OUTSIDE IN TOKYO
KUROSAWA KIYOSHI INTERVIEW

小森はるか『空に聞く』インタヴュー

4. 本当に多くのまちにいたはずの人たちがいなくなってしまった悲しみって、
 家族を失ったっていうこととは違うんですね

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OIT:ところで、小森さんが映画を作る時、どういう人が見るとか、観客って想定されますか?
小森はるか:『息の跡』から考えるようになったかもしれない。観客っていうと漠然としてますけど、やっぱり自分がいない場所でもその作品が見られるとか、作品が自立して歩いていくっていうことを、以前は全然考えてなかったと思います。それまでは自分の手元に持っているものとして作品があったけど、多分そうじゃないんだなっていう風に、作る段階から意識するようになったのは『息の跡』を公開してからですね。

OIT:いろいろな方に絶賛されたり、蓮實重彦さんとかにも見つかってしまって(笑)。
小森はるか:それが影響してるのかな、どうなんだろう、そういう部分もあるかもしれません。

OIT:そういう見る人の存在が小森さんの中で生まれてきたっていう。
小森はるか:本当にちゃんと見てくれる人がいるんだっていうか、自分しか見ていなかったものが受け取ってもらえた実感ってなかなか学生の時は得られなかったです。私以上に観客の方が見えているものがあったり、佐藤さんとか阿部さんの想いが伝わってたりするっていう経験はなかったですから。学生時代は、どう講評されるかとか、そのくらいしかないから、届いたっていう実感を得られたっていう意味では大きいですね。

OIT:ペドロ・コスタが観客のことを考えますかって質問されて、いや全く考えない、何故なら観客を完全に信頼しているからって言っていました。ペドロ・コスタの映画は観客にある種の忍耐を強いる映画ですけど、観客は逃げ出す人もいるかもしれないけど、忍耐強く付き合って、ちゃんとスクリーンを見続けて、観客なりに何かを考えたりすることができる、そういうことをコスタも経験上学んだんだと思いますけど。
小森はるか:そうですね、なるほど、信頼するっていうことなんだなぁ。

OIT:ところで本題に戻りまして、阿部さんのご家族の写真が出てきたんですけど、僕はこれを見ていた時に、阿部さんのご家族が何で映画に出てこないんだろうとは思わなかったんですけど、恵比寿で上映した時に、その後のQ&Aで何でご家族が出てこないんですか?っていう質問があったんですよね。何かその点について、小森さん的にはありますか?
小森はるか:そうですね、阿部さんのご家族が出てくるっていうことは、阿部さん自身が負った、被災した傷に触れることになるなと思っていて、それをやりたいって思わなかったんですよね。もちろん亡くなられたご両親のことや、旦那さんと娘さんが無事であるっていうことを別に隠したいとか、無視したいわけではないんですけど、そこに踏み込むことをしたくて阿部さんを撮っているわけではなかったんです。阿部さんっていう一人の人を撮りたいということですね。阿部さん自身もおっしゃってたんですけど、本当に多くのまちにいたはずの人たちがいなくなってしまった悲しみって、ただ家族を失ったっていうこととはきっと違うと思うんだよねということを話していて。私も陸前高田にいながら、分からないなりにそのことをすごく感じていました。もちろん個人個人の抱えている悲しみもあると思うんですけど、そうではないまち全体が失ったものとか、そのまちの人たちと亡くなられた人たちの繋がりとかがあって。そういうものを撮りたい、阿部さんの語りにはそれが映るような気がしたので、阿部さん個人の家族に焦点をあてるっていうことをしなかったのかなと思います。実際撮れなかったと思いますし。



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