OUTSIDE IN TOKYO
Yoshida Daihachi Interview

吉田大八『桐島、部活やめるってよ』インタヴュー

2. 見つからないものをいつまでも探し続けるという、
 ある意味無尽蔵なエネルギーを利用した

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OIT:“金曜日の何時何分”が繰り返されるというアイディアはどのように生まれましたか?
YD:原作だと、例えば風助(太賀)だったり、前田だったり、一人称のモノローグが続く中で同じ出来事に何回か触れていく、という感じだったんですけど、映画ではやっぱりモノローグとは違う方法をとりたいと思いました。時系列で繋げた出来事を違う方向から捉える時に、一人が見たもの、感じたものだけではなくて、その人が属するグループ側から語られるのに相応しいエピソードを、複数の視点で語り直したいと。全体の出来事を組み直していって原作にあるものを外したり、新しいものを加えたりしながら、バランスをとって、最後にひっくり返すタイミングまで、映画的にどういう風に積み重ねていくとゴールまで辿り着けるのか計りながらの作業でしたね。

OIT:そこがとても緻密に作られていると思うんですけど、その手法自体は、例えば芥川龍之介が小説「薮の中」で、その映画化である『羅生門』(50)で黒澤が試みたことでもあるし、一種の古典的な物語手法だと思うんです。それがあるとしても、クリストファー・ノーランの“時間”の扱い方にも似て、構造的な作り方をされていて、最近の日本映画ではあんまり観ない試みなのかなと思ったんですけど。
YD:そんなに珍しいんでしたっけ(笑)。

OIT:中心が不在なものを色々な角度から描いていく手法は、例えば、青山真治監督の『AA』(06)という7時間超えのドキュメンタリーでは、不在の音楽批評家間章さんの存在を色々な人の証言から浮き上がらせていったような、一種のドキュメンタリー的な手法でもあるのかなと思ったのですが。
YD:屋上に前田と宏樹という全く無関係な二人が残る為に、一回全員上げてみようという発想でした。そのための推進力として、不在の桐島を探す、見つからないものをいつまでも探し続けるという、ある意味無尽蔵なエネルギーを利用したってことでしょうか。一人一人にエンジンを取り付けたようなものなんです。それぞれを上手くタイミングを変えて駆動させながら屋上まで全員を上げるというイメージでしたね。

OIT:それを上手くやるには画はリアリズムじゃないとっていうのがあったんですか?
YD:そうですね、画については、特に情緒を強調するとかではなく、出来事を温度低めで見つめていければいいと思ってました。

OIT:撮影には実際の高校を使ったということですが、授業もやってたんですよね?
YD:そうなんですよ。期末試験真っ最中に、教室の真上で走り回ってました(笑)。実際の廃校でちょうどいい条件の学校がなかなか見つからなかったこともありますが、最近の学校は、廃校にしても使ってる高校にしても、敷地の中に効率よく建てられているから無駄なスペースがない。

OIT:裏がない。
YD:裏がないんですよ、本当に、裏も隙間もないというか。あの学校は結構古くて、一番古い建物が50年くらい前に建てられたものだそうです。そこに増築したりして変な繋がり方をしてるんですね、渡り廊下とかで。さらに、斜面に建っているので、学校の中でちょっと移動するといつの間にか風景が変わるんです。


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