OUTSIDE IN TOKYO
Adam Guzinski Interview

アダム・グジンスキ『メモリーズ・オブ・サマー』インタヴュー

4. この非常に複雑な世界を私がどのように見ているのかということを伝える方法として、
 映画がもっとも適切であると考えています

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OIT:音の使い方も面白いシーンがいくつかありました。夜、ピョトレックが母親を回想するシーンで、画は子供の正面から捉えているショットですが、汽車の音が鳴ってるシーンがありましたね。汽車に関しては、音だけではなく、かなり重要なモチーフとして実際の汽車も登場しますけれども。
アダム・グジンスキ:音というのは大変重要だと思います。私が尊敬する映画作家にブレッソンがいますけれども、彼は音が聞こえてくればもう観客の想像力の中に映像が見えるわけだから、必ずしも音と映像が同期する必要はないという考え方でしたね。映画の中でも、もちろん俳優が演じる要素、それから美術の要素、それと同じくらい重要なのが音響だと思っています。この映画の中ではいわゆる劇伴と言いますか、説明的な音楽というものはほとんど使われていません。あえて言うならば、冒頭の場面でポーランドのミニマリスト、シンセサイザーで音楽作っているヤシャックという人の音楽を使っていますが。それ以外のところはドラマに観客を集中させるために音を使っています。ちょっと別の例を挙げますと、例えばチェスをしている時に雨の音が外から聞こえてきます、それによって観客の中にある種の不安感が生じる、チェスをやっているのですが、実は別のところにこの二人の気持ちがある、そういう不安感みたいなものを掻き立てる効果を狙ったものです。不必要な音は省いて、台詞の間に音を入れて台詞の邪魔をしないようにしたり、そうした音響設計に三ヶ月位をかけました。同じような例としては、遠くから犬の鳴き声が聞こえてくる場面なんかもそうですね。

OIT:かつてテオ・アンゲロプロスが「あなたは何故映画を撮るのでしょうか?」って聞かれ、「映画を撮るのは時間の流れをゆっくりにするためだ」と答えました。グジンスキ監督ならどのようにお答えになりますか?
アダム・グジンスキ:難しい質問ですね(笑)。私は今もそれに対する答えをずっと探し続けているのですが、一言で言うと、私は物語るということが大好きなんです。特に自分が考えたこと、感じたこと、人生において自分が観察したこと、そうしたことを人に伝えたいという気持ちがあります。私が大学に入る前に興味を持っていたのは絵画や版画で、そこから美術に興味を持つようになって、やがて映画に興味を持つようになったのですが、大学に入る前にブニュエルなどのシュールレアリスムの映画にまず興味を持ちました。それから当時テレビではまだ芸術的な映画を観ることが出来ましたから、ドイツ表現主義であるとか、あるいは名画座で古典的な映画を観たりして、それで映画大学に入りました。大学の先生からは「この大学に入って何をやりたいのか?」と聞かれましたが、私はまだそれに対して答える準備が出来ていませんでした。ただ実際に、それ以前にまだ映画を撮ったことがなかったものですから、映画作りというものがどういうものかよく理解していなかったのですが、大学に入ってエチュードを撮るようになって、撮影現場に俳優と一緒に立ってみると、これは自分の考えていることや感じていることを物語るのに非常に相応しいメディアだということを感じて、その撮影現場でとてもいい気持ちになったわけですね。まだその段階では、これが自分の一生やる仕事だという風には感じていなかったかもしれないけれども、自分の表現をする上で、絵描きになるより、作家になるより、とにかく映画監督になるのが一番適当であるということを感じるようになりました。この非常に複雑な世界を私がどのように見ているのかということを伝える方法として、映画がもっとも適切であると考えているのです。



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