OUTSIDE IN TOKYO
SAKO TADAHIKO INTERVIEW

佐古忠彦『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』インタヴュー

2. 沖縄の民主主義はひとつひとつ勝ち取ったもの

1  |  2  |  3  |  4  |  5



OIT:1作目の「その名は、カメジロー」は、映画として上映されていますが、そもそもはテレビ番組として作られたんですか?
佐古忠彦:最初は、夜中の49分のドキュメンタリー番組でやったんですけど、普通は夜中の番組ですと、視聴者からの反応が寄せられることは多くないんです。ところがこの亀次郎をやった時は驚くほどの反響があってびっくりしました。今まで夜中の番組でこれほどたくさん感想が寄せられたりしたことがなかったものですから。録画でご覧いただいた方もいらっしゃると思うんですけど、関東ローカル、TBSだけの放送でしたが、一週間毎日ずっと止まなかったですね。

OIT:それはメールとかですか?
佐古忠彦:そうですね、メールとか手紙も来ました。この反響の大きさには、テレビの枠を越えて表現するということに挑戦してみたいという気持ちになりました。丁度その頃はテレビ局が作るドキュメンタリー映画っていうのが、例えば名古屋の東海テレビも一つのブランドになってるようなところもあって、そういうことも凄く気になってたものですから、制作者として、これは一つのチャンスかもしれないという思いも確かにありました。映画版を作るにあたっては、テレビの49分版をベースにして追加取材をしました。要素を増やし、新たな証言者にも登場して頂いて、アメリカにも取材に行って、当時沖縄に関わった人に話が聞けて、107分にして出したのが1作目です。

OIT:1作目のアメリカ取材ではハワード・マックエルロイという方が、非常に素直な思いを語っていますね。
佐古忠彦:アメリカのリサーチコーディネーターに、こういう時代の亀次郎さんのことを話せる人はいないでしょうかと相談して、リサーチして頂いて、たどり着いたのが彼だったんです。制作スケジュール的にも時間のない中、ばたばたでやってたのが正直なところで、もうこの時に行かないと話が聞けない、制作上も編集スケジュールも迫っていた中、それでもここに入るアメリカの証言は必要だっていうのがずっとあったものですから。実際会ってみてお話し頂くまで、どんな話が出てくるのかっていうのは本当に分からない部分もあるんです。そうしたら正にご自分のお孫さんの話まで出てきて、本当に今のアメリカの在りようみたいなものまで、変わらぬ姿も映し出されて、私も凄く感動したというか、こんな話があったんだと、私の印象にも凄く強く残っています。

OIT:“民主主義”を標榜するアメリカ自身が、沖縄においては自らの理念を否定していたわけですから、皮肉な話でもあります。
佐古忠彦:沖縄の場合は“民衆”と映画では呼んでますけど、市民、県民が民主主義というものを一つ一つ勝ち取る、実現していくような姿があの復帰までの姿にはあって、それは本当にそれぞれの生活に関わってくる話だった、主権が奪われるとは一体どういうことなのかということは亀次郎の日記からも分かる通りです。それは人々の暮らしに直結していたものだからこそ、ああいう熱もあった。1968年当時の屋良朝苗さんが当選した時の投票率が89%を超えてるんですよね、あれは正に主席公選が実現して初めて自分達の手で選べるっていう、ある種の熱があったっていうこともあると思いますけど、自分達のリーダーを選ぶことへの渇望感というか、そういうものが本当に現れているからこそあの数字だと思っています。



←前ページ    1  |  2  |  3  |  4  |  5    次ページ→