OUTSIDE IN TOKYO
HONG SANG-SOO INTERVIEW

ホン・サンス『3人のアンヌ』インタヴュー

5. 映画の中の込められたメッセージに通じても、
 なかなか幸福になれないじゃないですか(笑)

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Q:事前にシナリオを書かないということですが、撮影が終わった時、あるいは編集が終わった時に初めて脚本が完成されるのだと思います。そうなると、その日一日撮ったシーンでも編集で丸々カットしてしまうこともあるのでしょうか?
ホン・サンス:滅多にないですがありますね。

Q:『3人のアンヌ』の時もあったのですか?
ホン・サンス:『3人のアンヌ』ではなかったですね。

Q:『次の朝は他人』という映画で、主人公が、色んなことが繰り返し起こることに対して、そうした反復に理由なんて存在しないのだと力説しますよね。『3人のアンヌ』でもお坊さんがアンヌと会話する時に、アンヌにどういう意味と聞かれて、お坊さんは(特に)意味はないと答えますよね。そういう映画の中で起きる色々な出来事に、理由とか意味を求めないという姿勢はホン・サンス監督のどういう考え方からきているのでしょうか?
ホン・サンス:全てのものに意味がない、理由がないというのは、私の考えからきていることだと思うのですが、意味や理由はなくても、必要性は理解します。人間が生きていく上で意味は必要です。それはたとえば意味であるとか、本質、あるいは確信、メッセージ、そういうものは生きていく必然として必要だと思うのです。でもそれと同時に、全てをそれで表現することはできないと思うんです。たとえば記者の人がある女性を好きだとしますね。横から友人が、なぜ彼女のことを好きなのと聞かれても、あなたは彼女がこれこれこうだから好きだという風に答えたとします。でもあなたが家に帰ってからよく考えてみると、自分の言った理由が嘘だと気づくと思うんですね。なぜか。それは単に好きだから。理由もなく好きなんだけど、そのことは家に帰って考えてみたら気づくことだと思う。でも必要性ということから考えれば、その友人から聞かれた時にこの女性はこれこれこういう理由で好きなんだ、私にはこういう好きな彼女がいるんだと紹介する必要性があるわけですよね。自分はこれこれこういう理由であなたが好きだという、そういうことを本当に信じていたとすれば、たぶんそれは後々になってそのことが理由となって2人の間がうまくいかなくなる可能性もあるということだと思うのです。

Q:監督はフランスをはじめ、ヨーロッパでかなり高く評価されてますが、そのことについてご自身ではどう思われていますか?キム・ギドク監督がこの前ベネチアで賞を獲られてものすごく嬉しそうでしたが、監督にとって賞というものはどのようなものですか?
ホン・サンス:どの地域で評価されるか、されないかは相対的で、色々あるでしょう。私にはたとえヨーロッパで高く評価されるとか、アジアでどうだとかも全然ピンとこないことなんですね。でも私は今回ベルリン映画祭に行ったわけですが、その映画祭の喫煙場に行って煙草を吸っていると、横に来た人が私の映画を観てどういう目つきだったとか、その映画についてどういう声で話していたとか、一人一人の観客が映画に対してどう反応してくれたかというのがすごく重要であって、賞を獲ったとか、高く評価されているとかいうのは世の中の人々が習慣的にやっていることですよね。そうではなくて、映画を観た一人一人の観客がどう感じたかということの方が自分には大事なような気がしますし、そっちの方がピンときます。それともうひとつ、今、自分が撮った作品を十年後に見返した時に自分がどう感じるのか、そっちの方が自分にとってはすごく重要なことだと思います。

Q:プロフィールに、アメリカで学生として勉強していた時に『田舎司祭の日記』を観たことをきっかけにパリに渡ったとよく書かれていますが、その時に感じた、自分の求める映画への思いと、監督が最終的に作りたいと思っている映画、つまり、今、十年後というお話しをされましたが、そこに求める映画とは繋がっているのでしょうか?
ホン・サンス:学生の頃から今まで時間が経っているから、その時間の変化の中で私も初めて気づいたこともあるし、変わったことはあるでしょうが、その基本のところはその当時も今も変わっていないと思うんですよね。それは映画に対して何を望んでいるか、映画を通じて何を得ようとしているか。私が映画という道具、ツールを用いて一体何をするのか。個人的に自分は幸せになりたいと思いますが、それでもなかなか幸せになることはできない、それは世の中の人があらかじめ準備している手段であるとか道具を用いても自分はなかなか幸せになれない。でもそれを映画の中でどのように(なれるかということです)。普通のエンターテイメントの映画であっても、その中に込められているものがありますよね。イデオロギーであったり、社会的なものだったり。あるいはもっと言えば、我々がこういう風に生きれば幸福になれますよというメッセージが込められていると思うんです。でもよく考えてみると、私たちはそういう映画の中のメッセージを使っても、なかなか幸福になれないじゃないですか(笑)。映画の中に込められているメッセージ、あるいは世の中にあらかじめ準備されている色んな生き方を通じても幸福になれない。私たちは幸福になりたいけれどもなれないという、そんなもどかしさを感じているわけですが、私は新しく別のシステムを作りたいわけでも、何か別のシステムを提示したいわけでもないんですね。ただそういうもどかしさに気づいてほしい。いや、気づくだけでも十分だと思うんです(笑)。


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