OUTSIDE IN TOKYO
KUROSAWA KIYOSHI INTERVIEW

小森はるか『空に聞く』インタヴュー

2. 阿部さんがお話をされる時って複数の人の声を発しているというか、
 間にいる人のような気がして、そこにカメラを向けたいと思った

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OIT:例えば『空に聞く』(2018)や『息の跡』(2016)は小森はるか監督作品ですが、そういう単独作品の時に瀬尾さんの関わりはあるのでしょうか?
小森はるか:ほぼないです(笑)。撮影の現場にたまたま瀬尾が一緒にいることとかはあったりしますけど、相談することもあまりないし、一般にお披露目できるっていう段階で瀬尾も一緒に見てもらうという距離感ですね。そうした個人の制作に瀬尾は関わってないですけど、例えば、『空に聞く』の阿部さんや、『息の跡』の佐藤さんのことは彼女もよく知ってるから、普通に日常会話の中でも話題に出ますし、一緒に聞いた阿部さんの言葉には二人での制作の中でもすごく影響を受けていたりします。あとは、まちの変化の気付きとか、瀬尾が言っていた言葉が結構心に引っ掛かかっていたり。そういう意味での影響は個人の制作においても受けてるんじゃないかなと思います。

OIT:『二重のまち/交代地のうたを編む』にはワークショップが出てきますね。小森さんの『the place named』(2012)にもワークショップの場面が出てきました、ソーントン・ワイルダーの『わが町』を下敷きにした作品でしたけれども。ワークショップというのは、小森さんにとって特別な何かなのでしょうか?
小森はるか:それは、たまたまですかね。『the place named』を作った時は、どちらかというと演劇が完成する前の稽古の段階が私は面白いと思っていたというか、そういう時の人の感情だったり、役と本人の間で揺れてる人物像みたいなものを撮るのは面白そうだなと思っていたので、その手段を選んだっていうことがありました。今回の『二重のまち/交代地のうたを編む』は、そもそもワークショップをしようと思ったのは瀬尾で、むしろ私は、そのワークショップ自体を撮ろうとはあんまり思ってなかったかもしれません。ワークショップのドキュメントというよりは、その積み重ねの先に表れる、もう少し物語性を持つ瞬間を切り取っていこうという風に私は思っていました。

OIT:なるほど、意図的なものではなかったんですね。わかりました。そろそろ本題に入りまして、『空に聞く』について伺います。阿部さんがパーソナリティをやっていらしたFMラジオ<陸前高田災害FM>は、この映画を作る前から小森さんは親しんで聴いていたとのことですが、阿部さんを撮ろうと思った、何かきっかけがあったのでしょうか?
小森はるか:そうですね、阿部さんに初めてお会いしたのは、2012年の夏くらいだったかなと思うんですけど、その前から災害FMのことは知っていました。当時は隣町の大船渡でバイトしてたんですけど、たまたま大船渡災害FMで働いている人と友達になって、その人が陸前高田の災害FMに行く際に誘ってもらって、スタジオを訪ねたのが最初だったんです。その時に阿部さんにお会いして、一目惚れじゃないけど、本当に素敵で、すごく穏やかな声で、陸前高田の人たちが背負っている悲しみみたいなものを阿部さんからすごく感じたんです。でも同時に凛としていて、まず阿部さんという人に惹かれました。その時すぐに撮ろうとか映画を作ろうとか考えたわけじゃなかったんですけど、後々自分が陸前高田で人を撮りたいっていう決心がついた時に阿部さんを撮らせてもらいたいなってすぐに思ったんです。阿部さん個人も被災されていらして、ご両親を亡くされていて、たくさん失われたものを抱えている人なんですけど、阿部さんがお話をされる時って複数の人の声を発しているというか、間にいる人のような気がして、多分そこにカメラを向けたいというか。そういう風に思って撮らせてもらいました。



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