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PEDRO COSTA INTERVIEW
ペドロ・コスタ:映画が震える瞬間

詩情溢れるストイックな映像美で国際的な賞賛を浴びるポルトガル人監督のペドロ・コスタが、最新作『コロッサル・ユース』の公開に向けて来日した。これまでフォンタイーニャスというリスボン郊外の貧しい地区に暮らす、かつての植民地カーボ・ヴェルデ諸島の移民たちに焦点を当てる彼は、同じ場所を舞台に、前2作の『骨』『ヴァンダの部屋』を撮ってきた。だが同じ場所も、『コロッサル・ユース』では、家屋が崩壊し、廃墟と化しつつある。人々の笑い声は消え、半壊した街を亡霊のようにさ迷う、アフリカ系の初老の男、ヴェントゥーラを追う。住人のほとんどは、市が用意したこぎれいな白い公団に移動させられた。水道もガスも完備されている。若き日はパンク・バンドで世界を回ったペドロ・コスタは、まず、前作『ヴァンダの部屋』がクラブの音楽イベントで上映されると話し始めた。

1. “映画”が人生で一番大切なことになってはいけない

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自分の映画が映画館でなく、クラブで上映されることについてどう思いますか?
何がいけないの(笑)? 人が観に来てくれればいいんじゃないかな。

では現在の活動は?
今は日本でも撮影をした映画の編集しているところだ。前回の来日時、フランス人女優のジャンヌ・バリバール(*1)のコンサートの模様を撮影し、現在は編集中だ。

『タラファル』(*2)と今作『コロッサル・ユース』の間の活動は?
『タラファル』の後、韓国の全州(チョンジュ)映画祭の依頼でもう1本撮った。彼らは毎年3本の短編を製作するが、僕は昨年、その1本を撮った。

前2作で描いてきたことを、なぜ『コロッサル・ユース』でも続けようと思ったのでしょう。
『ヴァンダの部屋』の後、そこで暮らす人々に、奇妙な状況が襲った。彼らは突然、その集落から排除され始め、公団に移された。そもそもフォンタイーニャスという場所の始まりについての映画を撮りたいというアイデアから始まった。その場所に最初に辿り着いた人々、最初の掘っ立て小屋、最初のバラックを描きたかった。そしてこの映画は、彼らが新しい場所へ移り住まなければいけなくなったことから始まった。みんな混乱し、途方に暮れていた。だからこそ、このプロジェクトを実現するに相応しい、理想的な瞬間に撮影できた。

その新しい場所はフォンタイーニャスから遠いのですか?
いや、そんなに遠くはないよ。でも市当局が、その場所へのアクセスが可能な限り大変になるよう、あらゆる手を尽くした。だからそんなに距離はないのに、バスを2本も乗り継がなければならない。元の場所は丘の頂上にある。かつてゴミ捨て場だった場所だ。彼らはその上に家を建て始めた。もちろん、バスなんてなかった。公共の交通機関もない。だから専用のバスを作った。でも本当に、簡単には行けない場所だ。だから遠くはないのに、かなりめんどくさいんだ(笑)。

それは意図的に?
もちろん。でもそれが人類の歴史ってものだろ(笑)? そんな困難を強いられてきた人々は、いつでもそうした困難に直面することになる。金銭面でなければ、交通機関の問題かもしれないし、交通機関でなければ、別の何かかもしれない。フォンタイーニャスの人々に楽な道なんて与えられないんだ。

でもフォンタイーニャスという場所はすでに無くなってしまったんですよね?
そうだね。最後に行ったのは、実はつい先週だけど、ちょうどレース場と巨大なショッピング・モールの基礎ができていた。工事が始まるまで、ずいぶん時間がかかった。動き出すまで4、5年はジャングルの状態のまま放置されていた。

フォンタイーニャスについての映画はこれで完結するのでしょうか?
いや、そういうわけじゃない。確かに3本撮った。3というのは魔法の数字だからね(笑)。

そこで3部作を連想しますが?
じゃ、4本目を撮ったらなんて呼ぶんだい?4部作?なんて呼べばいいかも分からない。実際、その後に2本撮っているよ。『タラファル』ともう1本。そしてまだ続けたいと思っている。すでに、ヴェントゥーラと次のプロジェクトが控えている。たぶん彼とその地区の若者たちでやる。ほとんど子供と言って年齢だが。まだ完全には固まってないけどね。

『コロッサル・ユース』の後に短編映画を撮ったのは、短編用のテーマだったから、それともいずれ長編にするつもりで?
『タラファル』を撮ったのは、『コロッサル・ユース』の編集が終わった3、4ヶ月後だった。リスボンの基金が、オムニバス映画の短編の製作資金を提供したいということだった。6人の監督が『State of the World』というタイトルの下に6本の短編を撮るために集められた。参加する気があるか聞かれた。3人の監督が仲の良い友人だった。一人はワン・ビン(*3)。もう1人はタイのアピチャッポン・ウィーラセタクン(*4)。そしてもう一人がシャンタル・アッケルマン(*5)。私は、はいと言った。彼らのことは好きだし。そして“世界の状態”がテーマなら、フォンタイーニャス地区の状態をやろうと。私が何を撮ろうとするのか分かっているはずだと。彼らもすぐに同意した。そして次に韓国の全州映画祭から連絡がきた。彼らは別の短編映画のために僕を考えてくれた。

それらはリンクしているの?
もちろん。まず、1本のための些細なアイデアから始まった。そしてもう1本のために、さらにアイデアを突き合わせれば長編映画になると思った。実際、今はそれらの短編を一緒にして、長編映画にしようと考えている。

長編のための習作でもあるの?
うん、僕らが作る他の作品のようだとも言える。完結しているのに、次の映画の始まりでもある。だから確かに繋がっている。同じ人物が出てくるし、同じ場所も舞台になっている。同じ記憶を扱い、ほぼ同じような脚本だ。私たちの脚本は“記憶”だから。場所の記憶、人々の記憶。だからひとつの映画が、次の映画の扉を開く秘密の鍵と考えるのが自然だ。

以前、なぜ映画を撮るのか、と聞きましたが、またなぜ彼らを追いかけるのでしょう?
そんな風には考えていない。でも多くの人に同じ質問をされる。そして答えは、なぜいけないのってことだ(笑)。もちろん、その答えでは不十分なようだ(溜め息)。私は、映画を作るために他の場所に移りたいとは全く思わない。誰かに、全く違うものを撮ってほしいと依頼されるまでは。でも今は、みんなでこの道を作ってきた気がする。3本の長編映画と短編たち。バカげて聞こえるかもしれないが、ある意味、彼らと共有できる責任感のような意味合いを持ち始めている。特に今は、彼らの人生に、あらゆる方向から、大きな変化が襲い始めている瞬間だから。彼らは何かを喪失している気がする。私は、彼らが何を失い始めているのか見えるように手を貸したい。その不確かな感情を映画という形で見せることによって。だからそういう意味でも、習作だと言っていい。彼らが失い始めたもののリサーチかもしれない。彼らが未来に何を求めるのか。将来の展望はあるのか。それは自分自身とて同じだ。それが私のやるべき仕事。

ここまでくれば、あなたも彼らと同じ記憶を共有できるのでは?
うん、共有し始めてはいるね。たとえ彼らのようになれなくても。私は彼らと違う背景を持っている。彼らと同じ社会階級の人間でもない。“黒人”でもない。だが今では共通の過去を持ち併せている。もう10年くらい経っていて、それだけで何らかの意味があるだろう。同時に、彼らと他のことでも色々と関わっている。私はその地区の自治会にも参加している。

それは政治的なもの?
そうだね。全てが政治的だろ?その地区には人が出会う場所はたくさんある。あらゆる街角があり、カフェがあり、バーがあり、そして集会所がある。そして人々はみな、あらゆることについて、とてもよく話す。政治、それに日常のあらゆる問題について。住宅事情、学校の問題、麻薬の問題とかあらゆることについて。そして時々、他のこともやらなければいけないと思う。若者のために、シネマテーク/ビデオテークのような何かを組織しようとしている。ツテがあるから、DVDの編集者に、アニメ、映画に拘らず、どんなものでも入手してくれるよう頼んだ。チャップリンやバスター・キートンの映画のように。それは大変だけど、重要なことでもある。彼らは幼少時か銃が登場する映画を見て育ったため、チャップリン映画など見せ、見慣れぬものに触れるだけで、何かが変わっていく可能性があると思う。もちろん結婚式があれば、式を撮影したりする。

『ヴァンダの部屋』の後、似たようなアプローチがありながら、今回は構造的に違いますね。
『ヴァンダの部屋』のプロジェクトはほぼ一人で作った。撮影から製作まで。たまに音響で友だちに手伝ってもらったりした。たまに私たちが製作と呼ぶ仕事、たとえば車両関係といったことを手伝ってくれた。それにこの映画ではスイスやドイツなどから少しだけ資金を提供してもらうことができた。だから小さな予算でも小さなクルーが雇えた。スタッフは4人。その4人で、1年から2年近くの撮影スケジュールを組み、期間中の役者たちのギャラも払えた。それが大きな変化だ。ふつうの映画のようなスケジュールが生まれたため、月曜から土曜と、ちゃんとしたスケジュールを組み、日曜日は撮休日にした。それで1年半続けられたことが大きな違いかな。それができるかどうかやってみたかった。映画を撮る時は、ふつうなら最大で5〜7週間だ。1年半、撮り続ける野心はあったが、同じ意識で居続けることはできない。すぐ先に終わりが見えないから余計だ。その間に話すこと、長い期間を共に生きることは、5週間の撮影とは大きく違う。5週間あれば、人は映画以外のこともたくさん話す。どんな撮影でも、例に洩れず、女、車、金のことを話し(笑)、早く終わることを願う。でも同じ映画で1年半を一緒に過ごすと、ずっとそこにいるわけで、生活は一貫している。他にも色んなことが起きる。生まれる生命もあれば、死ぬ者もいて、季節も変わる。すると映画もずっと自然になる。映画のことだけ考えないようになる。それとも、映画も人生も同じくらいに考えるようになる。それはいいことだ。おかげで映画の重要度を落としてくれる。その方がバランスはずっと正しい。生活も大事で、映画は人生で一番大切なことになってはいけないんだ。あるひとつの要素に過ぎないのだから。ただの仕事に過ぎない。オフィスで働く人、食事を作る人、靴を作る人と何も変わらない。彼らはその仕事を毎日やる。9時から7時まで。それと同じであるべきなんだ。写真もそうだろ。映画を作っている、アートを生み出しているという思い上がり、特別な時間や要素、特別な人間がやるとか、そうした考え方には賛成できない。死ぬまでやろうと思っても、自分が好きなこと、自分が選んだ道で、それを日々作っていくことなんだ。それはとてもシンプルで、同時に、とても大変で、たまに、すごく退屈な時もある(笑)。映画を撮るのも、いつも素晴らしいわけじゃない。常に素晴らしい瞬間があり、常に美しい人と会えると思うのは大間違いだ。全然そんなことはないんだから(笑)。だが同時に、この仕事ができるのも特権だ。自分自身が選んだことだから。私はこの仕事がしたいし、上手くできると思っている。そして小さな予算で集めたスタッフと、心の広い人たちが暮らす場所があるからこそできる。私たちはそれを毎日のようにできた。別にアートを作っているわけではない。たとえ、役者や、観ている映画が謎めき、美しく、良いものであったとしても。

それでも観客はアート系の映画として見る人が多いと思うけど、自分の観客はどう見ますか?
このような映画を作る時(間を置いて笑う)、私たちは観客をとても信頼している。あまりに信頼しているため、彼らのことを全く気にかけていないと言っていい。でも同時に、彼らのために何かしたいとは思う。それはとても人間的な感情だから。私の映画はとても人間的だ。想像上の奇妙な世界について語ることはない。存在しないことを語るものでもない。物語を語るわけでもない。ファンタジーでもない。私たちが語るものは、日本、アフリカ、アルゼンチンでも、人の心に触れるものだ。それは人間についての物語だから。だから観客も同じくらい責任を持ってくれると信じている。映画について知らなくても、私たちが作った時のように、同じくらい責任を持って見てほしい。
私たちだってベストを尽くして作った。特に役者たちが。だから観客もできるだけベストを尽くしてほしい(笑)。観客も責任を取らなければならない。映画を見るのは大変だ。作るのと同じくらい、見るのは大変なことだ。写真を撮るとか、銀行で金を扱うのと同じくらい。映画を作るのと同じくらい難しい。だが見る忍耐力がないなら、その人はさっさと帰るべきだ。だからこそ観客には最大限の尊敬を感じる。だが彼らがどんな人間かも分からない。観客のことを考えることはない。





*1
1968年生まれのフランス人女優。ジャック・リヴェットの『恋ごころ』『ランジェ侯爵夫人』などに主演

*2
『Tarrafal』(2007):オムニバス映画『State of the World』の中の一遍。カーボ・ヴェルデ諸島の島の名前。そこの移民を対象に、『コロッサル・ユース』に続いて撮った短編映画


*3
9時間に及ぶドキュメンタリー映画『鉄西区』などフランスでも支持される中国人監督

*4
『ブリスフリー・ユアーズ』(2002)がカンヌ映画祭のある視点でグランプリを受賞するなど、ドキュメンタリーとフィクション、フィルムとビデオ、映画とアートの境界を越える表現で知られるタイの映像作家/アーティスト

*5
作家主義の強い監督として知られるが、叙情性豊かなエンタテインメント作品も撮る。現在パリを拠点に活動するベルギー人映画監督/脚本家/女優

『コロッサル・ユース』
JUVENTUDE EM MARCHA
COLOSSAL YOUTH
EN AVANT, JEUNESSE!

2008年5月24日公開

監督/脚本:ペドロ・コスタ
撮影:ペドロ・コスタ、レオナルド・シモンイス
編集:ペドロ・マルケス
録音:オリヴィエ・ブラン
音編集:ヌーノ・カルヴァーリョ
ミキシング:ジャン=ピエール・ラフォルス
製作主任:ホアキム・カルヴァーリョ
製作:フランシスコ・ヴィラ=ロボス
共同製作:フィリップ・アヴリル、アンドレス・ファエフリ、エルダ・グイディネッティ
製作会社:Contracosta Producōes、Les films de l'etranger, Unlimited, Ventura Films SA, ARTE France, RTP, RTSI
出演:ヴェントゥーラ、ヴァンダ・ドゥアルテ、ベアトリズ・ドゥアルテ、イザベル・カルドーゾ、アルベルト・バロス・“レント”、アントニオ・セメド・“ニューロ”、パウロ・ヌネス
配給:シネマトリックス

2006年/ポルトガル・フランス・スイス/155分/35mm/カラーDOLBY SRD/1:1.33

『コロッサル・ユース』
オフィシャルサイト
http://www.cinematrix.jp/
colossalyouth/


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