学生たちは「映画秘宝」を読んでいるし、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』では「H」を読んでいた。なんか雑誌は登場しますね。
YD:昔はどの雑誌読んでるかで結構計れたんですよね。自分も雑誌が好きだったし、そういうなごりがあるのかもしれないですね、言われてみると。

OIT:雑誌があってフィルムがあって、この前田の人物像とは違うとはいえ、やっぱりなんか「私」が出てる。
YD:もちろん自分の感覚を利用してますから。結果的にこの中の誰ですかって言われたら、前田に一番自分の思いの入ったディテールは利用してるからそうなんでしょうね。


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